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     アニメ版 ベルサイユのばら 徹底解説>HOME

第38話についての散文



■どうして長いこの前置き

全然38話の本題に入っていけないような気もするが、今回こんなに前置きが長いのは、私自身が「従う」発言を見直ししたいという意図があることをまずうち明けておく。
結果的に自分で読み返してもあまり見直しになっていないとは思うが、どうしてもダメだ、オスカルに「従う」だなんて言わせたアニメのセリフを見直しだなんて信じられない、見たくない!と思われた方はお読みにならないことをお勧めする。

私自身も十代の頃、この発言にはなじめないものがあった。
今はおかげさまでこんなにアニメ版ベルばらにハマってしまったのだが、当時アニメ版に反発していた私のベルばら観はどんなものだったのか、また、どうして15年ほど経ってから方向を180度変換してしまったのかを、考えてみたかった。

それと今も尚、当時の気持ちのまま、アニメ版を二度と見たくないと思われている人や、どうしてもこの発言のためにアニメを楽しめないという人のために、なんとかいい具合に見方が変わって楽しんで鑑賞できるようになる方法はないものか?と、そういう意味も込めて5年ほど前にこの文章を書いていた。
今もその気持ちは変わらないので、改稿しながらこうやって発信しているのだが、一部、前項と表現が重複しているところもあり、がしかし、これだけ頭の中の引き出しをひっぱり出してきて色々と考えた事をまとめるには気が遠くなりそうなのでそのままにした。

自分自身としては、改めてアニメ版にハマリ直したとき、オスカルはアンドレと結婚したことがとても嬉しい、そして自分たちだけが幸せになるのではなく、目の前にある困難を仲間たちと一緒に突破しようという決意なんだろうな…という風なことを感じ、ただ漠然と、ことのほか案外単純に思った程度で、「従う」発言は、すんなり聞き流した。

命が限られているので有れば、自分の思うままにと、まるで生き急ぐようなオスカル。
彼女のアンドレへの気持ちは妻の座を実感するためなのだろう。
従うというセリフも、自立した二人のセリフなのだろう。
兵士たちの前で告白したのも、あれは人前結婚式なのだろう……と。

もし「これは受け入れられないセリフだ」という批判がなければ、私的には今さらナゼ?どうして?という理由をあえて考えて解説する必要もなかった。

アニメ版は良い作品だ、あぁ〜!良かったね、あのエピソード!という声ばかりであれば、たとえオスカルが我が身をアンドレに委ねて主体性も無くし、アンドレの言うことだけを聞くラブラブ全開女になったという解釈も鼻の下を伸ばして聞いていたと思う。

彼女がいままでの人生の中で押さえてきた心の反動で、信念も怒りも人に尽くしたい気持ちも全て、アンドレのためという情熱に変換し、従うわ!あなた!と言ったのでも良いと思う。
オスカルの持つエネルギーが、アンドレに対する恋愛感情として表現され、以後のオスカルの人生はアンドレのためにあったという恋愛一筋の女性としてその最後の瞬間を迎えたのだとしても構わない。

彼女の行動の理由がどうあったとしても、そのすさまじい生き方というもの……アンドレ亡き後に司令官に徹した鉄のような意志で表現されているのは、彼女の信念であったり、又はアンドレへの愛の強さであったり、いずれにせよそこに彼女の強い意志を感じ、それに対しての感動があればそれで良い。
このオスカルの強い気持ちをどう感じるかは視聴者に委ねられているのだから、感動したのであれば、どう受け取るかはそれぞれの自由だろう。

たけど「従う」と断言して自分を無くしたと言う解釈は、アニメのベルばらの場合はどうやら良い意味には評価されていない。
それではやはり何かいい具合に解説を考えてみなくちゃ・・と思い、おかげで、あれこれ考えてこんなに長い文章になってしまった。
色々と思いついたことを書き並べて行くが、思考の断片の寄せ集めになってしまった。相も変わらず長時間の頭の体操になるが、さっき書いたことと逆のこともあるぞ?!という部分もひょっとしてあるかも知れないが、この文のどこかからこれを読んで下さった方が一つでも波長が合う内容があれば幸いである。

特に、一つの考え方にはその全く逆の解釈も存在する。
それらを並べているので、一体何が言いたいのか?と思われるかも知れない。
「従う」「従わない」いずれにしてもこれが100%正しいという正解はないものと思っている。
ただ、アニメのオスカルがこのセリフによって「女は男に従うべきだ」とか「女は自分の意志も主体性もなくして、何も考えずに夫に従うべきだ」ということを言っているのではないと言いたいのである。

私がここで大事だと言いたいのはオスカルの真意である。
彼女のバスティーユへ向かう力というものが、アンドレから得た愛の力であるのか、オスカルとアンドレの絆の強さであるのか、又は彼女自身の心の中からの呼びかけであるのかはここで結論は出さない。
ただ、オスカルの中に強い意志と、彼女を突き動かす力があったこと、それをここで伝えたいのである。

もし、たらたらと書かずに簡単に箇条書きにすると、下記の要素が様々なシーンで、自然に成り立っているが今回のお話のポイントである。

★オスカルは苦しんでいる人たちの役に立ちたいと真に願って行動している。
★オスカルが平民の妻になる!彼に従うと言い切ったことで、逆に兵士たちが彼女に従ってしまった。
★兵士たちは隊の中での二人の関係を夫婦だと認識している。
★二人の事を一番解っているアランに武器を託したオスカルとアランの仕事上での信頼感。
★オスカルはアンドレを夫として立てている。
★アンドレはオスカルの事を理解して見守っている。

……さて、では長い独り言を始めるとしよう。


■オスカルと兵士たち

 オスカルが衛兵隊に転属した時、隊員たちは女の隊長ということに抵抗を感じていた。女の部下になる。なにせ、それは男として格好悪いのだ。
最初、彼らはオスカルの命令をきかない。時にはケンカを売ってくる。だが、オスカルは彼らの挑戦を難無くかわし、次第に隊の中で認められて行く。

アルデロス公の護衛を手際よくこなしたり、憲兵に捕まったラサールを救ったことで、彼らはオスカルに一目置くようになる。隊の要アランが、オスカルを隊長として認めていたことも要因として大きい。
オスカルのいない所では、「あの女」とか、「いけすかん女隊長」とか言っていただろうが、彼らとて子供ではない。これは仕事なのである。上司を選べないのは当たり前なのだ。だが一連の出来事で、オスカルが隊長として優れているのは証明されたのだから、一応、他人がどう言おうと本人たちは納得したはずだし、彼らはそれなりに部下として仕事をこなしていく。

そして、三部会でオスカルが権力に対して見せた怒り。彼らはこの女隊長が、自分たちにより近い存在であることを知る。すでにこのあたりで遅くとも、隊長が女であることはこだわらなくなってきた時期であろう。
だが、それでもやはり、彼女は貴族なのだ。彼らにとっては、身分を越えて本当にわかりあえるのだろうかという疑問が残っている。その事が最後の最後までオスカルに対するわだかまりとしてあったとしても仕方がない。
が、それをうやむやにできない時がついにやってくる。国王か民衆か、衛兵隊は選択を余儀なくされるのだ。
オスカルにしても、貴族として生きるか、平民たちのために尽くすか、決断を下す時である。

これまで私情を語らなかったオスカル。

戦いの朝、彼女は兵士たちに自分の気持ちを打ち明けるのだ。
もちろんオスカルにとって、二股をかけ続けるような玉虫色のプチ裏切りや、ちょっとした民衆のお手伝いなどというような中途半端な決断は存在しない。この決断に至る伏線を色々と思い起こし、彼女の心の痛みと意志を画面から感じ取って欲しい。

 それと、兵士たちも優しい男たちであろう。今では隊長として認めているとは言え、自分たちとは違う、貴族の女性・オスカルをひょっとして戦いの先頭に立てたくなかったのかも知れない。どんな些細な理由でもいい、もしオスカルに迷いがあれば、彼らは彼女を戦いから遠ざけようとしたかも知れない。
恐ろしく強いけど、男社会の中で男以上にがんばっているオスカルを、兵士たちはけなげに又は痛々しく思っていたのではないだろうか。

それは、やはり彼女が貴族であり女である以上、男社会である隊の中にいくら溶け込もうとしても入れなかったことであると言う事かも知れないが、それとは別に、兵士たちがオスカルに対して思いやりを持っていたことでもある。


■アンドレと兵士たち

だが、兵士たちがそうしてオスカルを身近に感じるようになったのは、彼女の行動が身分制度に反していたことと同時に、彼らの仲間であるアンドレの惚れた女であったからでもある。

そして、オスカルの事さえなければとうに革命に傾いていたであろうアンドレ。彼はオスカルを守ることを優先し、熱くならない。
アンドレは自分の意志で一兵士として隊の仲間になったのだが、どうやら特に目立った存在ではなかったようだ。どちらかと言えば無口で控え目。兵士の世間話には寄らないわバクチには手を出さないわで、少し得体の知れない男。しかし黒い騎士騒動ではないが、彼はそもそも情熱家で、突然とんでもないことをしでかすタイプだったのかも知れない。

また、オスカルが「ずっとそばにいる」ことの大事さを教えられたのも彼からである。人に向けるオスカルの態度は、いつしかアンドレと重なっている。

その彼は仲間から一歩引き、がしかし、仲間の中に留まっている不思議な存在。
平民でありながら、どこか平民たちと距離を持つアンドレ。彼には民衆たちのように、自由・平等を求めながら、そこに恨みや復讐の念がなく、革命を見つめる目も冷静である。
だが、彼らと同じ平民には変わりなく、大貴族の令嬢に報われぬ恋をしていることは皆も承知の事実。バカな奴だと思いながら、アンドレの敵意のないまじめな様子は不思議と隊員の中でも存在感があったかも知れない。
彼のすれてない所は荒っぽい彼らには逆に新鮮なのだろう。

それと時々彼が見せる楽天的な態度。そのさりげない言葉にオスカルも何度となく助けられている。
身分の違う恋を貫こうとするひたむきな生き方、これから先、何があっても、すさんでしまうことはない芯の強さがアンドレにはある。
そのアンドレが好きだというのなら、この女隊長はどこか女として良いところがあるのだろうと隊員たちは想像する。
アンドレは何も語らないけど、隊員たちは彼を通じて隊長の側面を推し量り、アンドレは隊員たちとオスカルの間に入り、パイプ役を果たしている。


■二人の恋の行方

 あと、隊員たちが思ったのは、この二人はいつになったらひっつくんだろうか、という事。(実のところ隊員がと言うより、後半の山場はオスカルとアンドレの微妙な関係だと思っている私の妄想とも言えるが)
そんな隊員たちの妄想通りとは言わないが、やっと素直にアンドレが好きだと自分で認めるようになれたオスカル。そして彼女を見守り続け、今、全身で彼女を受け止めるアンドレ。

しっかし、こういう二人の結び付きを「愛している」という言葉以外の態度で表現してあるのがやはり現実的で嬉しい。一応、お互い一回ずつ「愛している」とは言ってたけど、義理で言わせたのならこの際、言わなくても良かったかも…なんて思う。アニメ・ベルばらには、かっこいいキマリの言葉も単語も必要ない、訴えるのは言葉でも活字でもない。彼ら、登場人物の生きざまが、何より、彼らの心を映し出しているのだ。

 本当なら、二人はこれまでのためらって来た時間を取り戻したいはず。しかし、馬を走らせる二人の表情は決意もかたく、厳しい。
彼らがこれから向かうのは目の前に迫った避けられない戦い。
その中でオスカルは妻になった実感を焦るようにして求める。彼女に残された時間は短いのだ。

それを思えば・・・考えようによって従う発言の意味の大部分は、甘えかノロケ。
命が限られているからこそ、必死で妻を実感したがっているのが微笑ましいと言うよりはかなり痛々しい。
今までオスカルを見守ってきたアンドレ。彼の気持ちはオスカルが「ありがとう」と言ったことでわかるようにオスカルにはかけがえのないものだった。

そして彼のリードはここに来て二人の考えの一致に至っている。
恋人?と言って良いのかどうかわからないけれど、今まで何となく意識をしていた二人はうち明けられないまま「恋人」していたんだろうなー、なんて思っていたらいきなり夫婦の域に達してしまっていたのがファンとしてはちょっとめまぐるしい。

なら、何でもっと早くこうならなかったのかと思えるが、まず彼女のように、聡明で理性が先行する女性を手に入れるには、その意志など無視して奪い去るか、何か突然非常事態になるなど、彼女に考える暇を与えないようにしないといけなかったのかも知れない。それほどオスカルは冷静で、自分に酔えないタイプなのだ(人のことを考え過ぎるのかも?)。
そもそも彼女の幼少期には父親という、彼女に過度の期待を背負わせた人物がいた。さらに大人になれば彼女がジャルジェ家の誇りにかけて仕えるべきアントワネットがいた。
誰かのために生きていた彼女の生い立ちも見過ごせない。

そして、扇動があったにせよ、団結して立ち上がった民衆と、その盾となるオスカル。生きる喜びを知った以上、どんな戦いになっても、生きて、生き抜きたいと思うオスカル。
だが人とのかかわりを考えると、自分たち二人だけが幸せならそれで良いと割り切れないオスカルとアンドレ。
二人は新しい時代を導くために前進するのだ。その先になってやっと二人はこれまでの時間を取り戻すことが出来る。戦いが無事に済めば、普通の幸せがそこには待っているはずなのである。
アンドレが静かにオスカルを見守り続けたように、オスカルも又、燃えるような情熱からではなく、心の奥底から呼びかける自分自身の冷静な判断の結果として行動しているのだ。
それは彼女の場合、アンドレとは違い、貴族だったという身分のせいもあるが、身分制度への怒りや生活向上という熱望というより、その行動から彼女の対象はいつも「人」、人と共にある未来を考えているようだ。


■オスカルの告白

 そしてついに彼女の真価を問われる朝がやってくる。
彼女はこれまで部下であった者たちに、多分これが初めてであっただろうが、自分個人の事を語り始める。
いや、考えを述べるのではなく、これからの行動を語り始めるのだ。それも、大義名分を捨てた言い方である。
愛する人が民衆に発砲しないのならば、私は彼に従うと。

 従う。こう言いながら、すでに二人の考えはほぼ同調しているのだ。
もう、どちらが先か後かではなく、二人の考えは一緒なのだ。これは二人が時間をかけて相手を思いやり、相手の気持ちに影響しあってきた結果である。
決して男たちに気に入られようとしてこびを売っているのではない。
これをもし、女性本位に言うと表現が悪いが、志を同じくする彼ら(男性)と協力しあうために有効な説得手段を選んでいるのである。これをオスカルが何でも計算づくと感じる人もあるかも知れない。だが、彼女の真意は苦しんでいる人のために尽くしたいという気持ちが全てなのだ。

 オスカルは自分の全てを、地位も築き上げた物全てをも捨てて、人に従うと言っている。それは女が男に従うべきとか言う次元ではない。自分の考えも、アンドレと同じなのだからと、あえて自己主張していないのだ。だが、それは自分の考えが何もないから、アンドレの考えや言葉を借りたのではない。
彼女が人とかかわる中で、心に持っていたであろう語り尽くせぬ思い。だが、このクライマックスにきてまでも、それがオスカルの言葉や思想としては語られない。

それは言葉にしてしまうと、格好良いセリフだったり、概念だけは伝わっても、心に響かない「記号」になってしまうようなセリフだったのかも知れない。それが彼女の言う「考えを述べるのではなく、取るべき道(行動)を述べる」事になったのだ。そう、彼女は決意も堅く語り始める。
兵士らに、思想ではなくこれからの行動を語るのだ。

 大貴族の令嬢(令息?)であるはずの、それも准将という地位。本来なら寝返るにしても、誇り高く指導的立場に当然収まりそうなオスカル。
さらに民衆に味方をしてきた彼女のこと、兵士たちに付いて来いと言っても良い場面。だが、彼女は定石とは全く逆の発言をする。
妻として、愛する夫に従う??
放映当時「従う」というセリフを聞いて、余りに「オスカル」らしからぬ発言に疑問を持った。このセリフさえなければアニメを楽しめたのにとも思った。

今では、なるほどオスカルは男たちの気持ちを汲んでへりくだったのだと思っている。
 …彼女は夫に従うどころか、もっとへりくだり、世の中で一番小さい者になろうとしているのだ。しかも彼女は、あえて自分のおごりも、隊長の地位も捨てる。
自分の情熱や欲望を捨て、人の役に立ちたい。私のようなものでも人の役に立つでしょうかと、いや、役に立ちたい!とオスカルは彼らに問いかける。

それをアランたちは彼女のことを、人に従うだけで自分の意志などない女であると受け取っただろうか。
そんな事はない、彼女がどんなに貧しい者より、どんなに虐げられた者より、自分を「小さい者」だと彼らに報告したことで、アランは彼女の中に、何の曇りもない、愛情から奉仕したいという気持ちをくみ取れたはずだ。彼女を動かしているのは、上から見下ろしたような、貧しい者に対する憐れみや同情ではない。彼らと共に生きることで、自分の力を役立たせて下さいという切なる気持ちである。それが彼女の人とのかかわりかたの基本である。
それはすなわち、貴族として武人として生まれ育った彼女だからこそ、自分の生き方を貫く中で、こうした場面に出会い、貴族としてしなければならないこと・武人としてやるべき役目を黙々と背負っているということなのである。

隊長であることをやめ、夫に従うと言った彼女だからこそ、その気持ちの中にある、謙虚で人に誠意を尽くす態度が反対に現れてきているのだ。
彼女のプライドは自分の意志を貫くことにあり、「従う」と言う発言でへし折れるようなプライドではない。

世の中カリスマ人間は確かに居るだろうが、普通は人を従わせる力は、人に従う者の気持ちが解ってこそ身につけられるものだと思う。
彼女が人を従わせることばかり考える人間であれば、そこに思いやりなどなかったはずだ。
オスカルがきっぱり「従う」と言った事によって、兵士たちは彼女が自分たちの気持ちを理解してくれていると確信したのである。


■兵士たちの気持ち

実際、彼女の立場に立てば、いきなり私について来い、とは非常に言いにくい。たとえ寝返ったとは言え、民衆を苦しめた貴族という身分のオスカル。事実はどうあれ、彼女が先頭に立つ事は、平民たちに「従え」と言っているようなものだ…と、律義な彼女は思っているのだ。
それに行く先は、仮にも命のやり取りをする戦闘なのだ。たとえ部下とは言え、彼らにも行く先を選ぶ自由がある。
それは彼女の語ることが原因で、隊員たちを強制することがないようにと、オスカルが彼ら隊員の個人の意志を尊重したことである。
中には戦いが怖い兵士もいるかも知れない。人の心は一人一人自由なのだ。

 そう、オスカルの告白を受け入れた兵士たちにもそれぞれ個人の考えがあるのだから。
原作もアニメも同じ平民ということで、多分考え方も共通しているとして、彼らは何のために戦ったんだろう?
衛兵隊が寝返った後(正確にはオスカルが兵士たちの前で結婚宣言をした瞬間から)の彼らの関係って何だろう?
大きな組織の一部だった彼らがあの時、組織を脱退した…。アランが最後の方で、自分たちのことを仮称「元衛兵隊」と叫んでいたが、時代の流れのなかで自分たちの意志のままに戦おうと集まった仲間になったと言えよう。

 余談だが、個人的に見て、あの元衛兵隊のまとまり方は結構好きである。目的がはっきりしているというのもそうだが、まとまってるけれど組織的でもない。
王室が民衆の声を武力で押さえ込もうとしたという事に対して、自分たちが盾になろうとした彼ら。
バスティーユの後の革命期に彼らが生き残っていたとしたら、もちろん、どの程度まで結束してまとまっていられたかはわからない。

各個人の考えでばらばらになったかも知れないし、当然オスカルの存在の有無によっても違ってくるであろう。
けれど、バスティーユ攻撃の際にはそれほど先のことまでわからなかっただろうし、この攻撃が民衆側にとっても危険な事になるのは予測できたであろうことから、命もこれ限りというせっぱ詰まったものを兵士たちそれぞれが共通の思いとして持っていたのだと思う。

そしてやはり彼らは彼らなりに守るもの、信じるものがあって命をかけるところがバスティーユだったのだろうし、決してオスカルが命じたから戦った・・・わけでは無い。
彼らにも彼らの信条がある。


■落ち着いた語り

またオスカル自身も決して人を煽り立てない、扇動しない。反対に人の気持ちを静め、冷静にさせようとする。これから起きるであろう流血に、カッとなって飛びかからぬよう、一人一人の命を大事に思った配慮である。
確かに彼女は言葉で戦いの正当性を語ることもできたかも知れない。巧みな言葉で人を説得し、扇動するロベスピエール。反対にオスカルは雄弁な言葉を放棄し、理想に燃える事より、現実に苦しむ人に救いの手を差し伸べようとする。
これから起きる革命を、人はあらゆる言葉で語るであろう。
だが、彼女は自分の思想を語らず、沈黙する。その代わりに、わかりやすい言葉で、隊員たちに語りかける。自分の考えを相手に強制せずに、そしてもうすでに同じことを考えているはずの夫・アンドレに配慮し、従僕扱いしないように彼を立てて言う。

愛する人が戦うのなら戦うと。そう、二人は常に共にあるのだ。
むしろ、彼女のアンドレに対する気持ちは、「共に歩む妻でありたい」という言葉であろう。
第一、このアンドレにオスカルを従わせようという意志はない。彼女は尊敬すべき妻なのだ。彼とても妻の運命を任された以上、反対に無責任なことは言えなし、突然従うと言われても困ったものである。オスカルの後ろでニコニコしているアンドレを見ていると、もはや尻に敷かれている…としか見えない私の目はおかしいのだろうか。
とは言えオスカルのその語り方は、身分の差を越えたんだぞ!と言う彼女のおごりではなく、二人はごく自然に恋人になっている。彼女の、それ以上語らない部分は深い。

また余談だが、確かに同じ職場で夫婦が働くのって実際は難しいと思う。意見の対立も有るだろうし、生活と仕事の境目が取りにくい。
妻が自分の気配りを相手や社会に示す方法として通常の場合、妻はどうしても夫より前に一歩出てしまわないようするだろうし、常に女としてどの辺にポジションを置こうかなとバランスを考えたりするであろう。
特に妻が上司で夫が部下の場合、夫を部下として割り切るのは心情としてもわだかまりもあるし、周囲の目もあるし、職場での力関係が絡むのでやりにくい事が多そう。

こういう考え方は世代によっても、働く場所によっても違いはあるのだろうが、典型的な男尊女卑の会社に在籍していると、特に自分は女だから、と意識せざるを得ないだろう。
将来社会が変わっていって、働く環境や男女の労働意識が100%個別の能力主義になったら話は別かも知れないけれど、そうなったらなったで「らしさ」という考え方は失われるのかも知れない。

さて話を戻して、もしこの場にアンドレが居合わせなかったら、彼女は「私は平民である諸君たちに従う。諸君、命じてくれ」と、彼らに対してへりくだって言っていたと思う。だがこれではいままで苦労してきたアンドレの立場がない。彼女は物事の順序を把握して、まず夫のアンドレを立てる形で自分の考えを述べている。
実際、貴族であり女である彼女の立場から男たちに何かを言うとき、オスカルが自分の主張を前面に出すと彼らはついてくるだろうか。それに夫すら彼女の部下なのだ、男社会には男同士の意地もある。
特にオスカルは「男の人間関係」に精通しているし、彼らの気持ちもわかる。どうやら一連の彼女の発言は、上下関係・力関係の厳しい、職場で言ったことに意義があるようだ。

先にへりくだって見せると相手も意地を張らずに折れる、という物事の順序を彼女は知っていたのである。その一般常識に逆らわずに、彼らの気持ちを踏まえて、「従う」と表現したことは非常に現実的な事。
・・・で、確かにこの一般常識は現実的すぎて、直視したくない女性もいるかも知れない。
(重ねて言うが、原作ではこの一般常識への疑問を投げかけていると私は思っている)


■女の主張

 女性が自立するために、主体性を持つことは大事である。「従う」ことを拒否する事も、男女平等を女性の側から男性側へ主張する一つの手段である。ところが残念なことに、この主張が男性に認められなければ、単なる喧嘩の売り言葉になってしまうのだ。
前にも書いたが、女だけが「女らしく従うこと」を拒否し、男には相変わらず「男らしく強いこと」を要求するのは勝手ではないかとなってくると、問題は簡単ではない。
 女は男に柔順に従ってこそ女であったように、男は強くて女を従わせないと男ではないというのが社会である。
従うものを失った男は面目がなくなる。

 その現実を知った上でも尚、オスカルは「男らしさ」の社会の中で生きている兵士たちに対して、彼らのプライドを無視してまで、頑として主導権を主張すべきだろうか。それとも常識に従って、ひとまず夫を立てるべきだろうか。…などと、テレビの前で、我々が「男と女の永遠の命題?」につまずいていると、オスカルの気持ちから離れてしまうのだ。話を戻そう。

 今、彼女にとって肝心なのは、男と女の力関係ではない。オスカルの真意は、名も武器もない民衆のために、自分の力を役立てたいという気持ちを、兵士たちに伝える事なのである。
その為にオスカルは兵士たちの気持ちを理解しつつ、彼らと対等な立場で共に戦う決意を、謙虚に伝えようとしたのが「従う」発言なのである。

 一方、兵士たちも「そーそー、女は柔順が一番さ!」とは言わない。彼らはオスカルの欲のない、ただ「虐げられた人を守りたい」という、自分には何の得もない行動に感動し、素直な気持ちでオスカルを隊長に再選するのである。彼らは、自由・平等・友愛の為でもなく、思想への気負いでもなく、オスカルが「親や兄弟に対して諸君が発砲するはずがない」と示した通り、大切な人を守るために戦うという、当たり前の事を決意しただけである。


■言葉の裏にあるもの

 人にもよるだろうが、オスカルのセリフそのままだと、突然責任を放棄したしたように聞こえるかも知れないが、言葉そのもの(たてまえ)と意味(本音)は全然違うのである。世の中、本当にややこしい。
 もしオスカルが男の姿でなければあの場で「従う」とわざわざ言わなくてもいい。
だが、彼女は男として軍服を身につけている。そうしている以上、彼女は男として意見を述べている。男としての彼女は男社会の一員として語り、男として「従う」と言っている部分もある。女でありながら男、それが彼らの隊長オスカルなのだ。(なんだか書いていて自分でもややこしい)

 そう言ったオスカルであるからこそ、アランたちは疑う事なく彼女を信じて、今度は自分たちの意志でオスカルを隊長に再選したのだ。
女というだけではなく、これまで優位な貴族という身分にいた彼女は、隊員からすれば異質なものであったはず。
彼女はここで隊長をやめることで兵士たちの中へ飛び込み、人間オスカルとしての顔を見せたことで兵士たちの心を捕らえ、彼らのリーダーとなるのだ。

 兵士にすれば、貴族の上司が何のためらいもなく一段下りてきた感があるのかも知れない。
でなくても、冷たい顔をして感情すら見せなかったこれまでのオスカルは嫌みな女の代表のようなもの。その上、弱みも見せない女、もとい、人間はカワイクない。
そして、人を押しのけて上に立つことが当然である男社会の中で、「従う」という発言は非常に勇気のいる発言なのだ。我こそが強者と言う力の張り合いの世界で、「従う」と言うことは、自分の信念によほど自信がなければ言えない。

そこへ持って来て彼女の「従う」は、男を説得するのに最強のセリフだったのかも知れない。
余談だが、この一連のセリフが男性の演出だと固執して言うのなら、男ならこう言われると素直に言うことを聞いてしまうという「男を従わせるコツ」かな?とも思う。

「従う」。この一言でオスカルは、夫アンドレも含めた彼ら全員を反論できないように黙らせてしまったのだ。
水は方円の器に従うと言うが、水が従うことによって器は満ちるのである。…こんなことわざで説明がつくものでもないが…。やはり彼女は「海」であるとつぶやいてみる。


■物語を深くする言葉

しかし、そもそもこんな事を言わなくても、彼らはオスカルに従ったと思う。
彼女はどう考えても民衆側に傾いているし、統率力だってある。むしろついて来いと言ってもおかしくない場面。
だのに彼女は私は普通の女ですと、これまで彼女が、「弱くて恥ずかしい」と思っていた部分をさらけ出して、さらに隊長という格の高い所から迷いもなく下りて来たのだ。
ありのままの自分を隊員に見せたオスカルはこれまでになく彼らに打ち解けていて、隊員たち一人一人全員が、開かれた彼女の真心を感じたはずだ。

これまでのオスカルは愛されたい思いをもてあまし、がむしゃらに真っすぐ苦しんで生きてきた。だがそんなことはやめて、オスカルは今、自分の気持ちに素直になったのだ。
この先、戦っても、自由・平等を求める民衆の要求は身分制度の廃止。そうなれば、女であっても貴族だからこそ今の地位にあったオスカルもただの女。
隊員たちはそんなオスカルの中に真実を見つけるのだ。
民衆が実権を勝ち取るはいえ、そうなったら「ただの女」に再び地位がつくはずもなく、今後、彼女に軍人としての地位、もしくは社会的に認められる余地はない。
まして王室側から見れば反逆者、民衆側から見ても元貴族という偏見があり、オスカルにとって得はない。(その後の戦いに彼女が駆り出されないならば、出世欲のないアンドレとのつましいささやかな生活が彼女の全てとなるだろう)

だから、それが兵士たちにはわかるだけに、貴族の一方的な力によるねじ伏せが間違っており、誰しも誰かを守るために戦うだけだという、大義名分のないオスカルの欲のなさがまぶしいのである。
彼らはオスカルのそんな、欲のない気持ちを守りたいと思い、この、人とかかわる上で最も大切な、人に誠意を尽くすという行為を信じ・守ろうとする。

そう、オスカルを死なせてはならない、彼女の無欲な行為を滅ぼしてはいけない。彼らはオスカルの示した誠意の為に、そして自分たちの信条のために命をかける決意ができたのだ。
彼女はカリスマ的な勝利の女神になったのではなく、多分、これは人を思いやる上で当たり前の行為、そして勇気ある行動を示しただけである。

だから、もう彼女に迷いはない。愛に飢えて真っすぐに生きることで、弱い自分を隠す必要もない。ただ、共に生きる人々と、虐げられた人や悲しんでいる人のために愛情を捧げるのみ。オスカルはもう何かから逃れることはないのだ。
 かつて父が言ったように、小さいときから何でも自分の気持ちをおさえてしまうオスカル。彼女は人々に余計な心配をかけたくない余り、強がってきたのだ。
だが、孤独すら一人で乗り越えるような顔をし、弱さを見せないことで、逆にその態度が人には冷たく写ってしまう。
 弱さを認めて生きる人は美しいと言う。それに彼女が弱いと思っていたことは、決して醜いことでも恥ずかしいことでもないはず。でも、隊員たちに絶対見せなかった素顔で、今、アンドレの妻になったと照れながら報告するオスカルは女として、人として生き生きして美しい。


■二人の恋愛とは?

 女が男として生きるマイナス点ばかりが大きく描かれたアニメ。
原作オスカルは少女たちにため息をつかせ、美しい男性としての特典を得ていたのだ。それなのにアニメでは、男性としての社会的な責任がのしかかり、反対に女性としての人生を禁じられたりと(子供と戯れるアントワネットの姿を見せつけられたり)、不利な点がクローズアップされている。
性格も火と水ほど違っている、二人のオスカル。

 これだけ違っているのなら、いっそのことアンドレに従うと言った地点で、なぜ、彼はオスカルに「戦いから退くように」と一言、言わなかったのだろうか。
愛するからこそ、男なら、危険な戦いから彼女を守るべき所。アランたちがオスカルを隊長に再選し、隊員たちも心から彼女に従おうとして「隊長」と呼んだからと言って、それでアンドレがひるんだとは思えない。
戦いに彼女の指揮は必要だった。そして、アンドレは彼女の意志を尊重し、信頼している。でも、それではあまりにもきれいごとすぎる。女を愛して、その命を守るためには、やはり男のエゴになったとしても、彼女を止めて欲しかった。

ここはどうしてもアンドレの真意が知りたい。
原作ではそうだったので、アニメもアンドレと共にバスティーユへ行ったという事だけではなんだかなぁ…という気がするのだ。

そういえば色々とオスカルの真意を語ってきたのだが、一方のアンドレ。
彼は結婚宣言中はほぼ黙っているのだが、オスカルがアンドレのプライトを立てた傍ら、彼も又、オスカルを深く理解しているからこその沈黙なのだろう。
これについて前回、アンドレとオスカルの恋愛を少し取り上げてみた。

男としてアンドレがわざわざ危険に向かう女の行動を止めなかったのかという疑問について私は、彼らの恋愛を「男と女のエゴ」を取り払った、「大人のファンタジー」と位置づけた。

特にこのような激動の時代、自分にすべき使命があると信じる人々にとって、「恋愛」と「信念」を両立することは矛盾し、両立は出来ないであろう。
そんな時代に二人が出会って惹かれあい、やがて彼らの恋愛は二人だけの内向きの世界にとどまらず、純粋な愛情として「弱い人々を守らずして私たちは幸せではない」という形で外部に向けて広がっていく。
だがこれははっきり言って、現実的な恋愛ではない。あくまで物語上で語られた理想形の恋愛である…と再び言ってしまおう。

ここでの恋愛は精神的なものであり、愛し合う二人が信じた道を共に歩むという理想の「精神世界の上での恋愛」として描くことで、「恋愛と信念は両立できない」という現実なら起こりうる矛盾を回避しているのではないかと思う。

 アニメ後半は肉体的にも精神的にも、現実的な男女のかき分けがしてある、とずっと見続けていたけれど、この最後の最後で、オスカルとアンドレの恋愛というものは肉体的ではなく精神的なものとして描かれていたのではないだろうか。

そして、女として男のプライドを立てたオスカルと、男として女の気持ちを理解して見守ったアンドレ……という、これもまた、「現実を越えた理想的な図式」も合わせて考えられる。


■誰のために生きるのか?

 またもう一つの解釈として、あえてオスカルを止めなかったのは、アンドレは彼女の命の期限を知っていたのではないだろうかという事。(そのために何度となくオスカルの病気についての伏線があったと思う)だから、彼女のやろうとしていること、それすら見守り、命の期限という悲しい別れすら含めて、アンドレはオスカルを見守っていたのではないだろうかという事。もしそうだとしたら、苦しむ様子さえ見せないアンドレのまなざし、それは何とも壮絶な愛情なのだろうかと思う。

 また、いい男って何だろうかと言えば、人それぞれなのだろうが、アンドレの言うように、何があってもオスカルのそばにいるという考えは、女にとってかなり都合がいいし、ありがたい。(掃除や洗濯もしてくれそうだし?・・・コラコラ)

考えてみると「自分のために生きる男」という生き方は案外、難しい。もちろんこの自分のためというのは聞き分けのないワガママ放題という意味ではない。
自分のために生きるには強い意志と、犠牲を乗り越える強さが必要になってくる。
自分の情熱のために戦う男の、夢やロマンを共有する妻も幸せかも知れないが、だが、えてしてそう言う男たちは妻を振り返らない。

男性からばかりでなく女性から見ても、そんなロマンを求める「自分のために生きる男」…ちょっと悪い表現をするなら、自分本位な男…がうらやましいから、もしくは情熱のままに生きることが男の本文であるならば、男として生きて来たオスカルも、「情熱を燃やして戦う」べきなのだろうか。

 特に、自分のために自分自身の情熱を持つことすら当たり前ではなかった女性からすれば、せめてオスカルにだけはその情熱を持っていて欲しいと願う気持ちがある。…ただし気の毒だがこの場合、回りの人間は何らかの形で犠牲になる。
だが、そこに少しでも「人のことを考える余裕があれば、一歩踏みとどまり」、自分が誰かを悲しませたり、戦いに巻き込んでしまう危険性を察知できるはずだ。…で、この場合は本人の情熱が犠牲になるだろう。

ただし、これらの生き方のどちらが正しいとは言えないし、残念ながら両立できない事なのだ。
幸か不幸か、オスカルは男として生きて来たものの、ロマンを求める男として育っていない。もしかして、平民の立場で男として育っていればそうなっていた可能性はあるが、貴族の立場のオスカルにはロマンの前に、彼女には貴族としてしなければならないと心に決めた「困難への挑戦」が待ち受けているのだ。

彼女が隊長であることをやめたのもそのためである。
これから始まるのは、情熱を傾けた「攻撃」の戦いではなく、人とのかかわりを考えた「守りの」戦いなのだ。

だが、人とのかかわりを大事にすることを描くと、ストーリーから華やかさがなくなってしまう。人のことを考えていたら、たぎる情熱など持てないし、盛り上がらないのだ。
そう言い切ってしまえば、熱い血を燃やして戦うダイナミックなオスカルは、ここにはいない。
 それに、男に従うことなく自分の情熱にのみ従って生きる女の代名詞・原作オスカルに「従う」という発言をさせたのは、確かに物議を醸すものだった。

たとえこのセリフに、「女は男に従うべきだ」という、漠然と女性全体に対する強制的な意味がなかったにせよ、「従う」という言葉に、嫌悪感や強制服従を感じる女性はいるはずである。当然、自分の伴侶を「主人」とか「あなた」とか言いたくない女だっているのだ。それをよりによってオスカルというキャラクターに、「強制服従の意味ではない」からにせよ、遠慮もなくこういうセリフを平気で使わせたのは、強者の理論だと反論する人もあるかも知れない。
だが、アニメでオスカルの言う「従う」とは何かという事について、その後の彼女の行動を見たところ、単に彼女の「従う」という行為は、「盲目的に男性の言いなりになること」だけでは説明が足りないと思う。


■従うとは?

 たとえ自分のためであろうと、人のためであろうと、結局は自分の意志なのだ。
それを貫くのは大変なことだし、原作とアニメのオスカルが全く違うと言いながら、どこかでリンクしていると感じるのは二人の意志の強さゆえだと思っている。

例えば原作でアンドレ無くして生きてはいけないと言ったオスカル。
有る意味、アンドレに守られたい気持ちがあると思う。
だが、アニメ版の37話のラストでオスカルがアンドレの馬の後ろに付いていたことについては、オスカルらしくないという印象を、昔は私も感じたことがあるので、原作の場合はオスカルとアンドレの関係が男女で逆転していることを私自身もかつてはかなり望んでいたらしい。

女って普段、自分の意志で男に守られようとして「従う」行為には抵抗がないのに、「従う」という言葉(記号)には漠然とした女性への「服従の強制」を感じて抵抗を示すような気がする。
又、男性が描く女性キャラクターが、奥ゆかしくて男性に都合のいい女であったなら、それは本当の女の気持ちなど男には解らないからだと女は反発したくなる。
などからして、確かに男性が思っている以上に女性は「従う」という言葉そのものに嫌悪感を感じているのかも知れない。

だが、男女のことばかりではないが、従う者は本当に自分を無くしているのかと言えば、従うふりをして実は相手をあやつっている場合もあるのだ。

我々も常に何かに従って生きている。時には重荷になり、時には、それを口実に甘えている、「従う」という行為。誰かを従わせている者すら、実は、従わせる者らしさ(権力とか経済力とか)を身にまとい、従う者たちが気に入るような「らしさ」の法則に従っている。そういう点で「従う」は、非常に考えさせられたセリフだった。


■原作から抽出したもの

原作には色々なテーマが盛り込まれている。
女性よ!もっと自信を持っていいんですよ!というメッセージもそうだし、愛情、情熱、友情、怒り・・・などなど計り知れない。

アニメ版で男性の演出(何度も書くとかなりくどいが)によって失われたものが、「女性から見た世の中の常識に対する疑問」というものであるなら、それらを取り去った後に残った部分の中には、オスカルの「人間としての生き様」が色濃く出ているはずである。
セリフだけではないアニメの映像の中から、彼女の声なきメッセージを是非とも聞き取っていきたいものである。

 以上、ベルばらを考える時、男とは女とは…?と誰もが一度は考える事を取り上げてみた。結果は、ややこしいと言うところだろうか。
「女だから…」という、普段よく聞く言葉。だが、これには人それぞれに違う考えがあり、色々と日々考えることがあると思う。

実はオスカルの事を考える上で、女だからこう考えたとか、男の姿をしているからこう行動したとか言い始めるとそればかりに終始してしまい、何か大事なものを言い忘れそうな気がするのだ。
確かに男や女の役割分担の問題は尽きない。さらにこの問題をひっくるめながら一人の人間の生きざまを語ろうとすると余計に話はややこしくなる。

そろそろ男だ女だと言うのはさておき、39話からは最終章を語りながら本題である「人間オスカル」について考えていきたい。



2003.2.19.up