×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


     アニメ版 ベルサイユのばら 徹底解説>HOME

第39話の前置き



人間オスカルについて語りたいと言ったばかりなのに、またまた解説に進めないのだが、前回の従う発言ではないが、今回前後の「あなた発言」も議論の的になったらしいので脱線ついでに語っておこうと思う。くどい話が続くので、うっとおしいと思われる方は飛ばして下さっても一向に差し支えない。

またここで男が言ったとか、女が引き下がったとか、そういう話をぶり返すのは解説を妙に長引かせるだけだとは思うのだが、「あなた」発言も放置しておくと、アニメ版そのものの評価を左右しかねないセリフなので色々と考えてみた。

そういえば四半世紀ほど前の本放送の時にこの、オスカルが夫アンドレに対して「あなた」と呼ぶことに、「従う」発言同様、何か違和感を感じたことを思い出す。
オスカルは「女性ならこうあるべき」という壁を破った女性として捉えていたからだ。
だからその壁を越えられなった?あくまで現実路線の中に留まっていた?アニメのオスカルを見て、第三者(男性)の妨害が入った!原作の意図が曲げられた!という感覚があったのだろう。

そういえば当時、結婚した女性が夫を「あなた」と呼ぶのはドラマでも当たり前のようにあり、妻は夫を立てて従うのが当たり前という風潮があった。
「あなた」とは普通、広い意味で相手に対して尊敬の気持ちを込めて呼ぶ言葉で、「あなた」という言葉自体に特にひっかかりは無いのだが、夫婦間の呼び方を見る限り、女性は添え物的な生き方をすべき・女性ならこうあるべき……という「外部からの強制」と共に使われた言葉だった……ように思う。
とかく日本語は相手や自分を呼ぶ単語が多く、それぞれニュアンスも違っていてややこしい。

夫婦間での「あなた」という呼び方は、夫を尊敬し忠実に添い遂げようとすること、まるで「妻というものは夫(男)を中心として生きる事」と同等の意味のようだと、当時は少女だった私が、どこか不公平さを感じつつ耳にしていたと言ってもあながち大げさとは言い切れない。
それが社会への反発なのか、それとも「従う女」を実践していた母親世代の生き方への反発なのかとここで分析を始めたらきりがないので省く。

つまりは当時、原作オスカルとは自立した女性であり、添え物のような女性の生き方を一蹴する人物でなければならないと思っていたのである。
今も、原作についてはそういう(男性中心の)社会への疑問の投げかけがあると、私的に見ている。またベルばらの世界観に留まらず、この疑問を女性が持ち続けることは大事だと思っている。

反面、アニメ版のテーマには「男性社会への疑問」という部分は無い。これはアニメの制作サイドが男性中心であったせいなのか、原作の持ついくつかのテーマの中で、オスカルの生き様を中心に語られたため、その部分(男性社会への疑問)が省かれただけなのか理由は不明である。
(私個人として、アニメ版はあのままで良いと思っているので、不明のままでも構わないのだが…)

余談であるが、原作ではオスカルのみではなくアントワネットについても、頼りにできない夫、それも政略的に愛のない結婚をし、自分の意志で自分の運命を切り開けなかったという「男性社会への疑問」が、フェルゼンとの恋愛として描かれているとも解釈できる。

アントワネットの生き方を追いかけていくと、夫を裏切る行為で男性社会へしっぺ返しをし、革命後の奮闘についても女性は自分で自分の生きる道を切り開く強さがあるのだと物語る。ついでに夫は頼りにならず、自らが強くなり、男にならねばと決意している。
今から思えば莫大な財産を浪費させてくれたルイ16世も、頼りにならないどころか本当は心優しい人だったのかも知れず、相当強い力でアントワネットを守ってくれていたのだが、当時の私はそんな現実的な所まで思考が及ばなかったものである。

倫理的なことをちょっと横へ置いて見てみると、彼女を道具のように扱った社会への復讐、自分は自分のために生きるのだという決意、そして(あくまで一般論としての)女性は、弱い男を見限って、強くて自分を守ってくれる男に惹かれるという割り切った面も語られているのかも知れない。とかく女性は残酷な生き物??
(とまあ、以上はこの解説の補足のために考えついた勝手な原作解釈だということはご理解いただきたい。)

だが私が今回、アニメのベルばらという作品に感動したのは社会への疑問という点ではなく、オスカルという女性の、人との関わりに配慮した前向きな姿勢なのである。
特に少女漫画として描かれ、当時の読者の期待を背負った原作オスカルを、世の一般の視聴者に見せるとすれば、「女性からみた社会」という視点をはずし、「人はいかに生きるか」という普遍的なものを主なテーマに持ってくるのが得策だったのかも知れない。

つまり原作そのものを描かずに原作をアレンジすること。
原作から得たインスピレーションを表現するためには、アニメ版なりに訴えたいポイントを絞り、一部の表現やテーマを切り捨てることは時間的・予算的な制約も含めてある程度は仕方なく、充分あり得ることだと思う。
さらに、アニメでは原作より現実的な舞台で描かれているので、当時の社会が反映されている部分はあったであろう。

アニメ版でオスカルがアンドレに対して、結婚したとたん「あなた」と呼びはじめることについて、放送当時の社会的な常識があり、「夫婦になった」という表現をしなければ当時なりの感覚におさまりがつかなかったものかも知れない。

原作ではアンドレの死後も彼女は「おまえ」と呼び、独身?の時と変わらぬ関係を続けている。これはこれで当時の常識とは別に、「オスカルとアンドレ独自の同等」の関係を表していたのであろうし、従来の男女の関係のあり方を考えさせられるものだったと推測している。
尚、この解説がアニメ版の解説である以上、この「原作をアレンジした事についての善し悪し」について、ここで語るつもりはない。

感覚的な事のついでなのだが、アニメ版において、結婚後の二人が「俺・おまえ」と呼び合っていたとして、たとえばオスカルが子供を抱いて、仕事に出かけるアンドレに「おまえもがんばれよ」と送り出すのも私の感覚では何か違和感がある。
彼女は謙虚な性格だし、元々は可愛らしい女性なのだと思う。
いや、だから「あなた」に呼び変えろと言うのではないし、決して二人が子供のいる家庭を築くとは限らないのだが、「俺・おまえ」という呼び方での彼ら二人の夫婦像がいまひとつピンと来ない。

「俺・おまえ」は幼なじみや、同性で同等の立場の者というイメージが強く、また「俺・おまえ」は男言葉という感覚があるので、オスカルとアンドレがいつまで「男同士」の関係で居続けるのだろうかとも思う。
結婚後のオスカルとアンドレ(アニメ版)が年を重ねて行き、自分たちも周囲の環境も変わっていくので、お互いの呼び方自体も変わる可能性はある。

それとこの先、二人は夫婦であり同士である関係を続けるのかも知れないが、原作のような、(当時の私にすれば)型破りの男女の関係という図式が実のところよく見えない。
あるいは二人が今までにない新しい男女の形を取っていたと言う図式もどうもすっきりと当てはまらない。

どちらかというと、アニメでは普通の夫婦になっている図のほうが頭に浮かぶのだが、オスカルが妻としての幸せをしみじみかみしめようとしていたり、二人のいかにも新婚カップルらしさを出そうという意図以外に「あなた」発言は、たとえ制作者が男性であろうと誰であろうと、女性に対して「女性は男性に従順であるべき」と強制するような威圧的な「含み」はないと思う。
だが、女性に対してそういう従う者らしさを強いる言葉を無神経に使ったこと自体、女性の地位(立場)についてよくわかっていないのではないかという疑問はあるだろう。

個人的な見解なのだが、確かに、何かにつけ男と女の感覚は違うと思う。
たとえば密室などで男性と居合わせた場合、女性は身を守ろうと少しばかり緊張する。
男性の存在はある意味、女性にとって脅威である…という感覚は男性には分かりづらい感覚だと思う。逆に男性にも、女性には分かりづらい感覚もあるだろう。

だが、そういう分かりづらい部分であるからこそ女性は「私を分かって欲しい」という心理が働くのだ。
その部分を「あなた」発言でさらに無神経に逆なでされた!というのはかなり大げさなのだが、大げさに解釈してしまうのがファンなのである。
と、言ってしまうとこの解説がまるでアンチアニメなのかと言わんばかりなのだが、そうではない。当時の感想を思い出しながら書いているだけである。

感想ついでに語ってしまうが、原作ではオスカルは戦っていた、戦う女だった…と感じている。
崇高な理念のみならず、自分の運命を定めた社会に対しても、「男対女」という図式に対しても、運命そのものに対しても彼女は熱い気持ちで戦っていた。(決して好戦的と言っているのではないことは、あらかじめ断っておく。)
当時の私が感じていた不満や、自分では目指せないようなすばらしい目標を持ったオスカルが、私と共に戦ってくれていたのだ。言うならば読者はオスカルになりきって戦えたし、共鳴しつつ彼女と一緒に燃えることが出来た。

もちろん、オスカルの行動そのままを実社会で試すのは無謀であろう。いきなり「私についてきてくれ!」などと熱く言ってしまったらきっと周囲から浮いてしまうので、あくまで精神的なリードという意味ではあるが、原作オスカルのガッツはお手本でもあった。

彼女の戦う意志を無駄にしたくない、アニメにになっても「戦う女」を描いて欲しいという欲求。原作の高揚をアニメでも味わいたいという欲求。
当時の私の気持ちとしては世の中への不満や期待、あるいは「男対女」の図式について、読者である私自身も彼女と共に燃えたかったのである。
だがアニメではその部分がはずされ、肩すかしを食らってしまった。

なので、こうなれば何でもいいから理由を付けて燃えたい!という気持ちを持て余し最後に行き着いたのが、アニメ版を拒否し仮想敵として燃えることだったのである…と言ってしまうと大げさだろうか。
(幸い私はアニメを仮想的として攻撃する前にベルばらからしばし離れた。)
又、今、しみじみと感じる事だが、これほどファンが燃えるきっかけを作り、世の中に立ち向かおうという気持ちにさせた原作オスカルには、ファンを惹きつけるものすごい求心力があったのだということも併せて思う。

そして上記の通り、戦う女オスカルというイメージがないアニメ版において、「男対女」の図式が省かれている上、読者がオスカルと共に何かに戦いを挑む!という描かれ方ではない。現実的な設定の中で、誠意とは何か?生きるとはどういうことかを淡々と物語っているのである。
特にアニメ最後半は貴族であると言うことが、オスカルをより自分に厳しく戒める原因となった。
民衆こそが主役であると、主役の座から一歩引いたオスカルの地味ながら理性的な配慮。
その余りに真面目に生きている彼女の姿を見て、かなり横着に生きている今の私はショックを受けた上、ツボにはまってしまったのだ。
今は逆にあの時の肩すかしをポイントとして高く評価したい。

精一杯生きようとした反面、ささやかな幸せを求めていたアニメのオスカルに対し、「戦う女」を求める気にはなれないという事。
出来るのであればアンドレの言うことを聞いて、どこかの田舎で静かに暮らして欲しいと思うほどである。

しかし実のところ、結婚生活を送る時間もなく天国へ行ってしまった二人の、地上での未来を想い描くのは非常に虚しい。
社会(男女のあり方や男女の関係)への疑問が含まれないアニメ版というせいか、オスカルが自分に厳しく生きたという生き様と、その精神を貫く強さを見せつけられた後では、どんな未来図でもいいので、とりあえずささやかに生きていてくれさえすればいい…と思うだけなのである。

又、特に男女というのではなく、加齢に応じて言い方も変わり、「あなた・きみ」に変化していても不思議ではないなぁと今は思う。
私は「俺・おまえ」の同等の関係から、結婚後は夫婦として互いを尊敬し合う関係に変わったということがアニメでは語られていると思っている。

むしろ、オスカルとアンドレ(アニメ版)に対して特に新しい夫婦の形を作って欲しいと言うよりは平凡な男女の関係でいいと私が思っているからでもあるので、これは私の独り言だと思っていただきたい。
そう、アニメ版については、オスカルが既成概念をひっくり返すのだ!とか、新しい男女の形を作るのだ!という意気込みはすでに私にとってはテーマではなく、「あなた」であろうが「従う」であろうが、二の次の問題なのである。

また原作においても「原作VSアニメ」という解釈を延長し、「社会への疑問」の部分だけをクローズアップして見てしまうのは非常に惜しい。
「男対女」の図式以外にも原作には多彩な人間関係が絡み合って描かれているし、そしてオスカルというキャラクターを通して語られている「高い志を持って生きる」というテーマもある。
誰が主人公になっていたとしても成り立つほどの個性的でドラマチックなキャラクターの面々。
みどころはたくさんある。
むしろ、オスカルが最後まで副主人公として描かれていたとしても、原作の骨格は揺るぎないものであろう。

……とまぁ以上は個人的な感覚の事。

それと実際、アニメ版ではオスカルがアンドレ本人に面と向かって「あなた」と確実に言っている場面はない。
私としては「面と向かって言ったという確証はない」としか言えない。
よく見ていると「あなた」というセリフは全てオスカルのモノローグとして表現してあるのだ。

第一、アニメで特に後半のオスカルのモノローグは非常に珍しい。ましてアンドレへの気持ちを語る以外に彼女のモノローグはほぼ無い。これも「アニメではオスカルは何も考えずにバスティーユへ行った」と言われがちな由縁かも知れない(ちゃんと考えて行った事は前回の解説を参照のこと)。

一部、本人にあなたと呼びかけている森の中の場面があるのだが、それに対するアンドレの返事がないので、対面して彼に直接言っているとは言い切れない。
又この時、あなたという言葉の後にオスカルは「生きていたい」と言っている。これは自分の病気のことを遠回しに語っているように思え、アンドレにひた隠しきた病状をあの森の場面でうち明けたとはにわかに信じがたい。なので私はあのセリフもモノローグだと思っている。

ただし、結婚後はオスカルはアンドレを極力「お前」と呼ばずに名前で呼んでいる。
ちなみにアンドレとの最後の会話はこれまで通りの自然な会話になっており、さらにその後の「あなた」発言と敬語使いはアンドレの死後で、彼女のモノローグである。
第一、二人が結婚したと言ってから最後までの会話はものすごく少ない。38話はほぼ戦闘状態で39話では冒頭からアンドレは撃たれてしまい、会話どころではない。

又、これらの「あなた」につながるセリフはほぼ敬語になっている。
つまりは、アンドレへの尊敬の念を「あなた」という言葉と共に表現してあるのだ。
結婚した喜びを相手への尊敬という形で表現し、アンドレを「あなた」と呼ぶオスカルの前から彼は突然いなくなった。かえってそのギャップが何とも言えず悲しい。

そしてアンドレの死後、幻としてアランに重なったアンドレはオスカルを「きみ」と呼んでいるのだ。これもアンドレによるオスカルへの(尊敬の)配慮であろう。
もし結婚後の二人が普通に対面で話をしていたら、アンドレもオスカルを「きみ」と呼び、妻への尊敬を込めて呼び方を変化させていたかも知れない。

……とは言え、今まで「おまえ」と呼んでいた者に対していきなり「あなた」と切り替えるのは、妻が夫に従うという意味ではなくても、単に聞く上でも耳慣れないし、当のアンドレが一番返答に戸惑うであろう。
特にアニメのように声に出して相手に「あなた」と呼びかけることは、マンガで読む以上に不自然に聞こえるため、当時は結婚したら夫を「あなた」と呼ぶという一般常識はあったにもかかわらず、むしろ出来るだけアンドレに向かって直接「あなた」を言わないように配慮してあるほうだと思う。

どちらかというと「新婚カップル」らしさを表現するために、直接対面で言いそうなところ、それをちょっと控えた苦肉の策としてオスカルのモノローグとなっているのかも知れない。

また、結婚と兵士たちへの告白を経て、オスカルの周囲を取り巻く人間関係が一気に変化しているもの確か。
オスカルがアンドレを「あなた」と呼んだことで二人が夫婦になったと言うこと、そしてアランが「オスカル」と呼ぶことで、彼女を貴族の女上司ではなく「仲間」として見ていることを表現してあることなどである。
又、アンドレはオスカルを「きみ」と呼び、少しぎこちなくもオスカルとの関係を「俺・おまえ」の関係から新婚の初々しい呼び方へと変えている。

この急激な変化は、互いの関係が微妙に変わっていった事を、相手への呼び方で暗に伝えているのだ。
とはいえ、確かに大詰めは話の展開も早く、変化がかなり急激なので視聴者は付いていくのがやっとであると言えよう。

だが、先に原作を見てしまった者としては原作オスカルのイメージがことのほか強い。
物語を見ながら、アニメのストーリーのテーマや流れ、または人間関係の信頼度や愛情が次のステップへ変化していることを追いかけるより、原作オスカルのキャラクター性やキャラそのものの存在感が大きくなりすぎた視聴者は、アニメ独自の物語を楽しむより前に、原作のキャライメージが変化してしまうことに不満を感じてしまうのだ……と思う。
(注:今の私は不満に感じてはいない)

とは言え、「従う発言」や「あなた発言」についての疑問は、女性の生き方を考える上での疑問として問題提起することは大切だとは思う。
男として育ったオスカルが突然、アンドレを「あなた」と呼ぶことに、なぜ違和感があるのか。
作品の中での言葉が、その時代に当然と思われたものであっても、なぜ原作ファンにとってはあえて避けて欲しいと思ったのかを明らかにすることは、作品への思い入れと、色々な考えを持つ視聴者(ファン)間の相互理解に役立つであろう。
私なりには当時を思い出し、それなりの理由は語ってみたつもりだ。

さらにアニメ版の発言の中から、当時の男女の地位に対する考え方や、現在の考え方との違いや問題点を探し出し、これからの男女の問題について改善点などを考えるために、穏やかな話し合いが出来るのであれば問題提起も良いことであろう。

しかし、アニメ版の中におけるそれらの男女の関係についての表現は、あくまで一場面についてのピンポイントの出来事であり、アニメ版自体の中に「男対女」の図式はテーマとして入って無い。背景に当時(放送当時)の社会が描かれているだけで、テーマは別にある。
ただ、この「あなた・従う」という言葉に反応するのは、当時、原作を読んでオスカルの強さに惹かれた原作ファンならではの反応であろうと思う。

ただし、そういう表現が善意・悪意、又はどういう意味にしろ「問題」であると定義したとしても、アニメ版ベルばらの作品全体そのものの存在が問題であると解釈したり、作品の質を問うものでは決してない。

結論としてオスカルがアンドレを「あなた」と呼ぶのは、オスカルが妻としての幸せをしみじみかみしめようとしていたこと、そしてアンドレへの尊敬を表していたということ。
さらに二人の関係の変化を言葉遣いで(当時のもっとも自然と取れる表現で)表現してある……のだと思う。
又、オスカルが妻となり、彼と二人でささやかに生きることを「喜び」と表現している(と、勝手に思う)ことについて、原作と趣旨が同じかというとそれは何とも言えない。

アニメ版と限定した上で、結婚後はアンドレを「おまえ」と呼ばずに「あなた」と呼び替え、又アンドレもオスカルを「君」と呼び替え、二人は互いに相手への尊敬を忘れずにいよう努めたのではないかと想像する(しかない)。

で、最初に戻るが、女性らしさというものは「女性ならこうあるべき」という外部からの強制であると書いたが同時に、「女性ならこうありたい」という自らの意志の場合もある。
なので、今ここで「女性らしさ」というもの全てを撤去したいと言っているのではない。

又、男と女で言葉遣いが違うという習慣、あるいは文化も拒絶する気はない。
男性が男言葉で話すと力強く感じるであろうし、女性が優しく接するときは女言葉で語ればより優しく感じると思う(…のはもはや少数派かも知れないが…)。

「メシ」「ごはん」や「おいしい」「うまい」という言葉など、今は男女の言葉の違いの境目がなくなりつつあり、女性が平気に「メシがうまい」と言う時代である。スカートとパンツ(ズボン)の両方をはけるのが女性の利点かも知れないが、不思議と言葉については女言葉が消え、男言葉になりつつあるのではないかな?と、これも女性解放なるものの一部なのかと気のせいながらふと思う。
又、関西では相手を「じぶん」と呼ぶが、これも(当地方では)年輩の世代は使わない。
いずれにしても年代や地方によって、相手を「じぶん」と呼ぶことや、女性が「メシがウマい」と言うことを、平気で聞き流したり逆に違和感を感じるものであろう。

私としてはこれらの変化を、これも時代の流れなのかと感じ、自分たちの時代に比べて「女のくせに」という表現が無くなることをどこか「これでやっと…」と思う反面、「女なのに」と何処か寂しく感じる…という中途半端な世代でもある。
そのうち、コテコテの男言葉と女言葉で語る恋愛物語が、超レトロで超ロマンチックであるともてはやされる時代が来るのかも知れない、などとも思う。

ということで前回同様、男女の地位の問題や主従関係については扱いが難しく、この場で答えが出る問題ではない。
現実的な問題解決については各自で研究される事をお願いし、又、専用のしかるべき場所で論じていただきたい。



2003.3.10.up