アニメ版 ベルサイユのばら 徹底解説>HOME

解説 まとめ




実際、まとまってんのか何なのだか…。

世の中には「溺れる人を助けるために自分が溺れてしまった人」がいる。
大義名分じゃなくて、名もない人たちのために、必死になってしまった人・オスカル。
これが一般に言うオスカルらしいかどうかはそれぞれの判断に委ねるとして、そんなアニメのオスカルに感動してしまったんです、私。

また、最後まで報われなかった、いや、本人は「さよなら」と言い残し、自分の運命を恨むことなく、そして出来る限りのことを精一杯やり遂げたんだから、安らかだったと信じたい。

けれど、テレビを見ている私にすれば、もう、この物語が悔しくて空しくて、テレビにがっぷりと組み付いて揺すって見たい気分。

ラストシーンで、苦しみが多い人の世など素知らぬ振りで空を飛ぶカモメたち。ああ、無常の世。

きっとオスカルとアンドレも、人の世で苦悩したことなど忘れ、カモメに生まれ変わって、自由に空を飛んでいたのかも。

 

 

愛情

これまでアニメ・オスカルが何を訴えていたのか色々考えてきた。最後に、人間の愛情について少し触れ、締め括ってみたい。

 「愛している」という言葉はよく耳にするが、男女の恋愛だけではなく「愛情」について考えていくと、なかなか言葉にして説明できないもののように思う。

 アニメではほとんど触れなかった、「神」や「愛」という言葉。彼女が人生に求めていた愛情とは何なのだろう。

広い意味で、人が信じる対象としての「神の愛」を考えてみたい(少し大袈裟だが)。 神の愛は完全であるにしても、人間の愛情とは弱く不安定で、限りがある。だから人は余計に完全なものへと心がひかれるのだろうが、実際、神の愛は目に見えない。だから人々は崇高な理念に神の愛を探したり、またある者は、人の心の奥深くに内在する(であろう)神の愛を探す。

 だが例えば、崇高なものへの愛を、人が実現しようとすると、その過程で、その人は血の通った愛を犠牲にしてしまうのだ。言ってみれば自分の信ずるもののために、自分の命や恋人を捨てたり、家庭をかえりみないことである。

崇高な理念に神の愛を見た原作・オスカルは、理想に情熱を傾けた結果、恋人を失い、自らも命を落としている。そしてその後に彼女の意に反して崇高な理念は見失われている。結局、彼女は信じたものを夢にこそ見たが、手に入れることはなかった。

 反対に、恋人や両親など、人の命そのものを大事にする余り、その人が持っている信条を捨てなければならないこともある。他者の中に神の愛を見たアニメ・オスカルは、人とかかわる事に真実を求めた結果、彼女が非暴力的で流血を嫌っていたにもかかわらず戦闘の矢面に立ち、命を落としている。彼女も原作・オスカルと同様に、結局、信じたものを見る事はなかった。

 実は、これら二つの物語で表してあるように、神の愛へと至る道に「崇高な理念」を掲げるか、「人の命の重み」を掲げるかは全く違うのだ。

だがこの二つは本来、比較できないほど大事な事にもかかわらず、相反している。

つまり互いに譲ることができず、両立が出来ないのである。

「人の命の重み」と「崇高な理念」。これらのどちらか一方を選択すると、どちらかが犠牲になる。…犠牲を伴う愛は完全ではないのだ。

そういう考えで見ていくと、二人のオスカルは人の生き方を追求し、それぞれがその両極端へと行ってしまったような気がする。確かに彼女らの信じたことは感動を呼ぶのだが、その行動によって、同等の価値を持っている「崇高な理念」と「人の命の重み」というものの、どちらかが犠牲になったことで、我々は人の世の行き詰まりを感じてしまうのだ。

もし神の愛が完全であるなら、そこに流血はないはずである。

高い理想を求めることに犠牲が伴うのなら、その実行方法のどこかに不完全な部分があると言える。

そして、人の命が大事であるからこそ起きる争いも又、犠牲を生み、完全ではない。 だが、どちらの生き方も愛情の表現には変わりない。これはすでに男性や女性の優劣の問題ではない。ましてオスカルが男として育ったことも、人としてどう生きるかという次元では大きな問題ではない。

それとここでは、話として「神の愛」という言葉を持ち出したが、アニメでは神という概念はオスカルの口から一切語られていない。だから私もあえてオスカルは神を信じて、その姿を追い求めて戦ったとは断言しない。彼女が何を信じたか、それは物語を見た一人一人がそれぞれの感情や言葉で感じたらよいことであると思う。

だからアニメ・オスカルが何を信じていたか、作中で明らかにならなかった事もそれでよかったと感じている。

 事実、人の心の奥底にあるのは本当に神の愛なのか、反対に身の毛もよだつ怪物なのか、確かめるすべはない。又、幸いにも今、それを試される時代でもないのである。

 

まとめ

 そのつど感じたこと、思ったことを書いてきた。で、最終回までを書き終えて、不満は今も残っている。

だが、あの寡黙で何も語らないオスカルに不満があったかといえば、そうではない。私はあの不言実行型の、何かを語りかけるようなオスカルのまなざしが好きである。彼女の物言わぬ瞳には多分、言葉にできない深い愛情があったように思えてならない。確かに何事でも、心を伝えるのにまず言葉があるのだが、心を打たれる出来事に必ず言葉が必要かと言えばそうではないと思う。例えば、言葉にしてしまうと、大事なところが伝わらないもの。普段の生活の中では、そんな気持ちもあったのかと軽く流してしまうもの。でも、何か出来事があって、いざ自分の気持ちが試される時に、初めてその意味が実感として伝わってくるもの。そんなものの事。

 自分の信条を言葉ではなく、行為で表現し続け、それを訴えるのではなく、自然な気持ちで人に奉仕しようとした彼女の姿勢。愛情に不信感を持ち、認めて欲しいという気持ちから次第に変化していき、やがては人に対して気持ちを開いて、人に愛情を与えていく女性へと成長していったオスカル。彼女の壮絶なまでに、人の心に食い込んでいった力というものが、やはり熱い情熱ではなく、人の気持ちを尊重して歩み寄ろうとした静かな誠意なのだったと今では思う。 私の不満とは、そんな彼女がなぜ最後に死という結末に至ったのか。彼女が行った行為に対して、正しい報酬が支払われなかったことが悔しいのである。

架空の物語として、見る者に希望を与える最終回にすることは可能であったはずだ。この世で幸せになる、という形で彼女は報われるべきであったのだ。

現実離れした試練を次々とかせられたオスカルに対し、その死はあまりにも現実的すぎた。

自分の気持ちに素直に生きた先に、激動の時代が待ちかまえていたことが不幸だったと人は言うのかも知れない。

だが、彼女ならそれをこういって笑うかも知れない。

「どんな時代にも、人は孤独で、誰かに愛されたいと思っている。私はただ、そんな人のそばに行ってその孤独を分け合いたかっただけなのだ。そんな簡単なこと、私がいなくなってもきっと誰かが同じ事をするはずだ。本当に悲しいのは、そんな気持ちを人々が忘れてしまった時である」と。

 又、これは本来最後ではなく冒頭で書くべきであるほど大事なことなのだが、この作品のシナリオがいかに優れていようと、あの深い味わいを持った映像の美しさがなければ、これほど感動的な作品にはならなかったはずである。

程良くデフォルメされたキャラクター。

劇画とも、少女マンガともちがう、そのバランスのよいオスカルのしなやかな動きと華麗な姿。光が差し込む窓を背に立つ、長身の彼女の軍服姿は印象的。

そしてアニメーションならではの静と動のバランス。

女たちの揺れる心と、逃れられない運命が浮き彫りになっていた光と影の画面処理。落日を背景に、去っていく時代の中を精一杯生きる登場人物が時には激しく、時にははかなく、現れては消える時間の連続性。 そして知性的で涼しげな、それでもって色気のある田島令子さんの声、それから耐える男アンドレを明るく演じられた志垣太郎さんの声がやはりアニメ・ベルサイユのばらにはよく合っていたと思う。

 彼女が生きた時代は確かに現代へと進んできているにもかかわらず、それは明るい未来へ向いているのではない。

いつの時代も、大切なものを永久に失うということは、生き残った者が、生きるとは何かを常に考えなければいけないのだという警鐘なのである。

 また、この作品がもうアニメとしてはかなり古いものであるとしても、人とかかわることの大切さ、難しさを語った物語である限り、古さは感じない。

人と人とのつながりが細くなって来たと言われる今、余計にそう思うのかも知れない。 愛を受けた者にありがとうを、そして、これからも生きていく人々にさようならを残して去ったオスカル。

さりげない、ありがとう・さようならという言葉が非常に深いと感じる作品だった。

 

 

つぶやき…オスカル、あなたは一生懸命に生きられました。苦しむことももう充分です。

あなたは自分の生き方を言い訳しませんでした。名もない人たちこそが主人公であるとへりくだり、自分の信じた道を、黙々と貫きました。それがあなたの幸せだったのでしょうか。

それは私にはわかりません。ただ、こう思うのです。人が好きだからこそ、人の世に希望を持っていたからこそ、貫けた思いなのだと。

だから、あなたが人が好きでいられたことは確かに幸せだったのかも知れません。

私はそんな生き方に強く共感を得ました。

ありがとう、さようなら。そして安らかに。

 




………「アニメ版・ベルサイユのばら」のこういう見方、いかがでしたか。

再放送もすっぽかした私が、縁あってレンタルビデオで彼女に再会し、午前3時にお目目パッチリで最終回を終えたときの気持ちを言葉にすると、これまでの解説になりました。いいえ、まだまた言い尽くせないし、言葉で言い表せないほどです。

でも、言葉で表せる範囲なら、一度やってみました。

実は各話解説・キャラ紹介、あります。ただ、長いです。

ええっ??これ以上に長いのか、というお声が聞こえてきそうですが、とりあえず、ここまで読んで下さってありがとうございました。               

 

1998.12.31.up 2004.01.12.一部割愛