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第20話 フェルゼン、名残の輪舞 |
(1779年・オスカル満23歳) この回から、主役級の4人の男女の大人の恋愛が語られる。 アンドレは前期と表情がかなり変わり、完全に「男」として描かれ、男・女という性別や「肉体的」な表現が出始めた回である。 許されない恋に苦悩するフェルゼンとアントワネット。フェルゼンへの届かぬ想いが募るばかりのオスカル。打ち明けられないままオスカルに苦しいまでの想いを寄せるアンドレ。 皆、妙に真面目なので解決策もなく八方ふさがりになっている。 そんな中、気持ちを持て余すフェルゼンはオスカルとアンドレの所へ時間つぶしに行く。 フェルゼンとアントワネットのうわさは街にも宮廷にも、フランス中に広がっているのだ。針のむしろ状態のフェルゼン。 「そんなつらい恋に、なんでのめり込むんだ…?」と言う、アンドレの言葉が全てを物語っている。訳がわかれば誰がこんなに悩むものか。…報われない相手を求めて、みんな心は寂しい。 だが、彼らがそんな色恋沙汰で悶々としている一方、パリでは民衆の生活がどんどん悪化して来ているのである。好いた惚れたなんて言ってられるのは、裕福だからかも知れない。 あくまで彼らはその時代に生きる人間の中の一人に過ぎないという演出で、のんびり恋愛しているオスカルたちと、生きることに精一杯の民衆との対比がいかにも現実的。 アニメオリジナルキャラのアコーディオンおじさんが今回から登場する。彼は最期まで悲しい現実をコオロギのように歌い続ける。 それにしても、オスカルはいつからフェルゼンが好きになったのか。 該当するといえば、フェルゼンに忠告に行った時、逆に「男の格好をして寂しくないのか」と聞かれたくだり。 ここで、初めてオスカルは、男性から、それも釣り合う年頃の男フェルゼンから、「女」として見てもらっている。「フェルゼンは私を女だと認めてくれた」。そんな思いで、オチたのかも知れない。 アントワネットに仕えながら、感受性の強いオスカルは、自分の心を寄せて行くうちに次第に女心までダブらせてしまい、ついにはアントワネットと同じようにフェルゼンまで好きになってしまったのかも知れない。 そもそもフェルゼンに対するオスカルの想いが育ったのは、まず、彼女が男として生まれていたらきっとそうなっていたであろうフェルゼンの「男の姿形」がうらやましくて、それが恋心に変わったと見るのが一般らしいが、それと共に、オスカルが王妃に尽くすあまり、彼女をより理解しようとして恋心にまで感情移入してしまったからではないのだろうか。 で、いくら近衛連隊長とは言えオスカルも女には違いなく、それもフェルゼンに恋する乙女。アントワネットにフェルゼンへの秘密の伝達役を頼まれて、情けない事この上ない。だがオスカルはそれを他言せず、アンドレもそんな彼女の苦悩がわからない。 オスカルの孤独。夕暮れに河原で独り涙するオスカル。 彼女は心はおろか、弱さは人には絶対見せないのだ。子供の頃から男として育って来た以上、彼女は常に「強くなければ!!」と自分に言い聞かせているのだから。 それと、この回から、オスカルとアントワネットの関係の描かれ方が変わっている。主従関係がはっきりし、オスカルはアントワネットに対して進言できない。 だが、これは普通の上下関係なら当然そうである。 まして、アントワネットは主人に当たる。普通なら不満があっても表に出さず、反対に主人の罪までかぶるのが絶対服従の姿勢。 また、アントワネットのつらい女心も、オスカルには痛いほどわかっている様子。進言は出来ないだろう。 でもなぜ?前期(1〜18話)では進言しまくりだったのにー?? それは、アントワネットの軽率な振る舞いが一つの原因となって革命へと突入する過程を、架空の人物・そして第三者であるオスカルの視点で、視聴者に対して解説していたからであろう。 もし、オスカルが本当にアントワネットの友人で、彼女に対して説得できるほどの影響力があるのなら、革命は起きなかったかも知れない。 それに本来のオスカルの性格では、親友の危機を感じたら、身をなげうってでもアントワネットに食い下がり、浪費をやめろとか民衆のことを考えてくれとか、とことん説得しそうである。 しかし、架空の人物オスカルは、たとえ彼女が優れた人物であっても、史実に関してはかかわれない。歴史を変えるほど活躍してはならないのだ。もちろんアントワネットに対して説得し、間違いを正せるほどの親密な関係にもなれない。 …史実の人物と架空の人物のかかわり。そんな設定上の難しさがある(このことは22話で詳しく語ることにする)。 と、そんな事はさておき、…幸い、フェルゼンに伝言を伝える頃には激しい雨が降って来て、オスカルの涙を隠してしまう。オスカルは弱い涙も人には見せない。 (うううっ…こんな時、彼女が必死で強がってるのを知ってるのはテレビの前の私たちだけ…) 雨に降られてひと泣きした頃、心配したアンドレがタイミング良く、マントを持って彼女を迎えにくる。アンドレの優しさは、さりげない場面でオスカルを助けに来るところ。彼にマントをかけてもらって、ほほ笑み返すオスカル。さわやかな場面でとても印象的。 さて、フェルゼンとアントワネットの仲をうわさする貴族たちが集まる舞踏会。二人の恋の橋渡しも御免だし、友人でもある二人の中傷も聞きたくないオスカルは、その舞踏会へ行くのを渋る。 行きどころのない心…。だが、アンドレはオスカルに、自分のエゴより困っている友人たちの役に立つことを優先させるようにと、冗談交じりに言う。ここの二人の軽いやりとりは必見。アンドレは暗に言う、お前以外に誰があの二人を助けるのだ?「友人のために三枚目を演じよ」と。 多分、オスカルも心の奥ではそうすべきだと叫んでいた。アンドレは彼女の心の声も知っているようだ。オスカルの気持ちがわかっているからこそ言えるアンドレの忠告。だから彼の言葉にオスカルはほっとするものを感じている。今や、アンドレはオスカルの心の支え。だが、オスカルは守られているだけではない、アンドレにとってもオスカルは心の支えなのだから。 二人の立場は今や主従関係でも兄妹でもない、不安定ながら対等の男と女の関係。 とは言うものの、アンドレは完全にオスカルをリードした。なぜか? アンドレには、すでにオスカルへの気持ちを現実のものとして最後まで貫く強い決意があるからだ。今のオスカルのようにフェルゼンとの恋に恋しているような「実体の無い恋・対象が理想像」ではない。 とまあ解説はさておき、場面は舞踏会。 アンドレの説得?により、人目を引くために正装したオスカルはアンドレでなくとも超麗しい。後にも先にも正装それもマント付きはこの回だけだから、是非、目に焼き付けよう。 正装したオスカルは舞踏会で、口さがないうわさを立てる者たちの気を引くために、アントワネットと踊る。 だが、ちょっと待て。オスカルを見るフェルゼンの目が、何か訴えているようす。もしかして、彼はオスカルに友情以上のものを少しは持っていたのだろうか。似た者同士のオスカルとフェルゼン。お互い理解しあえるのでは、とフェルゼンも考えたのでは…? でも、オスカルは男として振る舞っているし、主人であるアントワネットの為にもフェルゼンへの気持ちをひた隠しにしている。難攻不落のように見えるオスカルに対して、フェルゼンもそれ以上の進展をあきらめただろう。 もし、オスカルがこの地点でフェルゼンにアタックしていれば、二人はそれなりに自分の本当の気持ちに蓋をしたまま(フェルゼンはアントワネットに対しての気持ちをごまかし、オスカルはアンドレに対しての気持ちに気づかぬまま)どうにかなっていたのではないだろうか?とも思う。 …でもたとえそうなったとしても、いつかはお互いの本命に帰って行くだろう、と言うことにして、これ以上の深い追求はよそう。 ただ、死地へ向かう男が、恋人と友人が踊る美しい光景をまぶたに焼き付け、別れの挨拶をしていたのだろう。 愛するが故にアントワネットから離れて行くフェルゼン。彼は命の危険すら恐れずにアメリカ独立戦争へと出征する。命を捨てる覚悟を決めるほどアントワネットへの想いが激しいのか。そんな彼にアントワネットはなすすべもない。 そして、友情の仮面をかぶり演じ続けるオスカル。そっと涙を流す。 アンドレはつらくてもオスカルから逃げ出さない。彼は自分がオスカルに必要なのを知っているのだ。 …ただ、この回でフェルゼンは逃げ出した。 アントワネットのためにも離れて行くのが真っ当な道、それはわかるのだが。 あとの三人は必死で我慢し続けているのに…。 仕方ないとは言え…、「忘れて欲しい…お願いだ…」アンドレでなくとも、私はそう思った。 2000.8.14.up |