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     アニメ版 ベルサイユのばら 徹底解説>HOME

第38話の前置き



 さてこれからしばらく、38話の解説までに色々と前置きが長いのだが、この前置きは「従う」発言を色々な角度から考える頭の体操として捉えていただきたい。
実際の所、オスカルは女だから戦ったとかどうしたとかいう事にはこだわりたくはない。
どちらかというと、オスカル自身の行動から、彼女の無言の意志などを自分なりにまったりと語ってみたいのが本音である。

ただ気になったのは、過去にこの「従う」発言を巡る解釈で、「オスカルはアンドレに従うと言って、我が身を委ね、自主性もなくして夫に従った」という見方があり、これがあまり良い意味では使われなかったらしい。

夫を失ったオスカルが夜の町をさすらうさまがいかにも悲劇的であり、アニメ版ベルばらの泣きどころの名場面として有名なのだが、「夫を亡くして生きる目的も無くし、路頭に迷う新妻オスカル」という悲劇の盛り上げによって、かえって原作ファンから見るとオスカルの意志がないのではないか?何も考えずにバスティーユへ行ったのではないか?という疑問があったのではないかと思う。
確かに悲しい物語を見て涙を流すことはストレス解消ではあるが、悲しいことで泣けたとしてもこれは感動の涙ではない。

もちろん、感動したからこそこんなに長々と解説を書いているのであって、私としては「オスカルはアンドレの死によって目的を失った」とは思っていないし、悲しいだけの物語だとも思っていない。
というところで、そもそもファンが疑問に感じた原因とも言える従う発言について考えてみることにした。

*********

 兵士たちに決意を語ったオスカル。
大貴族の跡取り、そして一人の女。兵士たちとは全く違う生い立ち、境遇。もしオスカルが近衛隊にいれば、彼らとは接点すらなかったはずなのだ。
そして女としてアンドレに我が身を委ねて甘えたい気持ちと、自らの意志で先頭に立って戦わなくてはならないという決意のはざま。無言のオスカルの心中はどのようだったのか。

 身分制度に対して立ち上がった民衆を守りたい。…弱者を守る、その為に彼女は強くなりたいと願って来た。その気持ちを兵士たちに伝えるために、オスカルは素直にそして謙虚に語り始める。
「私は彼に従う、夫の信ずる道を共に歩く妻」と。
たとえ万が一それがもし建て前であるにせよ、高い立場にいた者はおごらず謙虚な態度を示すほうがいいと思ったからであろう。

もちろん彼女は嘘ではなく、本当にアンドレに対して謙虚であろうとしていることは建て前ではない。
実際の社会の中で、特に女であることは、自分の意志を持っていたにせよ自分一人が前面に出ることは夫をないがしろにしていることになる。世の中の空気を読んで行動するので有れば、女は常に女の立場をわきまえている必要がある…というのが現実だろう。

 このあたりのオスカルの行動を通じて、原作者とアニメ制作者の訴えている意図が微妙に違うのではないかと思う。この違いがアニメ版を好きになれるかどうかという大事なところでもある。(念のために言っておくが、アニメは男尊女卑を助長することが意図ではない)
原作ではオスカルの意志がストレートに表現され、その迷いもない決断と行動力が魅力でもある。一方のアニメではオスカルの沈黙こそが魅力である。

増して世の中の流れを知るオスカルの事、いまや対等な夫婦として、彼女は何より大事な夫を差し置いて上司の立場に固執しないであろう。それにオスカルがたとえ自分の意志を見せずに「従う」と言っても、実は彼女にはてこでも動かせない「固い意志」があるのは誰の目にも明らかなのだ(原作に似ているのはこの頑固なところかなぁ?)。

そうでなければ、従うと言った時点で兵士たちはオスカルを戦闘の指揮者から外すであろう。
まず、今までの彼女の働きからして、兵士たちはオスカルが平民のために体を張って来たことを、真実として受け止めていたはずだ。今更、どんなにオスカルが自分の意志を隠して「私は夫の言いなりになる人形です」と言った所で、兵士たちは言葉をそのまま信じまい。
彼女の言う「従う」は「夫と私は同等です」という意味であり、「夫の信ずる道を共に歩む妻」は「夫婦の歩む道は同じ」という意味である。

と、言うのが、もしオスカルが兵士たちの前で自己主張すれば、元々、一歩引いているアンドレが、彼女の従者になってしまう恐れがあるのだ。オスカルにしても夫のプライドは立てたいはず。そこで彼女(上司)は、夫(部下)へ尊敬を証明するために、男たちの目の前でアンドレを立てたのだ。
それがアンドレを苦しめ続けた彼女のせめてもの罪滅ぼしであり、誠意である。

 とまぁ、こう言い切ってしまうとこの不景気な時代に必死で働いている男性方には非常に申し訳ない。世間一般の言葉で言うと「男のプライドを立てられない女は思いやりがない」と言うところだが、解説のために少しばかり女性本位な書き方になっていることを考慮願いたい。
事実、男がヒマで何もしないで男は女より偉いと言っているのならムカつきもしようが、激務との戦いに毎朝飛び出していく大多数の男性は決して楽をしているのではない。
従うのも楽ではないが、プライドを持ち続けて家族を養うのも楽ではない。

何せこの解説を書いたきっかけ自体が「アニメ版ベルばらは男性本位ではないか」という疑問について考えたかったからである。
アニメ版ベルばらは男性か作ったのでこうなったのだろうという考えで解釈されがちなので、一旦、振幅を戻して、女性から見た(女性が作った、あるいは制作者の性別が不詳と仮定した)アニメ版のベルばらという見方も含めて考えていくことにした。

私は女性本位であった原作の、女性本位な部分を取り除いたのが「アニメ版」だと思っているが、それが即、男性本位に描かれたと結論付ける気はない。
なので、アニメ版について頭から「男性本位」と位置づけて解説することは避けた。
ただし、反対に原作について女性本位と位置づけているのは私の思いこみが主であることは間違いないし、あの描かれ方を良かったと思いこそすれ、批判する気は全然ない。

原作が女性本位と思うのは、世間に対しても女性だからと言うバッシングや風潮にもめげないオスカルの立場があくまで絶対であり、恋人に対しても男女の立場が逆転したかのように主体性を持ち続けていたからだ。
言ってみれば現実の社会ではあり得ないほどの高いポジションにオスカルがいたという所が、「原作は女性本位として描かれた」のではないか?という考えなのだが、実のところ少女時代の私ははそんなオスカルにあこがれたのだ。

彼女の姿を追うにつれ、女性はカレーライス福神漬けのように添え物的な生き方をしなくて良い、自分に主体性を持てばよいと気付かされ、かつて勇気づけられたものである。

 話は戻って、一方、本音で生きて来たはずの兵士たちも、実は「男は、女より強くなくては男ではない」という男社会の「たてまえ」の中で生きている。夫を立てようとするオスカルの誠意と、彼女がこれからどうしたいかという真意を充分くみ取ったであろう。
どんな言い方をしても、彼女の欲のない「名もない民衆を守りたい」という気持ちは明らかなのだ。

共に歩もうと誓い、夫に従うと公言した妻以上に、妻に尽くすであろう夫のアンドレ。
実際、二人の間には主従関係はない。
もし、オスカルに盲目的に従われたら、一番迷惑をするのは彼自身である。
むしろここで言葉として彼女から語られた「従う」は、どちらかと言えば「この場は私の心の命ずるままにさせて欲しい」というオスカルの真に迫った説得なのだ。

 だが、やはり言葉は記号である。「従う」という言葉そのものの中には、「服従」という意味も含まれているのだ。
守ってもらいたい甘えから「従う」行為は受け入れられても、「従う」という言葉(記号)になったとたん、「従う=服従」という現状を女が受け入れるべきだと強要されているように感じてしまう。
それは大げさに言うと、広い意味で女性が服従を強いられて来た歴史であり、女性の地位向上のためには発言を控えるべきセリフ(禁句)かも知れない。
そういう「男女不平等」といえる言葉をオスカルに語らせたこと自体を、消しゴムで消し去りたいという意見もあると思う。

 女性が表面上、男性に折れることは今のところ現実に女性に求められていることである。
その現実を受け入れるか、受け入れられないかという事は、さらに、自分が女性であることを受け入れるか、受け入れられないかの問題まで発展するのだ。
いくら監督が男だからと言って、このセリフが論争にならないはずがないことは承知の上だと思う。

多かれ少なかれ女性は、オスカルが「従う」と言ったことで、普段は意識の下に隠している「女であることの失望」を突き付けられるのである。この現実を直視したくない者にすれば、「人に従わない、絶対主体性の女・オスカル」を使って、女の失望を語らせたことが許せないという意見もあるだろう。
だが、女なら一度は味わう、「女であることの失望」を乗り越えるのは、傷付くことを恐れずに、現実に立ち向かう前向きな姿勢であり、経験の積み重ねによって身につく自信である。現実への不平不満を漏らすだけでは解決しない。

「愛するものに従う」ことを信じて貫くことも、実はすごいことなのである。
オスカルもそうすべきだと言うのではないが、そう言うひとつの女の生き方を拒絶せず、同じ女性として認めあうことも大切なのではないかと思う。
どちらかというと、オスカルに長生きしてもらうためには、この場でアンドレに従ってどこかに身を隠してもらっていた方が良かったのかも知れない。あ、もちろんその場合はベルばらではなくなってしまうのだが…。

 又、「従う」に拒絶することが女の自立だとする考えは、かなり範囲の広い言葉であり、全てが同じ考えとは言えない。
本当に不平等に対する反論や対処法の場合もあれば、中には、従うものは弱くて従わせるものは強いという、男性本位な視点の場合もある。例えば、よく聞く「もし私が男に生まれていれば…」などは、女より男のほうが良いという、女性自身による女性否定の意味も含まれてくる。
 どちらにせよ、男と女、どちらが偉いかなどと言い始めると、どうも言葉だけの戦いになり、実がついて来ないのである。

 「男社会」を知り尽くしたオスカルは、兵士たちの気持ちを理解し、謙虚な態度で隊員たちの気持ちを和らげた。それどころか、言葉には出さないで自分の意志を伝え、頑とした決意を表明し、兵士たちを説得したのだ。
たとえば、人に従えと言われると強制になるが、自分から従うと言えばそれは自分の意志になる。又、誰しも先に相手に頭を下げられたら、それ以上に頭を下げたくなるのだ。もし兵士たちがここで、「女が男に従うのは当然だよ」なんてことになったら大問題なのだが、どうやら彼らは「そこまで言われちゃあ、我々こそ従わない訳にはいきませんよ、隊長」と思ったのだろう。

これを社会の通過儀礼と言ったら語弊があるかも知れないが、自分の偽りない心を示すために、とことんへりくだってみせたオスカルに対して「常識を破れなかった・たかがマンガならそんな現実はオブラートに包むべきだ」と腹を立てるだろうか。あるいは「そこまでして自分の意志を貫きたかったのか」と感心するだろうか。それは人によって受け取り方は違うであろう。

 そもそも経験もなく頭の中でルールは守るべきと論理に先走る者や、個人のねたみや私欲を心に隠してやたら正義を振りかざす者に対しては、実社会では反発が起きがちである。
その事を思えばオスカルはこの場をうまく収めたと感心している。

そんな彼女の行為は人情的すぎるか?…と考えてみれば、オスカルがそうしたように、自分の気持ちをさらけ出し、両手を広げて無防備なまま懐に飛び込まれたら、人の心がわかる者ならば彼女には太刀打ちできないのではないかと思う。
兵士たちの気持ちとしては「隊長、よくもそれだけ素直に気持ちを語られましたね?!」という驚きだったのかも知れない。

 むしろ男女の関係を怒るのであれば「世の中、女は男に従って当たり前」という意見が、女性不在の場で、女性の意志を無視した状態で論じられた時だろう。女性不在のまま、そう結論付けられてはたまったものではない。
特に、映像のような見る側が受け身の一方通行の場合、発言権もないままひたすら服従して来た女性の立場とダブってしまうのかも知れないが…。

第一、誰かに従うということは人の強さや弱さを決めることではなく、とても一言では語れないものである。
現実に男性の立場が強いことに反発したとしても、結局、女性の能力に不足している腕力や、又は知力や財力という強さを持つ男性に対して、女性が惹かれるのは不思議ではない。
強い男性に守ってもらうために女性が従う場合も珍しくはない。

だがこうして色々と「従う」発言を考えるのと共に、アニメ版ベルばらの世界を同じ目線で見ていくと、たとえば男性諸君である兵士たちは女性を従わせて偉そうにふんぞり返っているワケではない。中には気弱い男性も中にはいるだろうし、そんな彼も必死で誰かを守っている。
そう、みんなアランのように家族を養うために兵士としてあくせく働いているのだ。
アンドレにしてもオスカルを全力で守る(描かれている限りでは主に精神的なリードの事)であろうし、そんな誰かを守るために働いている人たちの前でオスカルが地位を捨ててへりくだるのは、決して彼女のプライドを傷つけるものではないであろう。

たとえばアランの妹のディアンヌが「兄さんが戦うのなら私も戦う。私は兄さんに従うわ」と言ったら大問題になっていただろうか。それだけ普段からアランは妹のために働いていたと言ってもおかしくはない。
これをオスカルに置き換えて、今までのアンドレの彼女への想いや行動などについて、オスカルがそれ相当の価値を見つけて「従う」と言ったとしても、ディアンヌと同じようにはいかないものであろうか。
(なんだ、同じ意味じゃないかと、ここですんなり計算問題の答のように簡単にいけばいいのだが…それはやはり無理なものか^^;)

確かに「従う」という行為を言葉にすると、それはたてまえではなく本当に服従を強いられているように感じてしまう。特にこの場合、全く違った展開だった原作と比較してしまうのである。
あくまで自分の意志を出し、自分の信念のまま行動し、社会的にも絶対的な強さを持つはずの原作オスカルが、自分の意志を隠して謙虚になる行為をするはずがない、と定義してしまえばそれまでであろう。アニメのオスカルの立場に立って考えるより前に、オスカルらしさの定義から外れたことが許せなくなるのだ。

 そう、普通こんな「従う」という現実的なセリフは、マンガでは避けて通るはずである。
「従う」に代わるセリフはいくらでもある。男と女の本音やたてまえなどに深入りしなくても物語はそれなりに盛り上がるはずなのだ。
しかし現実、オスカルが(あるいは男女のどちらか一方が)絶対的な主導権を握り続けることは可能だろうか、という所まで突っ込んで考えると、彼女が女として愛する夫を思いやるには、お互いに譲りあうことも必要ではないかと思う。
もし、全ての者が自己主張を最も優先し、相手を立てることを拒絶するなら、思いやりとか譲り合いとかは、自己主張よりも劣る行為だと言っているようなものである。果たしてそうだろうか。

 もちろん女性が何事も譲ってばかりいると、いつまでたっても女性の地位が上がらない原因の一つかも知れない。だが誰もが自己主張し、男性的な視点で物事を考えると、世の中、殺伐としてしまいそうな気がするのだ。

あくまできれいごととして書くが、むしろ女性が男性と対等に自己主張するのなら、同時に思いやりとか譲り合いという精神も男女対等にすべきではないのだろうか。
それに、女性自身が男性の視点に立って「従う女性」を見下し、謙虚であることを卑下してもいけないのではないだろうか。
さらにきれい事だが、人はお互いに理解と尊敬を持つことも必要であり、だからまずそのために、女性自身が自信を持って、思いやり譲り合う精神を捨てずにいることも大切ではないかと思う。

 事実、世間ではどの程度、男性的資質が優先されているか、普段何げなく考えている思考がどれほど男性的な主観であるのかということは、あまり気に留めない。
又、会社の組織などで縦のつながりが多い男性に比べて、女性はとかく世代毎に分断してはいまいか、そして互いに男性的な視点で物事を考え、対立してはいまいか…などと斜に構えて仮定して考えてみる。
たとえば私の経験で言うと、未婚の女性は「半人前」と呼ばれ、既婚の女性は「女は済んだ」と言われている。又、女性は若いことが美しいとされている。確かに生物学的?に繁殖能力の高い若い女性に惹かれるのは仕方ないらしいが…。

これは一方的な男性的視点だと思うが、男と女の間には深い溝があるからある程度は仕方ない。
ただ問題なのはこの男性から見た女性観(一部に女性蔑視を含む)を女性がそうと気づかずに植え付けられ、同じ女性に対して向けているのではないかという事だ。

 なので、ものの考え方の基本にあるのは、まず、男性的な視点なのか、女性的な視点なのか、よく考えないとわからない事が多い(考えてもわからないことも多い)。

 又、女が従うことを求められたように、男は強さを求められている。女より強くなくては男ではないし、女に負けた男はプライドが保てない。さらに女がいきなり従うことを拒否すると相手の男は面目を失ってしまう。
男社会は男を優位にはしたが、しばりつけてもいるのだ。女が男に従わなければならなかったのなら、男は女を従わせなければならなかったのだ。
その現実の中で女だけが「女らしさ」から解放され、男に対しては相変わらず「明朗活発・強く優しく逞しく!」とばかりに「男らしさ」を求めるのは正しいのだろうか。
それを考えると、女が従うことを拒否しながら、男性には相変わらず強さを求めるのは女性に都合が良すぎるであろう。

 兵士たちが「女の隊長」に従うためには、お互いに譲り合い認め合うことが大切であり、その事を彼らに伝えるのが、人をまとめる隊長としてのオスカルの役割なのだ。彼女は男であり女であるのだから。
男だって、たてまえなしにはプライドが守れないこともある。特殊なケースとは言え、女が隊長だなんて本当はカッコ悪いのだ。
そんな男社会の中で、本音からオスカルの人としての資質を見つめ、その上で隊長として認めて従った兵士たちは、実に男らしいと思う。

又、従うことへの拒絶は、女性の自立を認めないことへの怒りを意味するのと同時に、行きすぎると「従わせることが強い」という男性的な視点から見た思考であるとは言えまいか。
そう考えると、本当に「従う」というオスカルの言葉は不必要だったのか、あらためて考え直してしまうのだ。
男性社会の本音とたてまえ。…オスカルはしっかり見ている。

 さらに私が思うには、自立した女の物語で、これほど男と女の関係や社会の現実を正面から描いたことは決して作品の質を落とすものではないという事。
現にオスカルが一歩下がることによって事は丸く収まり、信頼を得て兵士たちから主導権を任されている。
そう、ここでいう「従う」という言葉がいかに真実であり、又あくまで建て前で空虚なものでもあり、こうしてオスカルが言葉の裏にある誠意を見せることにより、兵士の誠意を受け取ったという事実を彼女は証明したことになる。

 結局オスカルは夫に「従う」と宣言したことによって、兵士たちの自発的な意志を尊重し、さらに彼らに「従う」ことによって、逆に彼らを従わせてしまったのだ。
そんな事を思えば、彼女の言う「従う」が本当にない方が良かったのか、従うことは本当に恥なのか、再び考えてしまうのだ。
なので、こんな論争の元になるセリフをあえて逃げずにオスカルに語らせたことは、色々考えていくと、勇気ある演出だと思っている。

しかしここであれこれと一人問答していても仕方がない。仕事で家庭で、色々な女性の生き方がある。
特に男女の地位の問題や主従関係については、言葉足らずの文章がとんだ誤解を巻き起こす場合もあり扱いが難しいし、さまざまな人の立場を考えていくとこれはこの場ではなかなか答えが出ない問題である、としか言いようがない。

よって、この解説では、あくまで私一個人の経験と聞きかじった事を書き並べ、従う発言を考えるために色々な問題について引っぱり出してきたが、こうあるべきだという表現はせずにファジィに書いている。
現実的な問題解決については各自で研究される事をお願いし、又、専用のしかるべき場所で論じていただきたい。

 女は今後どういうふうに男につき従っていくか、又は表向きに男に従う形をとりながら実際は男を操る(コワァ〜)のか、あるいは男女の立場が逆転していくのか、その他どうするか、ここで結論が出るものでもない。
男と女がいるかぎり、その「最良の関係」の追求は永遠のテーマなのである。



2003.2.19.up