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第25話 片恋のメヌエット

(1786年頃・オスカル満30歳)

 考えてみると、フェルゼンが返って来る時期は原作とは全然違っていたりする。
それにしてもフェルゼンへの恋心の動機がはっきりしないのに、現にフェルゼンの事となると冷静さを欠くオスカル。見ているこちらも釈然としない。

 この後、後期に入るとオスカルのみが主役として取り上げられ、フェルゼンは気の毒だがすでに「どうでもいい登場人物」扱いになっていく。
彼はアントワネットとの恋に傷つき、再びフランスを去り、その後は活躍する場すらない。
そんな最も重要な所で切り捨てられ、主役級からもれたフェルゼンに、オスカルがここまで振り回されるのはどうにも後味が悪い。…フェルゼン自身はいい人なのだが。

 革命前夜アンドレに対し、彼女はフェルゼンに心を寄せたことをすまなさそうに告白しているが、その時に彼女の全てを受け入れているアンドレの「愛情の深さをはかる物差し」にはなったかも知れない。

 さて、そのフェルゼンがフランスへ帰って来たのは1786年あたり(首飾り事件の後なので)。
オスカルの元へ帰還の報告にやってくるフェルゼンに駆け寄るオスカルは、まるで恋に憧れる乙女のよう。それにしても目の前で無視されたアンドレがお気の毒。

 死地をさまよったせいか命の有り難みを実感して、生きていてよかったと言うフェルゼン。オスカルとアンドレの、7年の年月を経ても変わらぬ暖かい友情に思わず涙する。
どうやら彼はアントワネットの元へは行かずに、親友オスカルにちょっとばかり帰還のあいさつに来ただけのようだ。
彼女との恋はもう終わった、会わないで祖国へ帰るつもりだと言われて、オスカルは複雑な顔をする。アントワネットの落胆を思えば我が身のことのように悲しいが、もしフェルゼンがアントワネットの事を忘れたのならひょっとして…という期待もある。オスカル、チャーンス!!

 准将へ昇格したオスカルに対してフェルゼンは、君が女として生を受けたのが不思議だと言い切り、彼女のひそかな恋心なんて全く気が付いていない。ただひとり、アンドレを除いて…。
意味ありげに目を伏せるオスカルとアンドレのセリフなき雰囲気がいかにも恋愛物語らしきシーン。この二人の様子を見ていると実にしっくりとしていて、光と影じゃなくて、常に同じ事を共有している「お神酒どっくり」のよう。

 だが、突然ジャルジェ家を襲った賊(パリの市民?)が彼らの空気を変える。
アンドレとオスカルに案内されて不穏なパリに出掛けるフェルゼン。
そこで彼が見たのは、貧しい民衆とすさんだ人の心。これらは首飾り事件以来、はっきりと王室に反感を持ちはじめた民衆の本当の姿だ。
彼のいなかった7年の空白の間にフランスは少しずつ変わっていたのだ。
今や王室の敵は民衆だけではなく、貴族の中にも王室から離れて民衆と手を組むものさえいると…アンドレは淡々と語る。

 アントワネットは国民に愛されていない。
フランスの現実を見てしまったフェルゼンはやはり愛しい人の身を案じる。
そして王室の危機に、フェルゼンは押し殺そうとしていたアントワネットへの愛情を明らかにし、フランスに留まることを、ひいては彼女のそばにいることを決意をするのだ。

 もし彼女が子供たちに囲まれ、母として女王として充実していたなら、彼はそのまま帰って行ったかも知れない。…だが愛する人は幸せではない。
アントワネットとフェルゼンの再会は、オスカルの駆け寄る姿とは違い、いかにも深く静かに愛し合う男女そのもの。

 主人に忠実なオスカルの事、きっと愛し合う二人の再会を喜んだはず。
しかしそれは同時に、これで彼女の出る幕は完全になくなったと言う事なのだ。
片思いのやるせなさに沈むオスカルは無心になろうとして銃の練習に打ち込む。
渡り鳥はそれぞれ決まった所へ帰って行く…人にはそれぞれ帰る所がある…オスカルの気持ちを知ってか、アンドレは未来を暗示するようなことを言う(アンドレは死の場面も、ねぐらに帰る鳥が登場していたが、彼は鳥のようにねぐらに帰ることは出来なかった男だった)。

 ここに来てやっとアントワネットは再会したフェルゼンに諭される形でプチトリアノンからベルサイユ宮殿に戻って行く。彼は王妃の心の支えだけあって、その方が架空の人物オスカルに説得されるよりは自然かも知れない。

 首飾り事件の教訓をアントワネットは忘れない、そして王妃としての自覚に目覚めることだろう。これからはフェルゼンがそばで見守ってくれているのだから。
祖国さえ捨て、自分の家庭を持つことも出世も全て捨て、静かにそしてセーヌの流れのごとく永遠に想いつづけると誓うフェルゼン。
しかしその後、ルイ・ジョゼフの発病を機に、アントワネットがルイ16世と夫婦の絆を深める所を目撃して、彼は再び身を引き祖国へ帰ってしまう(第33話)のだけれども…。

 とにかく今回の二人の劇的な再会がすんだら、その後アントワネットの出番はさらに少なくなる(最も、ジャンヌの一件からかなり減っていたけど)。
前期では、アントワネットにかなりのウエイトを置いてあったが、この後、彼女が王妃としてどう考え、どう行動したかはエピソードとして深く語られない。

反対に、アントワネットから離れて行くオスカルの身辺を描く方が主体となり、アントワネットはだんだんと感情移入しにくい人物になって来る。
また、この先の黒い騎士事件を経て、民衆側から見た「王室」という描かれ方が増え、アントワネットとオスカルの距離がますます大きくなっていく。
そしてオスカルが革命に向けて民衆側へ傾く経緯が語られ始めるのだ。

 さて、わかってはいてもどうにもならない恋心。オスカルのピアノをたたく指は乱れる。そして、外で馬を洗うアンドレはワラを強く握り締める。だが、彼が握っているのはただのワラではない。彼はその手でオスカルを抱き締めている。…こういう、言葉ではない恋愛感情の表現が中期以降では多いのでお見のがしなく。

 フェルゼンの進言が効いたのか、ポリニャック一族の勢いが下火になり、ついにアントワネットはベルサイユへ帰ることになる。
護衛はオスカル率いる近衛隊。バルコニーから見守るフェルゼンはオスカルを見つめ、「愛する人を頼む」と目で言っているのだが、恋する乙女オスカルにすれば、ただ見つめられただけで頭の中がいっぱいになってしまう。

 そして折りも折り、ベルサイユ宮殿に戻るアントワネットの馬車を狙う過激派の男たち。彼らはすぐに近衛兵によって片付けられるが、最後の一人はオスカルによって朽ちた館に追い詰められる。
そんな緊迫したやり取りの中でも、オスカルときたらボーッと、先程のフェルゼンの笑顔を思い浮かべている。完全にまいっている状態だ。それでも本能的に事態に対処しているのが彼女の恐ろしさかも知れない。
だが、ここでそのテロリストの男は、オスカルの目の前で「フランスばんざい」と言っているのだ。んっ、どこかで聞いたセリフだが…。

 フランスの大部分を占める民衆の為にこそ国家はあるべきなのだと、彼らは思い始めている。身分制度により貴族たちだけが特権を独占する事は間違っているのだと。民衆は虐げられた生活に耐えられず、または自分の信念の命ずるままに自由・平等・平和、といった崇高な理想を掲げて立ち上がろうとしている。テロリストさえ新しい国家の為に命をかけているのだ。

 この場合、テロリストに名セリフを取られたオスカルと言うべきか。
「フランスばんざい」を叫ぶのは正義の者だけではない。時には過激に傾く者も、同じ理想を唱っているのだ。私的には、崇高な理念は諸刃の刃であることを改めて思い知らされちゃったかなぁ。
今はフェルゼンの事で頭がいっぱいで上の空のオスカル、未来のフランスを夢見る男たちの姿をどうとらえていたのだろうか。
この出来事が少しは頭に残っていたかどうかわからないが、後に彼女は、新しいフランスの為に戦う者たちの先頭に立って戦うことになる。

 ところで、ついにフェルゼンを求める心のはけ口が見つからず、頭の中は彼のことで一杯。テロリストの始末をつける仕事に一区切りついたら、ジェローデルに事後処理を任せ、川へ飛び込み、燃え上がる心を持て余すオスカル。よほどフェルゼンの事が好きらしい。

 そして、7年(なのか?)の空白と距離を越え、愛する人の元へ戻って行ったフェルゼンを見て、それでこそ私が愛している「理想的なフェルゼン」なのだと彼女は納得する。だがそれは同時に我が身の恋が実らないことの証明なのだ。
フェルゼンの、一途にアントワネットを想う男らしさを認めれば認めるほど、オスカルの恋に未来はない。

 私は思う。だからこそ、オスカルはフェルゼンに気持ちを傾けたのだと。
結婚対象にはならないから、憧れだけで済ませる事が出来るから、だからオスカルはフェルゼンにひかれたのだと思う。
第20話の解説でも述べたが、そもそもオスカルは主人のアントワネットの想いを自分の想いとして重ねた結果、フェルゼンを好きになったのではないだろうか。
そして、彼女がもしフェルゼンに告白できる状態になっても、彼女はその場でジャルジェ家のことをかなぐり捨てて軍服を脱いだであろうか?

彼女は武人として育ち、あえてジャルジェ家の跡継ぎとなり、フランス王妃を守り、仕えると誓った。その気持ちはいい加減なものではなかったはず。それに貴族の女たちの不幸な結婚を見てきたオスカルに結婚願望があったかどうかすら疑問。
たとえ自分の中の女性としての思考を認めていたとは言え、生まれた時から女として存在できなかったオスカルは、具体的に自分が「誰かの妻となる」結婚という事すらわざと考えなかったように思う。

 結婚願望のない女は、結婚対象にならない男に惚れるという。
ちゃっかり恋愛だけできて、結婚しないで済むからだ。人として生まれた以上、異性に愛されたい、愛したいという気持ちは誰にでもある。ならば主人アントワネットの「カレシ」に対して密かに恋心を抱いてもおかしくない。いつも間近に見る事ができて、主人アントワネットと共に感情移入できるからだ。
そして、フェルゼンなら完全にアントワネットのモノで、その完璧なまでの愛し方を観察できるわけだから、ちょうどテレビドラマで理想の男が出てきた時のように客観的に観察・採点できる。

それに性格的にもフェルゼンはオスカルを男より男らしいとほめているし、オスカルはフェルゼンを何という男だと感心しているし、タイプとしては似た者同士。自分にないものにひかれるという世の常からは外れている。
よってオスカルは軍服を着ている以上、自分には出来ない恋愛をアントワネットに感情移入させることによって「疑似恋愛」していたように思う。
それとオスカルがもしも男だったら、きっとフェルゼンのようになっていたのだろうし、「自分の男としての分身」として彼を見ていたのなら、そんな彼の男の体がうらやましくて気持ちが傾いたという部分もあるだろう。

 またオスカルとアントワネットは、フェルゼンの事で秘密を共有している。
そしてオスカルは、フェルゼンとも男同士のような堅い友情を持ち続けているのだ。
この三人はアントワネットとフェルゼンの恋を通じて、三人だけの閉じた世界ができている。もちろんオスカルは二人の傍観者であるから、彼女に現実得るものは何もないのだが、その世界は不自然ながらも秘密を共有することによって安定しているのだ。とりあえず安定している位置にいることは居心地がいい。
オスカルが片思いをかかえたまま、この三人の世界(三角関係)に留まっていたのは安定していたからだと思う。そうやって、異性を求める気持ちをフェルゼンにのみ向けることで自分の気持ちをだまし続けていたのではないだろうか。

男にも女にもなれないオスカルは異性にも愛されず孤独なはず。そして自分の女らしい気持ちを押し隠すために余計、武人として主人とフランスのためと、気を張ってきた。
彼女のこれまでの人生は、普通の人以上に、人から押し付けられたものをこなしてきたもの。
言わば、人が(父が、王妃が)あってこそ成り立っている。生まれたときから義務を背負い、人から与えられた人生を歩むことでしか存在出来なかった。

「男として」という条件付きの愛情しか向けられず、アンドレ以外に誰がありのままの彼女を愛したのだろうか。
今までは、ふと立ち止まり自分は孤独だという事実を振り向かなかった彼女。
独りきりになると、女として誰かに愛されたいという気持ちが押さえ切れなくなる。…彼女はその感情が出てくることを「意志の弱さ」とみなし、そう思い込んで必死で押さえ込んできた。
何かに打ち込み、常に責任と軍服をまとう事で、彼女の心は裸になることを避けているのだ。

自分が誇りを持ってきた軍服をつらぬく意志のために、切り捨てようとする女としての感情。そのためには何かに集中できる義務や責任を持つ事が、彼女には必要だった。
それにフェルゼンとアントワネットと同調することで独りにならずに済む。
もし、この三人の調和の世界が崩れるときは、別れの痛みを伴うことを意味する。痛いことは誰でも避けたい。

 これまで三人で共有していたと自分に思い込ませていたのは虚構の世界に過ぎないのだ。
現実に、愛し合っているのはフェルゼンとアントワネットの二人である。そして彼らから見ればオスカルはあくまで部外者で、自分の心を打ち明けないけど真面目で冷静な信頼できる人物。だが、人を愛することすら拒んでいるような、男なのか女なのかよく解らない生き方をしているつかみどころのない半端な人物に見えたことだろう。

これでは、深い絆に結ばれて再び再会した恋人たちと、オスカルとのギャップはますます大きくなる一方だ。
オスカルにしても丁度この時が、オスカルが女としてフェルゼンを愛した事を認め、もとい、女として異性を求める気持ちを一人で胸に押さえ切れなくなったピークだっただろう。
オスカル自身がこの虚構の世界では満足できなくなって来た事。自分の気持ちをごまかし続けることへの限界。
オスカルは、安定を求めるために自分で作り上げた三人の世界から、いたたまれず飛び出して行くのだ。

 そこで、愛するフェルゼンに女として認めてもらいたい!!
オスカルは最初で最後の女装を(?)決意する。
しかしこれは自己満足のためのドレスである。彼女が愛したのは実物ではなく、彼女の心の中における「理想の男性像」フェルゼンにすぎない。

 では、オスカルがフェルゼンと踊ったのはいつ頃か?
彼女が衛兵隊に行ってからはそんなに長い年月が経っていないようなので、革命から逆算して4月1日付で配属と言っていたのだから、衛兵隊への配属は1788年の春が妥当。
その少し前にジョゼフが病に倒れ、その近辺でフェルゼンがオスカルに「ひと月前になぞの貴夫人と踊った」と言っているので、彼と踊ったのは1788年の新年頃か。アンドレがオスカルを連れて勉強会へ行った時、雪が降っていたのでやはり寒い時期。それにツワイクの本によれば、ジョゼフが発病したのが1788年とある。
だからオスカルがフェルゼンの事を思って川に馬ごと飛び込んで(1786年頃)から、次のシーンでドレスを着るまでに2年経っていることになる?

 さて、舞踏会で流し目でフェルゼンをさそうオスカルに、フェルゼンもついふらふらと誘いに乗ってしまう。優雅に踊る二人なのだが、どうやらオスカルは男でも女でも、どちらでも踊れることに私はびっくりしてしまった。

 フェルゼンはオスカルを腕に抱いたまま、彼女のことを私の美しい友達と言い、いかにも彼女を恋愛感情抜きで(トホホ…)尊敬しているのがわかる。
そして、オスカルは仮の姿とはいえ、彼の腕に抱かれたことによって女として認めてもらったので、恋をあきらめる決心をする。これで安定した虚構の世界ともサヨナラ。
早くあきらめないと仕事に尾を引きそうだし、生真面目オスカルは私情で仕事に支障をきたすことを何より恐れたはず。

でも、いくらドレスを着てもオスカルはオスカル。後ですぐにばれることを彼女は想定していたのだろうかか。恋心をあきらめるために、早期決着を付けたかったのかも知れないけど、フェルゼンもバカではない(オスカルのドレス姿はファンサービスというのは定説?)。
…自分の不安定な立場をいつまでもごまかしていられるものではない。男にも女にもなれない自分の立場を。
 
彼女は虚構の世界の安定にいるより、そこから離れて、ようやく自分の心に向き合いはじめたのだ。たとえそれが自分が思っているよりちっぽけで弱い人間であろうとも。
そして男のように猛々しく強くあろうと何度も言い聞かせているはずなのに、心の中はそれとは全く逆の、人を思いやったり事象を受け入れる寛容な思考があるのだということ。

仕事が、王妃警護の任務があるからと、目先のことで自分をいつまでもだましていてはいけない。オスカルにはオスカルの自由に飛べる空があるはず。
男として育ったために封印していた女としての思考を、彼女はこれから解き放っていく。だが、最初は何でもそうだが馴れるまでが大変なのだ。



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