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第39話 あの微笑はもう還らない!(随想)


(7月13日夕暮れ〜14日昼過ぎ)

オスカルの輪郭を語ってきた名脇役の最期。
…とまぁ、ひとまず彼を脇役と断言してしまおう。オスカルと共にテーマを語っている彼なのだが、アンドレの死を越えて最後の詰めはオスカルによって語られたという事で、あえてそう位置づけてみた。
当然、彼そのものを追いかけてテーマを語っていけば当然彼が主役であるが、この解説自体がオスカルを語る事がメインだからという言う程度の理由である。

ベルばらがベルばらであるように、アニメのアンドレも又、原作のアンドレという法則からは抜け出せない。
彼はオスカルを支えることに終始し、彼自身の人生は決して明らかにはならない。そして最後はオスカルに看取られての別れ…
 アニメでは原作とは少し違い、彼なりの時代への想いが描かれているが、最終的に彼の意志は「オスカルと共にひとつの理想を目指す」という形に共有されてしまう。
ただ、少なくとも自分の意志で彼が行動していたという描かれ方があるだけでも、アンドレ自身がちゃんと独立した人であることを想像させるのである。

又、アニメのオスカルも、彼女の意志が表現されるのはバスティーユであり、そこで命を落とすというベルばららしさの法則から逃れられない。
彼女ならば、生き延びて別の人生を歩む方が社会のためにもプラスになっていたかも知れないと言う「もしも」を感じさせていただけに残念至極である。(もちろん、原作についてでも言えるのだが:念のため補足)
だが、アニメのベルばらのテーマそのものがオスカルの死によってより強く語られているのであれば、感動と損失感のはざまで私はおおいにジレンマに悩まされてしまうのである。

 物語のクリエーターとは時により残酷である。
物語のテーマを語るために、ストーリーの核心部分で主人公たちの生きる喜びも平凡な幸せも全て奪い去るのだ。
その時、登場人物たちは自らを犠牲にして物語のテーマを背負わされる。
彼らが体を張って訴えたものは何か、クリエーターたちの意図は何か、目を背けずに見ていくことにしよう。

そしてもう一つの主題、オスカルとアンドレの愛情。
互いを理解しすぎた男女。それが悲劇へと向かう・・・それが39話。

 アンドレの心臓を貫いた一発の銃弾。
それはオスカルを守ったからでも、敵と相打ちになったのでもない。
アンドレにしてもオスカルの命を救って死ぬのであれば本望だろう。だが死は突然やって来る。
今やパリは戦争状態・非常時である。元衛兵隊と国王の軍隊とは敵同士。出会ったら即、戦闘である。まして、オスカルたちには討伐命令が下っているのだ。

オスカルは橋の上にいる兵士に対して、先制して銃を撃っている。そうしなければ彼女たちが危ないのだ。
多分、敵の兵士はとっさに先頭にいる指揮官のオスカルを狙ったものと思われる。だがオスカルの銃が早かった。それに兵士の方があわてているので、当然狙いも正確ではなかろう。普通なら無駄弾になりそうなものが、運悪くアンドレに当たったのだ。
見方によると、オスカルがとっさに避けた弾に当たったとも言える。…この場合は少なからず直接的にオスカルの身代わりになったと言えるのかも知れない。

いつかアランが忠告した「そんな女に惚れたら男のほうはいくら命があっても足りねえ」という言葉通りの事が起こる。だが、今では「何かから逃れる」こともないオスカル。
取り返しのつかない事になる前に、二人は大事なものをしっかりと見つけたはずなのだ。オスカルはもはや何かから逃れる生き方ではなく、悔いなく生きたいという切なる気持ちへと変化して行ったはず。だからアランの忠告は無効になったはず、と信じたい。だが、そのとたんの不幸だった。

 後期あるいは中期以降(演出が出崎氏に代わってから以降)、ここに至るまで、オスカルが直接、争って人を殺すシーンはない。
人の命の重み。それを考慮してか、オスカルが平気で人の命を奪うシーンはない。その反対に、アランやアンドレがサン・ジュストのスパイの兵士を撃つシーンなどはさりげなくあったりする。やはり彼らは男であり、戦闘的に描かれている。

 今、裏切り者の衛兵隊員は次々と命を落としていき、隊として戦闘不能状態におちいる。そしてベルナールのいるバリケードへ戻ろうとするオスカルたちを発見した兵士は、すかさず彼女に銃を向ける。オスカルも間髪おかず銃を撃つ。当然の成り行き。
…戦いに身を投じた者は、自らも戦いに倒れても当然である。
オスカルは死を選ぶつもりはなかったであろうが、死の危険は承知していたはずだ。だが、運命は彼女の命を奪う代わりに、アンドレの命を奪って行った。
これは直接的ではないか、抽象的にオスカルの身代わりになったと言う意味にも解釈できる。

何の感情移入すら出来ない、まともに顔すら写らない、ただ一コマ出て来ただけの敵の兵士。
彼がどうなろうと物語りに何ら支障のない兵士の命と、オスカルの最愛の人・アンドレの命の重みは同等なのだ。
死んだ兵士にも妻がいたかも知れない。彼にも彼の命をかけがえがえないと思う者がいても当然なのだ。
その兵士の、大事な命を奪ったオスカルの代償は、あまりにも大きかった。

 彼女から大事なものが一つ一つ奪われて行く。家族との決別、忠誠を誓ったアントワネットとの決別、彼女自身の命の期限、…そしてその命よりも大事なアンドレの命。重苦しい現実は、二人の楽しい幻想すら奪って行く。
もうオスカルには何も残っていない。それでも、オスカルは戦わなくてはならないのだ。何のために?

オスカルはアンドレを失った夜、雨のパリの町をさすらい歩く。彼女は自分が彼を深く愛していたことを長い間、気が付かなかったのだ。その後悔は彼女を絶望の淵へと追い込んで行く。もし、もう一度アンドレに会えたなら、ごめんなさいと彼女は伝えたかったに違いない。だが、彼は二度と返って来ない。胸が張り裂けそうな悲しみ。

延々と続くような夜、突如降って来た雨に失意のオスカルの体は弱り冷えていく。
そしてそのまま気を失っていたオスカルは翌朝、バスティーユに向かう人の群れに気づいて目を覚ます。
そこで彼女はアンドレの幻に出会う。それはアランが彼女を探し出し迎えに来ていただけなのだが、彼女にはそれがアンドレの言葉として聞こえてくる。
仲間がおまえを待っている、と。

絶望と後悔…暗い雨の中をオスカルがさまよった心の闇。もはや彼女の心の支えアンドレは何も応えてはくれない。
その闇の中、オスカルが見つけだしたひとつのもの。

人を信じる心を持ち続け、人を見守る事を最後のその瞬間まで貫いた、最愛の人・アンドレ。
“彼の意志が私の中に生きている限り、私は彼と共に生きていく”
“私が戦い続ける限り、アンドレも又、共に心の中に生き続けるのだから”

アンドレの死と共に一度は目的を失いかけたオスカルの意志。
二人が戦おうとした目的は、この時代の中で自分たちに出きる限りの事をしたいという切なる願い。彼と共に新しい時代の扉を開けようとした未来への希望。
「仲間が待っている!!」
そう、幻のアンドレの姿はオスカルに伝えようとする。アランの中にも、共に戦う兵士たちの中にもアンドレの意志は生きているのだ。人の未来を信じる心が!!
その希望のためにも、共に進もうと誓ったアンドレのためにも、オスカルは再び前を向き、誠意ある生き方を貫こうとするのだ。

全てが終わりかと思われたその時、オスカルは最後の力を振り絞って立ち上がる。私にはまだしなければならないことがある、そして私を待っている人がいる。

もちろん、オスカルが一晩で全ての気持ちを切り替え、絶望を希望へ変換させたとは思えない。再び立ち上がった彼女の身も心も未だ引き裂かれたままであろう。
だが、時は待ってくれはしない。今この時、私は行かなければいけない…と、心を奮い立たせるのだ。

なぜオスカルがバスティーユへ行かねばならないのかは語られてはいないし、モノローグもない。それに彼女が今の自分自身の意志をどれだけ理屈としてわかっていたかは不明である。だが彼女を動かしたのは言葉や理屈ではない。心がそうせよと命じているのだ。
彼女は再び顔を高く上げ、生きるとは何かと言うことをかみしめ、非情な司令官としてバスティーユに立ち向かう。命の最後の瞬間まで輝き続けよう、と。

……どこにあれほどの力が残っていたのだろうか?
仲間を、アンドレを信じる力を再び得たオスカルの号令が戦場に響く。



★余談:今回の半ばでアコーディオンおじさんも革命のどさくさの中で死んでしまった。
ベルばら後半の民衆の哀歌を歌ってきた彼も又、名脇役。
物語を民衆側から革命へと導いた人物は、アンドレと同じく、新しい時代の扉をあけるのみにとどまったのだ。
多分、息子(あるいは弟子)と思われる人物が彼の意志を継ぎ、未来を生きていくのであろう。
少なくとも彼は「希望」を未来へつないだのである。

★注:幻の姿として現れたアンドレは正確には「仲間がおまえを待っている」とは言っていません。この時、アンドレはオスカルをおまえではなく「君」と呼び、「仲間」ではなく「君が率いる衛兵隊」と言っています。
私なりに感じたイメージとして、解説の流れとして語呂の良い言い回しを取らせてもらいました。
(この場面だけではなく、すでに他にも同じようなことをしているかも知れません:汗)



2003.3.10.up