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アニメ映画版 ベルサイユのばら
「生命(いのち)あるかぎり愛して…」


この映画版はテレビの本編をまとめた物であり、結末も同じなので、あらためてその内容について語ると重複してしまうので手短に語ることにする。
時々「ダイジェスト」と呼んでいるが、この映画版の事を示している。

内容について簡単に言うと、テレビ本編全40話をつなぎ合わせ、ベルサイユのばらとはどんな物語なのかを1時間半で見せている。見ている限り映画のために描き足された新たな映像は無いように思う。
セリフの違いも逐一、本編40話と比較してみたら面白いだろうが、ざっと見たところ大筋に影響していないと思われるので全体的に見渡してみると、原作オンリーファンにとって俗に言う「オスカルらしからぬ」セリフ等は省かれ、それなりに無難にまとめてある。
だからと言って原作に近づいたわけではないのだが、どうにもダイジェストな分だけ、アニメ独自のアレンジもカットされているようだ。

つまり、テレビ本編40話のような独自路線の仕上がりを思えば、この映画版はアニメ版ならではの「らしさ」の色が薄いと言えよう。
いずれも目を皿にして耳を盆に?して観察したわけではないので、細かいところをこだわると色々出てくるであろうが、これらの映像やセリフ等のこだわりチェックをする予定は今のところ無い。ほぼ未定である。(^^;)

さて、まず感想はと言うと、はじめてこれを見たときは息付く暇もないほどの展開に、ベルばらの原作を超短時間で一気読みしたかのようなめまぐるしさを感じた。
テレビ本編や原作を後からじっくり見返すと、やはりそれぞれもっと時間の流れがゆったりしていて、この映画版は駆け足で語ってある分、物語の中身がぎゅっと濃縮してある。

もちろん、入りきらなかったエピソードが多々あるので、詳しく知るなら40話を全て見るのが良いが、とりあえず入門として「アニメ版ベルサイユのばら」を知ろうと言う人にはお勧めである。
尚、ベルばらの基礎を知るなら原作がお勧めだが、ビデオはレンタルで気軽に借りられるし、音と映像で流れるこの総集編は視覚や聴覚から勝手に脳に入ってくるのでお手軽で良い。

なにより1時間半でオスカルの一生を語るので、長浜監督演出の前半(1話から18話)の比較的ゆるやかな展開はかなり端折られ、ほぼあらすじのみになっている。
後半に入っても落とされたエピソードは色々あり、ジャンヌの登場も首飾り事件を語るのみである。
ジャンヌについては、テレビ本編での印象はかなり強いのだが、エピソードがそれ単独で独立したものであった(anotherストーリー的要素がある)ために、ドラマとしての盛り上がりはカットされている。特にオスカルとジャンヌの絡みは無くなっている。
その反面、アンドレが左目を失明した原因、ならびに(原作において)オスカルが衛兵隊に転属するきっかけとなった黒い騎士のエピソードがクローズアップされている。

テレビ本編では黒い騎士よりジャンヌ事件の方が中身も濃く、迫力あるエピソードだったのだが、ベルばらに最低限必要な「アンドレ左目失明」と、終盤に必ず絡んでくるベルナールとの「出会い」のエピソードが優先されている。
もちろん、アニメで衛兵隊転属のきっかけとなったオスカル女装?エピソードはしっかり盛り込まれている。これは原作でも当時かなり話題になったのでまず落とせないエピソードであろう。

ロザリーに至っては影も形もないが、本編の声の出演・吉田理保子氏がここではジャンヌの声を当てられている。
そう言えばポリニャック夫人も見かけないなぁと思ったら、声を当てられた武藤礼子氏はナレーターをされている。シャルロットも出ていないので、ポリニャック一族は映画版では活躍していない。

内容は主に19話以降のエピソードが多いのだが、こうやってダイジェストを見ると、演出が出崎監督に代わってからの中盤以降は、朝日・夕日・夜・雨・霧などの一日の時間の移り変わりや気候の変化が、頻繁に演出に使われているのがよく解る。
フェルゼンのアメリカ独立戦争行きの決意や、革命の朝オスカルが決意を語る場面では朝日が効果的に使われている。

特に人の決意は、朝日と共に気分も新たに固まっているらしい。
新しい一日の始まりは、それぞれの人の新たな門出・新しいものの誕生を表してある。
夕暮れは物思いや重い気持ち、熟した考え。夜は秘め事や別れ、死などに結びつく。
そして一日の移り変わりと共に画面の処理(色使い等)も変わるので、そのあたりの演出も合わせて楽しみたい。

また、エピソードが濃縮してあるのでオスカルとアンドレの関係が忙しく変わる。
時間の経過が早いので、アンドレが悶々とする時間が非常に短く、同時にオスカルがフェルゼンのことで悶々とする時間も短い。
つまり恋愛における「間」の取り方(じれったい時間とも言う)がカットされているので、二人は本編のように時間をかけてお互いを理解しあった結果の「しっとり夫婦」と言うよりは、カラッと晴れた「幼なじみ夫婦」になったように見える。が、これもダイジェストというのみならず声の出演が変わったことも一因かと思う。

ところで、まずこの映画版で最初に言うべきは、声の出演が変わっていることであろう。映画版編集者の人はテレビ本編とイメージの一新を図ったのだろうか?
オスカル・アンドレ・フェルゼン・ジャンヌなどなど、主要キャラはほぼ変えてある。
ついでにルイ16世は井上和彦氏になっているので、私とすれば思わず島村ジョーとかぶってしまう。
しかし幸か不幸かアンパンマンや三代目鬼太郎に馴染みのない私は、あまり戸田さん版オスカルとイメージがダブることはない。

さらに短い時間で全て語ることは難しいので恋愛劇のみならず、オスカルが衛兵隊へ転属してからの苦労やアランとの関係を築いていく過程はほぼカットされている。
革命へと流れていく世の中の動きやオスカルの心境の変化なども、やはりあらかじめストーリーを知っている者はそれなりに脳内で補足しながら見ることが出来るのだが、この映画版で初めてベルばらを見る人にとっては、ストーリーの詳細ではなく、まずオスカルが美しくてりりしい人だという映像のインパクトから入る事になるのではないかと思う。
その点、作画が安定していたことはとても良かったと思っている。

何より元々が個性的なキャラクターたちであるし、ストーリーもしっかりした歴史背景を持っている名作である。
ダイジェストながらキャラの相互関係も把握できるので、この映画版を見た後にテレビ本編40話も見てみたい気になってもおかしくはない。
まして懐かしさも手伝って、本編に手を出してしまったのは私だけではあるまい。

映画版としてのちょっとしたアレンジはオープニングにテロップが無く、映像そのものを楽しめること。
エンディングに流れる曲「麗しき人よ!」の切なく力強い響きと映画風なテロップ。
オスカルの半生を余韻で見せるエンディングの映像は、いつものテレビエンディングと違い、ちょっと大人な演出になっている。

実はベルばらに再燃したのはこの映画版がきっかけなのだが、テレビ本編を見てしまうとオスカルの声のイメージは完璧に田島&志垣コンビに定着してしまった。
しばらくしてこの映画版を見直すと、その違いに驚いたほどだ。
今見直すとオスカルが30歳あたりになると、戸田さんのはつらつとした声も良いのだが、もう少しトーンの低い人でもいいかなと思う。ただ、あまり低いと暗い人になってしまいそうである。

そもそもオスカルというキャラ、特に原作オスカルの声のイメージは言葉にするだけで「知的・情熱・力強さ・凛とした強さ・意志の固さ・優しさ・りりしさ・華麗さ・その他諸々…」色々とイメージの幅が広く、ついでに個人個人によって捉え方も違うであろうし、絞り込むのも難しい。
ただしアニメ版の本編については、私は田島さん版で満足している。

とまぁ色々書いたが、テレビ本編を編集してつないだだけとは言え、ちゃんとツボを押さえてあるし、全編の見所がまとめてあり、最後には充分感動できる仕上がり。
ただしテレビ本編を先に見た人にとっては、声の出演の変更で多少戸惑うこともあり得る。

最近はレンタル屋にも無い場合があるので少々寂しい。DVDも41話とこの映画版は収録されていないのが残念だ。
だが機会が有るのなら、未見の方には是非お勧めである。



■以下は映画版の解説を以前に書いたときの感想である。41話を語り終えてホッとしたせいかあまり気合いが入っていない。ひとまず原文のままとした。

*******************

 声の出演が変わり、オスカルはより少年ぽく、そしてアンドレはより甘い声になる。私
にはマチルダさんとヤッターマンに聞こえて仕方がないのだけれど…。するとフェルゼンは古代君かな?
 特にオスカルの戸田恵子さんは前半のはつらつとしたオスカルにはよく合っている。
原作のオスカルについても戸田さんは結構、合っているんじゃないかなぁ。

 こうして通しで見て思うには、やはり、前半(1〜18話)・後半(19〜40話)の演出の違いがあまりにも大きい。
前半の原作を意識したかっこいいオスカルからは想像できない、後半の原作から遠く離れたオスカルの性格設定とアニメ独自の展開。
どうにも前半と後半ではオスカルが別人としか思えない。

そうなれば、どうも物語が最初と最後で印象も違い、全く異なる木を接ぎ木したみたいにちぐはぐに感じる。後半のオスカルを思うとき、18話(前半)までのオスカルとがどうにもつながらない。彼女(後半オスカル)の少女時代がイメージがないのだ。
そりゃあ、ファンなので勝手に前半と後半を結びつけて関連性を持たせようとは思っているが、何も知らない人が見たら、前半と後半のアンドレについてももよもや同一人物とは思うまい。

 それと、この映画版では、「従う」とか「妻になった!」とか「あなた」とかは省かれている。それからアランの「オスカル」呼び捨ても。
何か問題があったのだろうか。




2003.10.26.up