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★アニメ中期★19話〜28話★

 アントワネットを中心に、貴族の世界を描いて来た前期。

中期に入ってからは、ベルばらならではの重要なエピソードが二つ描かれる。ジャンヌ首飾り事件と黒い騎士事件である。

これら民衆側から見た反王政の図式は、革命へと流れていく時代の象徴としてかなり力を入れて描いてある。
前期の物語の中心舞台であった貴族社会が、中期でジャンヌ・黒い騎士事件を経てからは民衆からの視点で見たものとなり、「貴族=悪」という転換期になる。
 景気の悪化や重い税金、またはアントワネットが個人の幸福を求めて公務をおろそかにしはじめたあたりから、平民だけではなく貴族たちも反王政へと寝返っていく。そんな中で、オスカルもまた身分制度、貴族の特権などというものについて疑問をいだきはじめる。

 そして中期以降の重要なポイントは、もちろん演出が変わったことである。
作画の変化だけではない。いままでの話(前期)の流れというより、後半の山場へ向けてのスタートと言えるのが中期以降である。ということで今までの流れは、あらすじ以外は完全に切り離してしまっていると言っても良い。
 ある意味、原作でも連載当初のオスカルを見て、よもやアンドレとそういう風になるとは思いもしなかったし、ベッドシーンが描かれるマンガとは想像もしていなかった。
一見ローティーンにもわかりやすく描かれたと思われる作品が、回を追うごとにハイティーンにも見応えあるものだとわかったように、アニメでもお子さま向けから大人向けへと変わったようだ。ただ、原作と違い、速攻で変わってしまったのだが…。

 アニメ版の山場とは主にオスカルとアンドレのラブシーンや、オスカルとアントワネットの決別の事。その他にもオスカルの革命・流血の事態に対する態度等もある。
これらの場面へスムーズに導入できるように、ここからは登場人物の関係が今までと変化しているのは要チッェクポイント。
オスカルとアンドレは身分の違いこそあれ対等な男女の関係へ、そしてアントワネットとオスカルの関係が「つかず離れずの親友」から、「はっきりとした上下関係」へと変わっていく。

 前期のようにアントワネットの公務にまで口をはさんでいたオスカルは、中期からはいきなり距離を置き、彼女の配下となる。
アントワネットにとって、オスカルのような影響力のある人物がいては、革命が起きなくなってしまうからなのだろうが、この突然の変化は原作のままの展開を想像していると、オスカルがいきなり優柔不断になったように見えてしまう。

 また、演出が変わったせいもあってかオスカルひとりが物語の中心になっている前期とは違い、4人の男女の愛の苦しみもあいまって、それぞれの悩みや内面に迫った等身大の人間ドラマになってくる。
同時に、オスカルが切り捨てたはずの「女としての生き方」、男として生きる難しさや苦しさが描かれ始めるのだ。
男の上に立ち、孤独な戦いを続けることは、そのりりしい姿とは裏腹にカッコいいだけではない。
しかし人の強さとは何かを考えると、弱さを乗り越えてこそ得られるもので、元々強い人間をカッコよく描くだけでは面白くない。

 巷ではこの演出が変わった19話以降を後半(もしくはジャンヌ事件の後?)とする場合が多いが、あえて中期と後期に分けてみた。
中期には、当然外せない目玉のエピソード(オスカルのドレス姿)や、彼女が革命に傾く経緯を描く「ベルばらならでは」のエピソードか多い。当然、ベルばらである以上、大筋で原作と同じ展開を見せなければならないのだが、中期に入ってアニメオスカルは明らかに原作とは性格設定が違ってきている。
それでも「ならでは」のエピソードをなぞっていかなければならないと言うジレンマが、ここに生じてくるのではないかと推測している。

 あまりにも有名な原作のエピソードをどうアニメに対応させるか、アニメ製作サイドは大変だったのではないだろうか?ベルばらなのだから首飾り事件は当たり前、黒い騎士事件は当たり前なのだ。アンドレは左目を失明し、オスカルはフェルゼンに恋い焦がれる。
性格が違うのに同じエピソードを描かなければならない。それは大変なつじつま合わせの作業である。だが原作とは違ったベルばらを作ろうとしたのか、アニメはこれら二つのエピソードに独自の展開を持たせた。
そしてさらに、本当に原作を離れてアニメ独自の展開になるのは、オスカルが衛兵隊に転属してからなので、ここからを後期とした。

 特に原作との違いは、アランをはじめとして衛兵隊の兵士の平均年齢が原作よりも高そうな事である。彼らはオスカルを拉致監禁したり、クビを覚悟に無謀なケンカを売ったりするような、向こう見ずな血の気が多い若者ではない。仕事をなくしては食べていけないという現実の上にいる大人なのだ。
原作では彼らは見た目も清純そうだし若者が多いのでそれなりに楽しめたが、アニメの隊員たちはどうにもむさくるしいのが難点。でもアニメのアランのように、厳しい現実の中でも人間性を大事に生きている人って何かキラリと光るものがあってとても良い。それに会話の一つ一つを聞いていれば男の世界ってこんなもんと、現実を知るいい勉強になる。

 それと、田島令子さんの上品で女性的な声に合わせて中期からオスカルの性格が変わったんだろうかなんて思っている今の私。

 一方、当時の若かりし私はオスカルの内面や悩みをアニメで描いて欲しいと思いつつ、実は原作で表現されていた「弱みを見せたシーン・女性らしいたおやかなシーン」以外は見たくなかった・認めたくなかった、のかも知れない。原作以外のエピソードは誰がどう描いても原作そのものではないのだから。
当然、30歳を過ぎたの女性の気持ちなんて計り知れなかったし、実際私にとっての「オスカル」とは原作で描かれたエピソードそのものだった。

 目の前に出された料理を味わって批評はできるけど、いざ自分で料理しろと言われてできるものなのかどうかは疑問。だけど自分ではできないから他人に期待してるのが読者&ファンなのよねー。
どんなにおいしくても口に合わない場合もあるし、結局「ないものねだり」だったのかも知れない……と、20年経ってるのに大反省している(あ、注釈※今はアニメ版ベルばらは私にはおいしい話だけど)。

 当時を思い起こせば、ベルばらだからこうなって当たり前という我々見る側の構えた姿勢では、アニメオスカルの動きは不可解で、余りにも優しすぎ、既に彼女の姿を見失ってしまっていたようだ。



2000.7.14.up