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第23話 ずる賢くてたくましく!

(1785年〜1786年・オスカル満29〜30歳)

 首飾り事件!160万リーブル!1785年8月15日。ジャンヌ、ローアン逮捕。だが、民衆はジャンヌの味方。ちっとも良くならない暮らしに、民衆は王妃アントワネットを憎んだ。
こうなったのも王妃が民衆を振り返らなかった(公務を怠った)結果である。
自分らしく生きようなんて、支配の象徴・人形アントワネットには過ぎた望みだったのかも知れない。お気の毒に…。
だが、王族のプライド高いアントワネットは、事の真相をうやむやにできず裁判沙汰だ。彼女はまだ自分の不人気を知らないらしい。
 
偽王妃を演じたオリバーを殺せないジャンヌ。彼女も根っからの悪人ではない。まして自分よりみじめなオリバーを殺せない。(このジャンヌが本当にブーレンビリエ侯爵夫人を殺したのだろうか?)
王妃を巻き込んだ裁判は民衆の期待を背負っている。悪いのはアントワネットと王室なのだと力説するロベスピエール、そしてそばにいるのは死の大天使サン・ジュスト(彼はのちに独りよがりなテロリストとしてロベスピエールの心配の種として再々登場する)。

 ジャンヌの逮捕でロザリーは沈んでいる。彼女は姉の向こう見ずな性格を知っている。どんなことでもやりかねないのだ。
オスカルに対して、ついにロザリーはジャンヌが姉である事を打ち明けた。
オスカルもてっきりロザリーが姉をかばうかと思いきや、身内に「あんな姉ですから」と言われたら、ジャンヌはあまりにも立つ瀬がない。きっとロザリーは子供の頃、よほどジャンヌにいじめられたのだろう。
…姉はきっと幸せではないと、ロザリーはなぜだかわかるような気がした。生きるために何か大事なものを失ってしまった姉。
ロザリーはオスカルを介して、母親の形見の指輪をジャンヌに渡す。

 場面は牢獄。ロザリーから託された指輪をジャンヌに届けるオスカル。
強がるジャンヌ。きっとオスカルに対して、あんたみたいな貴族の女に何がわかるもんか、あたしの気持ちが!と、思いつつも、ロザリーの気持ちとオスカルの誠意は伝わったはず。クソ真面目に、囚人に安物の指輪を届ける律義なオトコオンナのことを少しは見直したかも知れない。

 法廷でしらばっくれるジャンヌは、何者より強くなりたいと願っている。神様も私を裁けない、裁かれてたまるかと言う程。だが、強くなりたいというのはどこかオスカルに似ている。
心に満たされないものがあると、人は強がってみるもの。ジャンヌの大暴れに顔色一つ変えないオスカルだが、身分制度の鎖に縛られ、心がつぶれそうなのはひとごとではないのだ。

 さて、証人オリバーの登場で万事休すのジャンヌは、ゴシップを持ち出す。たとえ証拠がなくても、真っ赤なウソでも、だれもが飛びつくネタを。
ジャンヌとアントワネットがレズ。そして、オスカルもレズと言い放つ。
思わず剣を抜くオスカル。
だが、そんなことで怒ると、まんまとジャンヌにのせられる。演出が変わってからのオスカルにしたらえらく冷静さを欠いた行動である。冷静がウリのオスカルらしくない。衛兵隊に行った後のオスカルなら笑って取り合わないだろう。

しかしこれは主人アントワネットを侮辱されて激怒したと信じよう。自分の事より、アントワネットの事を優先する彼女のことだから。
 そのオスカルがあえてジャンヌを褒めている。つまりジャンヌはピンチに強い。なぜ強いのか、オスカルは考えたはず。…生きることにさえ苦労してきた女は、何が何でも勝ちにくる。だから捨て身の攻撃で危機を乗り切る。最後まであきらめない強さ、しぶとさ。彼女はそのために手段は選ばない。ずる賢くて、たくましいのだ。

 1786年5月31日(オスカル満30歳)、首飾り事件の判決。
ローアンとオリバーは無罪、ジャンヌは重罪。
法廷はアントワネットを灰色として閉廷。結局、アントワネットの潔白を証明するには至らなかった。彼女は自分が一体何をしたのかと悔しがるが、何もしなかったのが原因なのだ。結局、この事件によって、アントワネットの不人気は動かぬものになる。
また、彼女を慰めるポリニャック夫人は、その機に乗じてそれとなくオスカルをおとしいれようとたくらむそぶり。

 当のジャンヌは焼きゴテの刑の時までも、アントワネットに濡れ衣をかけようとする。
無実を訴えるおおげさな演技だが、何か信じられるものを求めてみたされない子供のようだ。貧しくて子供らしく遊べなかった、そして心から笑えることがなかったことへの反動…。

 どうしてか彼女には寂しさが付きまとっている。世間をぱあっと騒がせたい…そんな他愛のないいたずら、楽しい遊び。王妃に対する憎しみは民衆の共感する所だ。ジャンヌは悪政に苦しむ底辺の人々と、しばし心を共にしたことだろう。

よく見ると物語中、直接アントワネットに対するジャンヌ(前期は省く)の憎悪は描かれていない。彼女の原動力は実のところ世の不平への怒りではなく、愛情への飢えと言ったらおおざっぱすぎるだろうか。王妃への憎しみさながらの挑戦的な態度は、あくなき抵抗と貴族社会への恨みのように見えるが、それよりも、同じような気持ちを抱いていた民衆との一体感を望んでいたように感じる。

 あたかも王室の犠牲になったかのように巧みに言い逃れをしたジャンヌ。すっかり民衆の人気者になった彼女に会おうと、牢獄へは多くの人々が押し寄せる。その中にはアントワネットに冷たくされた貴族すらいるという。

 罪人に味方する貴族がいると聞き、不思議がるアントワネット。彼女は王室から貴族たちが離れて行った事をようやく知る。
そばに控えていたオスカルはここで初めてアントワネットに意見する。
「貴族がジャンヌに会いに行ったのは、王后陛下の離宮への出入りを許されずに宮廷を去った者たちだ」と、オスカルは絞り出すように言う。だが、それは進言と言うより、自分にそれを確認させる独り言のようだ。
これはアントワネットへの単なる批判で言ったのではない。自分らしく生きようとした女に対する世間の仕打ちがいかに大きいかったか、オスカルは気付いている。

制度という枠の中で息が詰まった女がやむなく起こしてしまった出来事に対する波紋が、反動の大きさが、傍観者のオスカルにさえ重くのしかかる。それでも当のアントワネットは自分の肩に掛かった重大な責任にイマイチ気が付いていないのだ。
彼女が一人の女として生きようとすることは王室の信用を落とすことになるのに、そんな自分の意志を殺さなければ務まらない立場すらよくわかっていない。
そして、それよりもオスカルが疑問に感じ始めていること、それが身分制度・旧体制の在り方。それらへの不満。

アントワネットは自分の幸せを求めてはいけない、そして男として振る舞うオスカル自身も自分らしく生きることすら考えてはならない、そういう現実について。
 だがオスカルはここでも彼女から距離を置いている。アントワネットの保護者ではなく仕えるものとしてのオスカルの立場なのだ。
そのオスカルがアントワネットに対して本当に意見するのは、もっと後半の国王軍のパリからの撤退を申し出る時だ。道を分かとうとする「主人への進言」。それはオスカルが決定的に女主人・アントワネットと別れることを意味する。

将来の別れを予感してか、オスカルの瞳は憂いを帯びる、が、彼女の冷静な顔は悩みも孤独も隠してしまう。
 アントワネットの行動を冷静に見つめていたオスカルが、ジャンヌの事件を通していよいよ民衆の不満と底力を感じ始めている。

 ラスト近く、オーバーラップするオスカルとジャンヌ。
世の不平に対し、徒党を組んで対抗するでもなく、何かを憎み続ける訳でもなく、たたひたすら押しつぶされまいとして強さを求めるジャンヌ。
同じように、男として生きる孤独を背負い、必死で強くなろうとしているオスカル。あながちかけ離れた話ではない。
オスカルとジャンヌ…。社会の隅で孤独を背負った二人の女。今、二人の距離は遠くない。


※後記
物語によくあるテーマ「何のために戦うのか」ということ。その中でも「守るべきものがないのに、なぜ戦うのか」というテーマ。

これらは、そっくりそのまま「人はなぜ生きるか」という永遠のテーマでもある。この回、どうしても内容が重く感じるのは、ジャンヌを通じて「なぜ生きるのか」というテーマがひしひしと伝わってくるから。
オスカルもジャンヌも具体的に守る者はいない。かといって理想論を掲げたりしない。そして、心の一番大事な部分を人に語らず、孤独の中に押し込む二人の女。「何のために戦うのか」という答えは彼女らの生きた軌跡のみ。
ひとつ違ったのは、オスカルにはアンドレという深い理解者がいたことだろうなぁ。

「何のために」という問いは今後も、何度でも繰り返されるテーマだろう。



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