アニメ版 ベルサイユのばら 徹底解説>HOME

第36話 合言葉は〃サヨナラ〃

(第35話のおさらいと第36話への導入)

 前回のアップから1年近い日々が過ぎて行った。
その間、アニメ対談(2002年3月現在・進行中)に思考を集中していたのだが、自分自身の「アニメ・ベルばら」を見つめる視点について色々と考える機会でもあった。
ちょうど36話からは革命の話ばかりになりそうなので、ちょっとここで一休みして今までのお話のおさらいをしてみようかと思う。

■後半に入ってからのオスカルとアンドレの関係と、人間関係についてのおさらい■

 ついにジャルジェ父に宣言してしまったアンドレ。
前回(35話)の騒動のさなかも落ち着いていた彼は、オスカルを助けに入ったときから冷静そのものなのである。
以前、オスカルに「乱暴なマネは二度としない」と誓ってからこっち、彼は飢えた狼というより、彼女のそばで見守る役に徹しているのだ。
ここでのアンドレの行動のチェックとして、オスカルが好きだ!彼女を連れて逃げる!というせっぱ詰まった告白だけではなく、身分制度そのものへの疑問を父に対してきっぱりと意見しているのが重要なポイントである。

 オスカルもアランたちを助けるまでは死ねないと言い切っており、まるでジャルジェ父は一度に二人を相手にケンカしているようなもの。
アンドレがオスカルを助けたといういう事より、成敗騒動はいつの間にか二人の互いに固い決意の元、父に対抗するという話に発展してしまっている。

 結果的にオスカルとアンドレを救い、引くに引けない父を救ったのはアントワネットだったわけで、原作のようにアンドレによって助けられたという旨のオスカルの告白シーンにはつながってこない。
確かに原作でのクライマックスシーンだけに、ここはベルばらの見せ場なのにぃ〜と一度は思ったものの、舞台のように見せ場をちりばめてある原作と、時代の流れが色濃い鳥瞰図的なアニメでは見せ場が違うのかも知れない。
あの展開では、部下が銃殺刑になりかけている時に、これ以上自分の恋愛沙汰でゴタつくこともオスカルにははばかられたであろう。

 さてその後、ベルナールとの密約に単身で動いたオスカル。
話の流れからして成敗騒動の翌日の昼間(であって欲しい)。
彼の家に行かなかったのは、ロザリーとの再会エピソードを省略するためか、あるいはオスカルとしても危険な計画を彼女の耳に入れて心配させたくなかったのかも知れない。(私服で行ったのは前の馬車襲撃の一件でこりたせい?)
ここでもアニメではアンドレは「お供」という図式はないが、ベルナールに会う段取りをつけたのはアンドレじゃなかったのかなぁと思う。

 ひょっとしたらこんな裏で動くより、アントワネットに彼女が直接アランたちの命乞いをしていたら、上手くいっていたかも知れないが、今さらいつ寝返るか知れない身の自分から、そう都合良く頼み事が出来るほどオスカルは要領のいい人間ではないと思われる。

 とは言えアベイ牢獄包囲の画策の事実がばれたらオスカルは命はなかったはずで、アランたちの釈放は、自分が責任を持ってやらなければならないと決意していたし、無血で事態を何とか良い方へ向けたいというオスカルの、時代へのささやかな抵抗だったのであろう。
又、ベルナールを介して、オスカルとロベスピエールの動きが連動しているのも「人間関係」のおもしろいところ。

 しかし特筆すべきは、この件でオスカルは民衆を動員して、有事に対して彼らが団結するということを実行させてしまったと言うこと。
犠牲を出来るだけ出したくないと言うオスカルの信念と行動が「民衆に団結する事」を覚えさせ、皮肉なことにやがて王家を追いつめていくことになる…これをオスカルの責任というのか、時代の流れの悪戯というのか、判断はそれぞれにお任せということにしておこう。

 では、しばし衛兵隊の転属の時期へさかのぼってみよう。
供はしなくていいと、オスカル。誰にも黙って屋敷を飛び出し勝手に衛兵隊に入ったアンドレ。オスカルとフェルゼンとの破局は、オスカルとアンドレとの関係も変えた。
幼なじみとして一緒にいることからそれぞれの「個」への独立。自立といってもいい。
衛兵隊に入ってからの二人はお互いに独立しあった二人としての再スタートとなった。

 どちらかと言えば私は、オスカルに手が届かず悶々としていた原作アンドレに慣れてしまっていたので、アニメの彼の悟りの境地(?)に近い気持ちがなかなか理解できなかった。
「歩き始めた人形編」でいきなりオスカルにシカトされ、ジャルジェ父にイヤミを言われ、ぐうの音も出ないアンドレ。
下手に手を出してオスカルの気持ちを傷つけることは自分の望みではないはず。では自分の目的は何だったのか?…この時は非常に苦しんだと推測する。
そして最後に導き出した答えが「俺はオスカルのそばにいよう。そして見守って支えていこう」という決意。
これはアンドレがアコーディオンのおじさんに「愛し合うのは心と心」と励まされたことが大きく影響している。

 「力」でオスカルを征服しようとしたこと、これはオスカルにとってもかなりのショックだったに違いない。彼女の痛みを思うと、男として彼なりの誠意を尽くそうとしたのが「相棒」として徹することだった、としてもおかしくはない(そのため、後日オスカルがアンドレを愛していることを気付かずにきてしまったと後悔しているが、それも彼の気遣い故に…とも言える)。

 そして結局、先に心を決めたアンドレが二人の恋愛をリードすることになっていくのだ。
悶々とせず、あくまでオスカルをサポートする相棒役を演じるのだ。そのせいか、もののみごとにアニメでは「悶々アンドレ」のシーンは無いっ!
確かに「愛している」と言われ、もう幼なじみではいられなくなった時から、オスカルは否応なく「私にとってのアンドレとは?」を考えさせられたに違いない。
アンドレの気持ちは表面的には「出さない」とは言え、すでに固まっているのだ。反対にオスカルは、彼に対していつか自分の気持を整理しなければと、彼を意識せざるを得ない。
そうすると衛兵隊に入ってからは、オスカルの告白待ちとなり、彼女はアンドレをずっと意識している状態が続く。

 アンドレがそばにいるだけで余計に頼れない、余計に自立しようとしてしまうオスカル。
本当に頼りたい人に対して、とことん頼らずにおこうとしてしまう。
こんな不安定な二人を見ることは、こちらがはらはらしてしまうのだ。
というのも、原作では悶々としているアンドレを見ることは、女性の立場から言うと「女が優位」に立っていた。女性の読者にすれば、オスカルのために身もだえるアンドレより、アンドレを身もだえさせるオスカルに同調する。

又、彼女の告白は突然だったので、いつ告白しよう?いつそう言う関係になろう?という女としての心の葛藤は読者もせずに済んだ。
アニメでは自分の生き方を先に決めたアンドレが、恋愛では一歩先に出た有利な立場。
もちろん、最終はオスカルの返事待ちなので彼女の意志が全てなのだが、アンドレったらまな板の鯉ながら落ち着きすぎ!!

 結局、アンドレの気持ちに追いつくオスカルという図式になる。もちろん、オスカルが悶々としているシーンもない。が、ちらほらとアンドレを意識しているシーンで、この図式が見えてくる。
アニメを見ていて二人の関係にハラハラしたのは、決して悶々としないアンドレ(陰ではどうなのかは知らない)に対し、オスカルがいつ告白するか、同じ女性として見ている側が落ち着かないのだ。

 又、オスカルが結婚話を持ちかけられた時、ジャルジェ父の命令に顔色一つ変えず、本人の前ではじっと耐え、オスカル自身の選択を「良し」とみなしていた(のか?)アンドレ。
決して、自分の気持ちの高ぶりによって彼女を傷つけてはいけないという誓いを、そこまでして守るのか?アンドレ。いや、葛藤はあったはずであろう。
逆に何にも言わないアンドレにムッとしていたオスカル。きっとやきもきしたであろう。

 原作ではアンドレの熱い想いが高じて、毒殺未遂とか身を持て余す彼の独り言が多いのだが、アニメではアンドレが先に自分のあり方を決めていたためか、逆にオスカルのほうが彼との仲を「どうしようかなぁー」と揺れているのである。
オスカルに対して義理堅く友情しか示さないアンドレに対し、オスカルが追いかける図式という解釈もできる。
結局オスカルがじらされた形でアンドレを受け入れようと決意したため、彼女はその時が来ても、きっと「こわくない」と思ったに違いない。

 また、オスカルの返事待ちならば、彼女がアンドレに告白した時点で二人は即座に結ばれてしまう可能性が高い。
愛しているとオスカルが切り出すことは、即、準備OKということなのだ。
これでは下手にジャルジェ父に成敗されかけた時に彼女が切り出してしまっていたら、二人のさらなる関係は7月まで待てなかったであろう。告白が原作より遅れたのはそのためかも知れない。

 原作との描かれ方の違いでいくと、結ばれることを熱望してやまないアンドレを主体に描いてあったのが原作、アンドレの愛情をやがて受け入れるオスカルを主体に描いてあったのがアニメ。逆なのだ。
ぶっちゃけていうと、アンドレがまず望み、そして彼が望むなら…というオスカルの気持ちを感じるのが原作。ちょっぴり初々しい。
アンドレの望みと言うより、オスカル自身の期が熟し自ら誘ったのがアニメ。…だと私は思う。うっ!そう考えたらアニメのオスカルって積極的だったんだ〜!

 さて、私の妄想入りまくりの二人の恋愛模様とは別に、アニメの画面からは淡々とした二人の関係も見て取れる。

 オスカルにはアンドレに対して「どうしようか」という気持ちとは別に、士官としてこの時代にどう対処しようかという現実を見つめる顔がある。
特に第36話のオスカルは士官としての行動が大半を占める。もしバルコニーでのアンドレとの一部微妙な会話がなければ、オスカルは恋愛抜きの一士官として描かれているといってもいい。

 何度も重複しているが、アニメ版は自立した関係が描かれている。
後半、オスカルは独り居て考えていることが多い。アンドレに頼った形跡もない、婆やにお酒を止められている場面もない、ただ、病気にむしばまれている。
夕暮れの司令官室は嵐の前の静けさそのもので、彼女の心の中では自分が何をすべきか、自分が歴史の中でいかにそうしなければならない位置に巻き込まれてしまっているか、考えると言うには選択肢が他に見つからないがんじがらめの現実を、独り静かに受け止めているようだ。
多分、アンドレは秘書のようにオスカルの司令官室に常駐していなかっただろうし、あの厳しい目の奥で、アンドレとの甘い将来を考えるほど事態は甘くないことは分かり切っていたであろう。

 確かにこの物語の中で、オスカルとアンドレのつながりが「見所」という意見は多いと思う。
二人が世紀の一大恋愛をし、運命の二人だったと思いたいものである。
ただ、エンディングにもあるように、(運命的に)離れられない二人の絆というものは、現実は理想なんだと思う。
現実の世の中では裏切られたり傷つけたり、なかなか強い絆を作ることは難しい。それでも信じられる物を「ベルばら」という架空の物語の中に見つけだしたい気持ちがあるのだ。
特に、この二人にこの強い絆がそなわっていたら良いなというファンの願いもある。

 でも現実には「絆」って自分たちの努力で作っていくもの。
簡単そうに見えて、実はこの地味な……絆を継続させるという作業は生易しいものではない。絆は知らぬ間に妥協とか諦めにすり替わってしまうのだ。
当然、オスカルとアンドレが絆を持ち続けるには努力がいるはずだし、もしアンドレがどこかの時点でオスカルを諦めていたら、二人の関係はあいまいなまま終わっていたかも知れない。

 オスカルは時に厳しい顔をして、司令官室で独り何かを考えている。この時、自分の体の具合とか、世相についても最悪の事態を想定して、何かをせねばと決意している様子が見て取れる。
又、アンドレもベルナールの集会に行っている、それも自分の意志で聞きに行っている。本当はベルナールの仲間に入りたいのかも知れない。でも彼はそうしない。
オスカルとアンドレは一個人としてバラバラに行動し、別々に考えている。ついでに言うと、オスカルは貴族側と接触し、アンドレは平民側と接触しているのだ。

 特に物語ではキャラクターの行動全てが描かれることはないので、これは推測なのだが、アンドレがオスカルの居る司令官室に頻繁に出入りした形跡はない。
行ったとしても、上下関係としての形式的なものであっただろうし、又、政治的な会話を二人が交わしたかも不明である。
実際、アンドレとオスカルにも別の世界がある。
冷たいようだが、大人とはお互い自分の責任下で行動するものである。自分に責任が持てなくて、他者との間柄に責任が持てるはずもない(実はこれも難しい)。
元々この二人は身分も違うし、一緒にいても生きてきた視点は違うはず。もしかしたら、この先の動乱でオスカルとアンドレの考えが食い違い、たもとを分かつことだってあるかもしれないのだ。

 そんな二人が、実はいろんな壁を越えて信頼をしあっているというだけで、何かホッとするのである。あれだけ別々に行動しているのに、一緒にいる時は違和感なく自然に接しているし(毎度お邪魔なお目付役のアランも一緒だが!)、多分何か問題が起きてもうまく乗り越えるだろうという安心感がある。
そう、この二人を見ているとお互いが「絆」を持ち続けようという「努力」が有ったんじゃないかと感じさせられるのだ。

お互いに気を配ったり、相手を尊重したり、勤務中は上司と部下というように一線を引いて接したり。この何気ない「けじめ」みたいなものは、結局、互いが絆を継続させようとする緊張感と努力のたまものだったのではないだろうか。
 それを今時「思いやり」と言えばダサいかも知れないけれど、二人の関係は「恋愛の世界」に閉じこもることだけではなく、もっと根本的な、人との関わり方・接し方みたいな物を感じるのだ。そう言う意味でこの二人は心が強いというか、絆(関係)を大事にしていたんだなと思う。

 確かに「運命」や「世紀の大恋愛」という言葉の響きは美しいが、二人の保ってきた微妙な距離は、これらの「きれいな言葉」では気恥ずかしくて語りにくい。
しかし、相手を思いやる気持ちをこれらの言葉で片付けてしまうのは反対に非常にもったいないと私は思うのだ。彼らの「努力」や「思いやり」という地味な行為も評価してあげたいのである。
なぜなら、「世紀の大恋愛」ではなく、毎日を地道にこなしている二人に私は共感したのだから、アニベルの二人のやりとりが、かえって地味で平凡なものでよかったと思う。

 ラスト近くでオスカルがアンドレに「生まれてきて、出会って、そして生きて、本当に良かったと思いながら…」と、切々と語りかけるシーンがある。
本人たちに取れば、自分たちの関係はごく自然でありきたりで平凡な物だったであろう。
どうにも男女の仲については不器用で普通すぎるほどの二人には、劇的な恋愛の盛り上がりが似合わない。
 あまり特別でなくてもいい、豪華でなくてもいい、世紀の恋愛という先入観を捨てて、二人の関係をここまでシンプルな状態に私の頭も一旦白紙に戻し、そこから二人の恋愛を考え直してもいいかな、と今は思う。

 ラブラブが少ないついでだが、あの森の中でアンドレが「屋敷に帰る」と言っていたら、きっとあの二人はそのまま別れていたと思う。(まずあのアンドレがすごすご屋敷へ帰ることは100%無いが)
もし、アンドレがパリへ行くことを渋っていたら、オスカルはアンドレの意志を尊重して「好きだ」とうち明けることも彼の負担になると思い、何も言わずに済ませていたであろう。
可愛くない性格の彼女は何事も誰にもとことん頼らずに自分一人で処理してしまおうとする(ベルナールの元へ単身会いに行くのもそうである)のだ。

 しかし、私はそんな精一杯つっぱっているアニメのオスカルが好きなのである。
相手のことを最大限に考えることは、甘い言葉ではなく、「相手の負担にならずに問題や悩みを自分で背負い込んでしまう事と思いこんでいる」あたりは、逆に相手のことを必死で考えている裏返しでもあり、とてもいじらしい。
特に、自分がアンドレを愛していると伝えることで、(自分に余命がない・いざとなったら戦闘に参加するetc)彼を余計に傷つけてしまったら?とそこまで…とんでもなく相手を気にしている(思いやっている)女性なんて希少価値である。

 アンドレについても、特に原作からのイメージでオスカルを陰で支えているという印象が強いが、アニメのオスカルは不安な情勢の毎日を、アンドレを心の支えにして生きていない。いや、少なくともアンドレに依存するシーンがない。
もしオスカルがアンドレを好きになった事にある日気がついたとしても、やはり自分の立場からして職務を先に優先させていただろうし、彼に色んな意味で迷惑をかけまいと、平静を装う可能性はある。

 ただ、オスカルはアンドレに対してふと気がついたのだと思う。こんなに静かに私を愛している人がいると。彼だけは強い気持ちで私を愛してくれていると、ひょっとして私の全てを受け止めてくれるはずと……。
彼のオスカルを信じる気持ちの強さが、普段から「好き好き」とヨイショしてくれるより、彼女の心に響いたんだと思うのである。
少なくとも彼を愛している自分に気が付いたときからは、彼女の心の支えはアンドレであっただろうと思う。

 アニメではオスカルが言っているように、フェルゼンへの想いを自分からあきらめた経験をアンドレに当てはめようとしたり、服を破られたことでアンドレの男の腕力に驚き「私はアンドレの激情を受け止めることができない!」とビビったり、果ては「人に寄りかかってしまうのが嫌だ」という恋愛に発展する事からの「逃げ」の姿勢を感じる。
そんな「人を信じることと、人に依存することは同じ」だと思っていたオスカルが彼によって変わったとしても、私はそれでいいと思う。
それがアンドレの力だったのだし、彼女を気づかせたことで彼の想いも報われたと思う。

 そう言えば、アンドレがパリの巡回にオスカルを呼びに来るシーンがあるが、咳き込む彼女を見るなり、アンドレが「隊長」ではなく個人的な呼称「オスカル」と呼んでいる。
オスカルはとっさに風邪と言い訳していたが、ここぞとばかりに「まかしとけ」と笑うアンドレがいかにも彼らしく、まかせるオスカルの様子を見ても二人の関係は(互いに男女という意識を脇へ置きながらも)自然な感じである。しかしアンドレが彼女の顔色さえ見分けられないのがつらい!
この、さりげない二人のシーンは、超地味ながらファンへのサービスシーンと見てよいだろう。

 又、アンドレも自分が抱えている問題を自分一人で抱えるタイプ。親しいアランにさえ、自分から進んで悩みや不安をうち明けることもなく一定の距離を置いている。
けれどアランの心の友となり、ベルナールさえ一目を置いている。どうやら彼の存在感は内面からにじみ出るものがあるらしい。
存在感と言えば、彼はオスカルとの「からみ」がとことんないままなのに、なぜか存在感があったのは、自分の意志で衛兵隊に入ってしまったり、その場でオスカルと言い合いになり、「お前を守れるのは俺だけだ」と言い放ったことにある。

 ナニを守るねん?と、昔のおバカな私は思ったのだが、彼にすれば些細な事から、いざとなれば命をかける事までという、彼のたいそうな決意を有言実行したのであろう。
真面目すぎるオスカルのために、「仕事上」という形で一緒に居られるように手順を踏み、衛兵隊に潜り込んだアンドレが一枚上手だったというところだろうか。
自分自身で存在価値を作り出しちゃったアニメのアンドレは非常に男らしいのである。

 それと、アンドレのプライドにかけて弁明するが、後半のアンドレの顔は非常に描きにくい。何度描いてもものすごくバランスが微妙で難しいのだ。
かなり古い作品ながら毎週放映の30分アニメとして、作画のレベルがあれほど保たれているのはファンとしても嬉しい限りだが、やはり時にはやむを得ずムラが出る。
アンドレは特に少しでもバランスを崩すと顔が縦にのびてしまう。すると、どうしても馬面になってしまうのだ。そしてまた、バランスが崩れた顔ほど、妙にファンの印象に残りやすい。

私は第30話でのジャルジェ父狙撃事件で、オスカルが泣き崩れたところにそっとハンカチを差し出すアンドレの顔が一押しだ。
皆さんにもぜひ、この顔を正規の顔としてインプットしていただきたい。(^^)



2002.3.14.up