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第22話 首飾りは不吉な輝き

(1781年・オスカル満25歳)

 宝石商のベメールが、法外な値段の首飾りをアントワネットに見せに行く所から物語りは始まる。

アントワネットが晴れて(?)懐妊。フェルゼンはいなくなったが、アントワネットは母として幸せそうで、黄緑色のドレスもさわやか。王太子ジョゼフが生まれた1781年まで約2年間話が飛ぶ(ジョゼフ出産の3年前にマリー・テレーズを出産しているらしいけど、フェルゼンとの別れとはバッティングしてなかったのかなぁ?)。

 オスカルはジョゼフ誕生を祝うパリで浮かれるが、パリの市民たちの不満をまだ気づいていない。少しも良くならない生活の不満のはけ口は、元敵国のオーストリアから来た王妃に向けられており、その王妃が信用を落とす原因の一つがプチトリアノンへの逃避である。

 育児に心の安らぎを得て、フェルゼンへの想いも少し和らいだアントワネット。
アントワネットは努めて良き女王として振る舞おうとしているのだが、公務の激しさに自分を見失い、彼女の神経はかなり参っている…。謁見に訪れた貴族たちの陳情や苦情には、に耳を傾けなければならないはずだのだが、もうそれどころではない。

 彼女はついにいたたまれずプチトリアノンに移り、世間の煩わしさから逃れてしまう。
原作ではここでオスカルがアントワネットに一言、もの申すところ。それと比較するのではないが、ここで忠告できないアニメのオスカル。だが心乱してピアノに向かう。彼女はアントワネットの「引っ越し」について正当化しようとしつつ、実は否定的に思っている。もちろんアンドレも今回の王妃の逃避には否定的だ。
アンドレの批判的な言葉に思わず「聞きたくない!」…と言葉を荒くする。
オスカルは手が出せずどうしようも出来ないのだ。

 アントワネットの母、マリア・テレジアが亡くなるのは少し前後するが、1780年。
少女時代の記憶がおぼろげなアントワネットに、娘を想う母の最期の声が少しでも彼女に届いていたら、と思う。

 要チェックは、オスカルとアントワネット。二人の描かれ方は20話から変わって来ている事。
これまでアントワネットの保護者的に描かれていたオスカル。だが、この回を見る限り、はっきりとした主従関係の区別がついており、彼女はアントワネットの忠実な配下となっている。臣下として普通、主人の行動は絶対である。オスカルは絶対としての存在・主人アントワネットの行動を批判はせず、ただ彼女から離れていく自分自身の心を責め、苛立っているようだ。

 今やオスカルはアントワネットの保護者的立場ではなくなり、二人は登場人物として「自分に責任を持つという意味で」対等の立場になった。
確かに、今回の事は仕えている主人の身勝手な愚かな行動。だが臣下というだけでなく、アントワネットの心を知るオスカルは、単なる軽はずみと非難もできない。

 アントワネットのつらさは彼女が一番知っている。
オスカルはアントワネットの女としての幸せを守りたい気持ちもあるだろう。
なぜなら、オスカル自身がフェルゼンへの秘めた想いを抱いているからだ。フェルゼンとの別れの後、我が子と遊ぶアントワネットの顔に、初めて幸せの色が見えて来た矢先なのである。
普通なら、革命へと続く経緯を読者に説明するために、歴史上の人物アントワネットの愚かな行いを、架空の人物オスカルから批判を語らせるところ。

だが語りでは気ままに過ごせると言う風に言っているが、彼女は単に浮かれてプチトリアノンに行ったのではなく、心の平安を求めてやむを得ず引き籠もった様子。
どうやら、王妃として生きる事は個人の喜びを犠牲にしなければいけないという事が苦痛になってきたらしい。
一方、自分の意志で決めたとは言え、ジャルジェ家の為に女としての生き方を「犠牲」にしたオスカル。フェルゼンの前でも、男として・友人としてしか振る舞えない「自分の選んだ道」が険しいのだと気が付いた頃だろう。
オスカルがもしアントワネットと友だちだったとしても、自分の幸せを犠牲にしてまで王室のために働けと進言することは、オスカル自身の生き方を他人に強要することになってしまう。

第一、歴史の流れを変えるわけにはいかないので、オスカルが何かを忠告しても、アントワネットは反省すらせず愚かなままでいなければならないと言うことになる。
私、個人的には、オスカルが惚れているフェルゼンの「本命」があまりにも愚かとなると、芋蔓式にオスカルとフェルゼンの株も下がろうかと言うもの。それもちょっといただけない。
それにもし二人が親友として描かれていても、いざ歴史にかかわる事となると、架空の人物オスカルは歴史に逆らう引き金にはなれない。

歴史が変えられない以上、架空の人物・オスカルが歴史物語の中に食い込んで行く方法、それにはアントワネットとはある一定の距離を置くことが必要である。
 情景として、オスカルはアントワネットへのわかり過ぎるくらいの理解と、彼女には言えない複雑な羨望を抱えている。
又、すでにオスカルは王妃に忠告する保護者的親友ではなく、王妃の臣下として少し距離を置いた第三者となっていることを理解してから物語を楽しんだ方がいいだろう。

 そのせいか、忠実な部下として、謁見に来た貴族たちの前でおもむろにアントワネットをかばって悪役を買って出るオスカル。
律義にも主人のアントワネットを世間の非難とスキャンダルから少しでも遠ざけようとして守ってしまう。
だが、そうやって矢面に立つことで、オスカルは王室への反感を一番感じてしまったことだろう。アンドレも彼女に、貴族たちによる王室への反発をさりげなく忠告している。それはもう、アンドレに言われなくても、オスカルにはわかっていたはずである。

 オスカルの沈黙に、複雑そうな顔をするアンドレ。彼もまた、柱の陰に引っ込み、これまでのようにオスカルと肩を並べて宮殿を歩くことはなくなった。
(オスカルが主人のアントワネットに気軽に忠告出来ないのと同様、身分・立場・主従関係が前期よりも現実的に描かれている。本当なら実写映画の馬番が現実だろうけど。)

 それから、アンドレの口からアメリカ独立戦争の帰還者が帰って来ていると聞くのが、1783年。帰ってこないフェルゼンを心配しているオスカル。ピアノをたたく指は苛立ち、心も穏やかではない。この時、オスカル満27歳、ここでも2年、話が飛んでいる。
(と言うことは、オスカルは少なくとも何年間は王妃の行動と彼女への批判を知りつつ、手も口も出せずにいる。つまり彼女は自分の我慢の限界ぎりぎりまで、主人であるアントワネットの個人の意志を守っていたという事になる…のだが、物語の進行が、年号や史実通りとは限らないので、断言できない。)

 そしてオスカルはついにアントワネットに進言する決意をする。
だが、意を決してプチトリアノンに参上したオスカルは、そこでアントワネットの「母」としての姿を見てしまう。
オスカルがここで「女王としてご自分の幸せをお捨て下さい」と言ったとする。アントワネットは多分、「やはり母であることがわからないあなたには、そうすることがどんなにつらいかわからないでしょうね」と言い返す。
そうしたら、女としてアントワネットより一歩も二歩も出遅れているオスカル、きっと再起不能になったんじゃないだろうか。でも、それでなくとも、この場合、オスカルにはアントワネットの気持ちを推測出来た。だから言葉を飲み込んでしまった、とそう思う。

 社会の最小の基本としての家族…ささやかな幸せ…そういったものが、貴族だから・王妃だからという理由で取り上げられてしまう。
それが当たり前と誰もが思っていた王妃としての「義務」が、本来の人としての自然な姿ではないという根本的な疑問。

貴族社会のしきたりにしばられ、感情も殺し、人形としてしか生きていけないことに対するアントワネットの反抗。
これはオスカルも共感出来たはずだ。そんな王妃にオスカルが無理やり批判することは、オスカル自身がジャルジェ家のために「人形」になっていることを肯定することになる。
自分の生き方を勝手に決められ、男にも女にもなれない彼女の、孤独な立場。
そのようながんじがらめに人をしばりつけ、犠牲を強いる体制に、オスカルは疑問を感じ始めている。…忠告すれば、オスカル自身がその体制を肯定することになってしまう。それもおかしい。だが、アントワネットの振る舞いは間違いなく貴族たちの信用を失い、よい方向へは向かない。

 主人である女王の苦しみ、王室に期待を寄せる貴族たちや民衆の不満も、どちらもオスカルにはわかっているが、(歴史物語だからというだけでなく)一個人としてはどうにも身動きが取れないのだ。

 さて、場面は小舟の上のオスカルとアントワネット。
静かに語るアントワネットは浪費家のフランスの女王ではなく、愛するものの身を案じた一人の女の姿だ。そしてオスカルは顔には出さないが、彼女と同じ気持ちでそこにいる。対等な二人の女の心情あふれるうち明け話。…それに二人はいまだフェルゼンをめぐって三角関係にある。一人の男を巡る二人の女性の情念が、ひしと伝わってくるようなワンシーン。

どうやらアニメ版ベルサイユのばらは、女として生まれて来た者たち一人一人の、女ゆえの喜びや悲しみを描いた物語(ただし特に後期に入ると、オスカルの生きざまが中心になるのだが)。
そして、オスカルが心に持ち始めている体制への疑問、アントワネットとの心の距離、これらは物語の最後、バスティーユ寸前で二人が完全に袂を分かつ所への伏線として成り立っている。革命直前の二人の心の距離を思えば、初めの頃のようにオスカルがアントワネットに対して保護者的親友として存在するのは、つじつまが合わない。後ろ(結末)から考えるとそうなってくるのだ。

まして、やがて二人は革命を前にしてそれぞれ違う道を歩んで行く。
今、オスカルはアントワネットを守りつつ、彼女の気持ちも理解しつつ、その上で、異なる道の第一歩を踏み出したのだ。

 もし、アントワネットがオスカルの忠告を聞く女であったら、三部会の解散劇や国王軍によるパリ進軍はなかったはずだ。
(…物語の後半でオスカルとアントワネットの距離が開けば開くほど、その発端がどの辺りかと考えると、「フェルゼン名残のロンド」か、もしくはこの話からだと推測する。 ついでに言うと、オスカルとアントワネットの別れの名場面のために、この回あたりからのオスカルの無言の葛藤が効果をあげている。彼女のアントワネットに対する想いの積み重ねをもってしても結局、敵対する形になったという経緯がそれとなく感じられる。)

それと今回あたりからアントワネットの心の支えはオスカルではなくフェルゼンになっている。今までのような「アントワネットを保護する」ことはオスカルの仕事ではなくなった。…オスカルはそのことにより今後、アントワネットの想いを自分の気持ちと重ねることも必要なくなる。
性格的にも正反対のオスカルとアントワネットだが、互いに無いものを補い合っていた二人の関係は徐々に崩れる…。

 今やアントワネットは心の支えをフェルゼンとした。

では、オスカルは?
…不安定のままだ。その上、この後まもなくロザリーがオスカルの元を離れる。彼女もただ単にオスカルに保護されていたのではない。ロザリーはオスカルに女の子らしい素直で暖かい笑顔(オスカルができなかった事)を返していた。ここでもオスカルは守るものを失う。
そしてフェルゼンがアメリカから帰って来て、アントワネットの元へと走る。
女として育っていれば、フェルゼンと結ばれていたかも知れない。男に生まれていれば、ロザリーのような娘をずっと守れたかも知れない。

守るものもなく、守られるものでもなく、男にも女にもなれなかった。
それに気づいた時、オスカルは30歳を迎える歳になっている。その歳になって再び自分の存在について、存在の意味や価値について考えなければならなくなった!
これは、相当厳しい立場(この後の展開で実はオスカルはパニックに陥るのだ)。

 前後してしまったが、ジャンヌの話に戻ろう。
宝石商のベメールがジャンヌの元を訪れ、4年前にダイヤの首飾りをアントワネットに見せたが、結局買ってもらえなかったと泣きついてくる。
更に大きな賭けに出るジャンヌは、さっそくローアンをたらし込んで、まんまと首飾りをせしめる。
ジャンヌは止まらない。特にアントワネットを巻き込んだのはローアンのスケベ心につけ込んだのだろうが、貧しい家庭に生まれたジャンヌが諸悪の根源・王妃の顔に泥を塗るような、まるで無邪気な遊び。彼女は決して金の亡者ではない!

 ところでフェルゼン、独立戦争がすんだというのに帰ってこない。
ここでさりげないエピソードが入っている。アメリカ帰りの傷ついた兵士が、通りすがりのオスカルとアンドレと共に、死んだ戦友の遺品を家族へ届ける、というもの。
そう、フェルゼンはやがて帰って来るのだが、名もない多くの兵士たちは異国で命を落としているのだ。戦争は、たとえ勝っても、肉親を失った者にすれば、悲しむべきことなのだ。帰還兵士は辛うじて生き残ったうちの一人なのだろう。アンドレは彼を自分の馬に乗せてやり、目的地まで送り届けている。アンドレの優しい人柄が描かれている場面である。 

 戦場は死と隣り合わせであることを実感したオスカルは、気を晴らそうと安酒場に行くが、そこでアンドレにフェルゼンの事は心配するなと言われ、心を見透かされた彼女はとぼけるしかない。
彼女は弱さを決して見せない。心の中ではフェルゼンの身を案じて神経をとがらせているのに。
果ては気を紛らわせようと、酔った勢いでおっさんにケンカを売るオスカル。だが、彼女を貴族と知った客は「王妃のイヌ」となかなか手厳しい。いまや民衆は貴族と聞いただけで怒りを爆発させる。だが、オスカルはむしゃくしゃしているのだ。

フェルゼンが帰ってこない!男にも女にもなれない!王室が危ない!
彼女の肩には様々な責任や心配がのしかかる。だが、顔にはそんな悩みなど出さない。もちろん、アンドレにも。
それとこの酒場で、民衆のために弁護士として働くロベスピエールとの再会の場面もある。彼はオスカルより年下なのに、いつの間にかふけていて自信たっぷり。
傍らには新聞記者ベルナールが控えていて、こちらもいかにもひとくせありそう。

 ここで思わずキスしてしまう少し原作とは違うが、ケンカで傷ついたオスカルを連れ帰るアンドレ。
彼はオスカルが女に生まれたばかりに余計な苦しみを背負い込んだことを理解している。
お前は間違いなく女だ…。それは単に、強さ、弱さの事ではない…。
一人の人間として、精一杯生きているオスカル。その中で二つしかない性のうちの一方である「女」ということをアンドレが認識していることに過ぎない。そして彼女にひかれる彼は、二つの性のうちの間違いなくもう一方の「男」なのだ。



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