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     アニメ版 ベルサイユのばら 徹底解説>HOME

結び



■結びの冒頭
あらためて、この解説を完成させるに当たってお世話になった方々、また何かのご縁で知り合ったりメールを下さった方々、そして読んで下さった方々全ての人に感謝致します。
ありがとうございました。


■解説を終えて

以前に書いたものをインターネットのサイト用に書き換えるのはさほど難しいことではないと、始める前は思っていた。
だが、いざ始めて見ると文章がわかりにくかったり、伝えたいことがぼやけていたりと、編集作業・文章の組み立てのやり直しにはことのほか苦労した。
また、別の企画で語っていた時期もあり、一年ほど休止した事もある。
気がつくと足かけ4年が過ぎていった。長きに渡り、この解説におつきあい下さった方々には本当に感謝している。

この解説は出来るだけ肯定的に書いてきた。さらに、本放送を見た私が当初、否定的に見てきたところも肯定的に変えて書いた。
自分が否定的だったからこそ、否定していた時の気持ちも分かるし、今は肯定する気持ちも分かる。その両方の気持ちを並べてみて、比較的冷静に書いたつもりだ。

気持ちの上では、ベルばらの世界をより美しく装飾するよりも、わかりやすい日常の言葉で語ることを心がけた。
また、このアニメ版ベルサイユのばらで感じた「もの」を言葉に変えるために、日々、心に思い浮かんだ言葉や本や会話などを通して得た色々な言葉(語彙)を、解説に当てはめられないかと思い、これぞと感じたものは忘れないように常に持参しているメモに書き留めていた。当時はそんなこんなで、気持ちを表現する言葉探しの探求の旅のようなものだったかも知れない。

だが私自身の書いた内容も、所詮はどこかから寄せ集めてきた単語や語彙の集合体にすぎない。ただ、そうして寄せ集めたものをそれなりに並べて組み合わせて、自分なりに自分の想いを語ってきた。
だからこの文章の集合体(解説)は、私なーかるの想いの塊なのである。
たかがアニメの解説を書くのに我ながらごたいそうな話だが、何かに真剣に向き合うということは緊張感や持続力がいると言うことも実感した。

しかし多分、こういう風に物語を淡々と解説にして書いてしまうと、神秘的な部分や語らずに大切に心にしまっておきたい部分があからさまになってしまう。
語らずにおけば永遠にファンタジーな部分が、文字通り「文字」にしてしまうと、ありきたりの現実になってしまうのだ。

誰かと感動を共有したい場合は、出来るだけ感動を言葉に変えたほうがお互いの気持ちも確認できるので利点も多いのだが、反面、この感動を言葉にして広く一般の目にさらすことにより、反対意見も生まれてくる。

人の感動は単に文字にして語るだけではとうてい足りないと思うが、「そういう意味だったのか、やっと解った」という感動がある反面、見る人によれば「なんだそんな普通の事だったのか、つまらぬ話だ。じゃあ、その逆も言えるじゃないか!」ということにもなりかねない。
解説を書くにあたり、物事を反対の立場で考えたり色々な角度で見るにつれ、考え方とは人それぞれなのだろうとも思った。
だからこそ他人の気持ちというものは自分にはままならぬものであり、一歩引いて見た場合はその違いが面白く見えるのだろう、とも思った。

だが肝心なのは、自分自身の想いをどれだけ伝えられるかという事だった。
これまであれこれ語りながらも、言葉の使い方の難しさをその都度感じてきた。
どこかでも書いたが、言葉は心を突き刺す剣にもなり心を守る盾にもなるということ。
今もこれを書きつつ、自分の言葉が他者に対して剣になっているのか盾になっているのか、案外、気が付いていないのではないかと考えさせられている。


■コンセプト

さて、今さらながらこの解説のコンセプトは何かということも少し触れておこう。

高い志を抱いて人の先頭に立つりりしいオスカルという女性。確かに原作ではそうだった。
この一言で彼女を語ってしまえるものではないが、原作のオスカルの情熱は生きるパワーを全開させた推進力として読者を圧倒したと言える。
だが、アニメ版はそういう「オスカル像」ではなかった。

どちらかというと身近にいて、私たちと同じ事に悩み葛藤する女性だったと思っている。
その自分たちと同じレベルで生きている彼女が、怒濤のような人生を逃げることなく立ち向かったパワーの源は何だったのか?その部分がどうしても知りたかった。
彼女の語らぬ部分が、物語の一番大事なところなのではないだろうかと思い、そのあたりを色々と推測しつつ書いた。

解説を進めるにあたっては、等身大の女性としての「オスカル像」を形作っていったつもりである。
オスカルも生きている限り、色々と悩み多き普通の人間であろうし、光り輝く原作の「オスカル様」ではない、もっと身近な「オスカル」(呼び捨て)を書いてみたかった。
比較的冷静に解説を書いたと言ったが、時には自分の体験やさまざまな想いも当然、内容に織り込まれていたのは間違いない。
このような一部殴り書き、または自己満足のような解説におつきあい下さり、申し訳ない気持ちも交えてやはり最後には「ありがとうございました」という言葉が締めくくりとして出てきてしまうのである。


■この解説における原作

最初から、この解説は原作についてではなくアニメ版についての解説であると前置きをしていた。
だが、物語を語る上で良い意味での比較として、どうしても気になって原作について語ってしまった部分はある。
ただ、原作についてじっくり腰を据えて語るにはまだまだ自分の心の中でも準備が整っていないと思っている。そのような状態で原作はこういう作品だとえらそうに語ることは出来ない。
又、きっと私より原作についてうまく語れる方がいらっしゃると思う。
あくまでここでは、ベルばらという作品の基礎であり、私の少女時代に力を与えてくれた大好きな作品として解説に登場していただいた。

なので原作については抽象的に、かつ良いトコ取りで語っている。
もっとしっかり原作に踏み込んで語らないのか、単なるヨイショで済んでいるのではないかと思われた箇所があったかも知れない。
だが、冷静かつ愛情たっぷりに語ることはそう簡単ではない。まして半端に語りたくはない。
原作の表面のみを語るだけにとどまったのは、アニメはアニメで単独で語りたかったからである。
原作とアニメ版を並べて見て、「原作を引き合いに出して」まるでどちらかに優劣をつけるかのような事はしたくなかったのだ。


■ファンから見たベルばら

解説の進め方でひとつ気になっていることがあった。
それは私自身がベルばらファンとしては古い世代である(多分)と言うことである。
アニメ版に対する見方もまず否定から入って、かなり後になって肯定に転じた。
その経緯があるので、アニメ版を好きになった人はもとより、原作が好きな人に向けて「アニメ版も楽しんで見ませんか?」と呼びかける意図が、内容に見え隠れしている。

余計なお世話かも知れないが、原作だけでなくアニメ版も理解して楽しむことが出来れば、楽しみが二倍になるということを私は体験した。
もちろん、読みたくない方に無理矢理読んで下さいというものではなく、これは自由意志であることは間違いない。
だが、この解説そのものが「原作からベルばらをよく知っている」と言う人向きになってしまった部分がかなりある。

ベルばらでたとえれば「アニメ版は原作のサイドストーリーだ」という言い回しは、原作ファンの方には「原作から派生した別の物語」というニュアンスで比較的すんなり受け取っていただけると思うが、広く一般の方からすれば「アニメ版は全く独立した作品だ。決してサイドという軽い存在ではない」と反論があってもおかしくはない。

ベルばらに限らずどのファンにもファン同士にしかわからない独特の世界観がある。これはある程度の年月を積み重ねて築き上げた世界であり、新たに入っていく場合には多少時間がかかるものだと思う。
それはファンという趣味の世界だけでなく実生活の会社や組織でも同じだ。特にその世界の中に自分が染まると、疑問を感じなくなる。疑問を感じていては日々やっていけないのだ。

もちろん、それはそれで居心地が良ければいいのだが、もし他の世界観を持つ人と交流する場合は柔軟な対処が必要になってくる。
何でもそうだが、互いに世界観の違いをあらかじめ知って認めあっておかなければ、理解し合うことは難しい。
そのためにもぜひ自分の世界観を客観的に見る余裕を持つようにしなければ!ということを感じた。(案外難しいが…)

なので、解説を書きながら、すでにファンの人、そしてこれからファンになる人、という異なる世界観の人が読まれるであろうことを想定して、自分の視点をどこに定めるのかをその都度悩んだ。
今回感じたのは、ベルばらファンに対してファンの輪の内向きに語るのと、ベルばらファン以外の人に対して外向きに語るのとでは、言葉の選び方が違うという事だ。

その点で言うと、自分の通ってきた道が一番書きやすく、「まずある程度原作を知り、なおアニメ版に興味をお持ちの方」に的を絞って書いてきた。
原作をあまり知らない、又はたまたまアニメ版のベルばらを見てファンになったという方からすれば、言い回しに疑問点を感じたり、多少取っつきにくいものになったかも知れない。


■ひとまず完成ということで

アニメ版のベルばらを解釈を交えて色々と語ること、自分なりにアニメ版の物語について一つの道筋をつけること、データを残すこと、そしてそれを最後まで書き終えること等々、当初からやろうと決めたことは一応、決着した。
嬉しいと言うよりはやれやれと感じている。

各話解説はこれでひとまず完結するのだが、完成するまでに苦労した割には、もう終わりかと思うとどこか寂しい。

時には解説を放り出して、ハイテンションで抱腹絶倒の「ハイテンション・アニメ版解説」を書こうか?とか、各話ごとにベストワンシーンを取り上げて、同時にそのツボを語ってみようか?あるいはRPGゲーム風ベルばら語りなるものを作り、原作を知らない人にも楽しめて、それなら一度原作を読んでみようかな!?と興味を持っていただけるようなもの…などなど、邪念が沸々と湧いていた。
ただ、そこまですると、個人の自由時間がかなり減りそうなので、頭の中で妄想するだけに留まっている。

不思議なことに今まで独りで書いてきたのだが、その実、どこかで誰かと想いが共通しているように感じた。
それはメール等で励まして下さった方々なのか、アニメ版を愛する同士(爆笑)の方なのか。
なんとも表現しにくいが、誰かがどこかで理解して下さっているという希望を心に持って書き進めることは楽しいことであった。
そんな気持ちになれた事自体が、最後の最後になってもやはり有り難い。
では又、解説を始めるか?と言われると、ちょっと躊躇してしまうのであるが…。

又、時間があれば私、なーかる流の語りをどこかで始めるかも知れない。ただし、次はこの反動でとんでもなくおちゃらけてアホなものになる可能性もある。
要は、楽しいことが好き。
何かを創るにしても、それを見てもらうにしても、楽しくなければ面白くない、そう思うのである。

しまりのない結びになったが、「人はどこかでつながっている。人は独りでは生きられないことを今は感謝しつつ、結びの言葉としたい」などと、優柔不断な私がカッコをつけるのもこそばゆい。
振り返ればちょうど一年ほど前、アニメ対談を締めくくった。その後、自サイトの解説をまとめるのに一年と少しかかった事になる。本当に月日が経つのは早い。

よくもまぁ、こんな長いものを最後まで読んでもろて、ホンマ嬉しい。
ありがとうございました!!


2003年12月19日 noon


2003.12.19.up