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★第9話 日は沈み日は昇る

(1774年4月27日〜・オスカル満18歳)

 デュ・バリも寂しい人だったはず。栄華を極めても心の隙間は埋まらない。そういう所を描いて欲しかった。でないと、彼女は欲張りで自己チュウな女で済んでしまう。

 天然痘に倒れるルイ15世。国王陛下を心から心配するオスカル。単なる王家への忠誠心というより、人生を生きて来た一人の老人に対するいたわり。やがて誰の身にもふりかかる死と、生への思い。
まだ幼さがのこるオスカルだが、そんな生きることの重みを強い感受性で受け止めてしまう。そもそも仕えている人には、自分の気持ちを押さえてまでも必要以上に仕えてしまう律義なオスカル。

 オスカルの目の前で繰り広げられているのは新旧の交代。それは人間の死ではなく権力の推移。人の死を真っ向から見つめようとするオスカルの率直さ・若さが見える。権力に執着する人々に苛立つ彼女って純粋なのね(関係ないが今回ずいぶん髪の毛が伸びている)。
苛立つオスカルを見ているジェローデルとアンドレ。二人のオスカルをめぐる対立がほほえましい。
アンドレはオスカルをよく知っているし、ジェローデルも嫌みがない程度に、つかみどころのないオスカルを不思議がる。

この一大事にさすがのデュ・バリすらオスカルに頭を下げ、最後まで権力にしがみついて保身を図る。
でも万策つきて、最後に彼女はオスカルと同じ気持ちを持ったはず。

 どういう理由であれ、一人の男に連れ添い、その死を見つめたデュ・バリ。
オスカルも又、政治も権力も保身もしがらみも離れた所で王の死を悲しむ。
懴悔で引き離されたデュ・バリの涙は、ただ権力から転げ落ちる悔しさだけではないだろう。死にかけの男の口からデュ・バリを呼ぶ声も、やはり王と言えどもただの男という事の証明。

 王の死は新王の誕生。たった今、一人の人間がこの世を去ったというのに、王家に仕える者は亡骸を放っておいて、治世の変わりを喜ぶ。
まだ弱冠19歳のアントワネットとルイ16世はうろたえるが、二人の肩にかかる責任の重さは彼らの想像以上のものなのだ。

 一方、遺体との別れもまだなのに臣下たちが新王ルイ16世の部屋に行ってしまい、オスカルは怒る。そこへジェローデル登場して、やたらカッコ良い。
「日は沈み日は昇る。栄えた者もいつかは滅びる。そして新しい日を浴びなければ人は生きていけぬ…」人の心はそんなものだと…。
そんな中、悲しみも癒えぬデュ・バリはベルサイユ宮殿から追放されることになった。
質素な服を着せられ、質素な馬車で乱暴に修道院に送られようとするデュ・バリ。
転落の運命に打ちひしがれず、彼女はオスカルの差し伸べる手を受ける事なく馬車に乗り込む。

 そして落日の中、デュ・バリを誠意で送るオスカル。
デュ・バリはこれまでになく優しい表情でオスカルに語る。
明日のパンのためには何でもやった、悪いこともした、でも私は後悔していないと。
どん底からはい上がり、自分の思うままに生きて来た彼女の強さが初めてこの回で描かれている。「生きる」ことから苦労を重ねたデュ・バリは決して貴族のオスカルには負けなかったはずだ。…オスカルは彼女の言葉に何を感じただろうか。
また、ここはデュ・バリがさりげなくオスカルの人柄について触れている貴重なシーンでもある。
「こんな優しい気持ちになれたのは5歳の時に親をなくして以来…あなたって不思議な人ね、オスカル」

 こういうオスカルの側面を描くのをアニメに期待していた私。
デュ・バリが優しい気持ちになれたのは、きっとオスカルが偽りのない心でデュ・バリに接したからだと思う。人は寂しい生き物だ。全てを失ったデュ・バリに対するオスカルの誠意はきっと彼女に通じたのだろう。原作にないエピソードの中ではかなり印象的な場面。
そしてオスカルがやがて選んだ生き方は、人に誠意を尽くすということ。それはまだまだ先の話である。

 ところで、デュ・バリは1793年に裁判により断頭台の露と消えている。だが、その頃オスカルはすでにこの世を去っている。人生、いつ何時どうなるかわからない。

 寂しい葬列に付き添うオスカル。生きて行くことの難しさ、そして滅びるものと栄えるもの・古いものと新しいものの対比を現実として見つめる彼女の目。

 ひとつ涙を流して、オスカルは強くなる。



2000.7.14.up