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解説 第25話〜第28話


オスカルはフェルゼンにふられた失意で衛兵隊転属した、 な〜んて考えると、何か面白くないですよね。

こういう解釈はいかがですか。



フェルゼン不運な恋

 フェルゼンは誠実で、典型的な恋愛物語の主役タイプだ(オスカルが彼の男らしさに自分を重ね合わせて憧れていたというのは定説らしい)。

だが彼が愛したのは人妻だった。

その苦しみは彼がアントワネットの元から何度も逃げ出したことでも説明出来る。 ところでオスカルの元へわざわざ謎の貴婦人の正体を暴きに行ったフェルゼンの行動に疑問を抱いた人は多いと思う。実はこの直前彼は、ジョゼフの発病に責任を感じたアントワネットが神に己の罪をわびる姿を目撃している。彼女の懴悔とはフェルゼンとの禁じられた愛。

我が子のためなら二度とフェルゼンと会わない約束をしてもいいと涙ながらに訴えるアントワネットに彼は激しく傷ついている。フェルゼンが願ったのは、ひたすらアントワネットの幸せである。ところが彼は彼女を幸せにするどころか苦しめる男になっていたのだ。その事実は何より彼を苦しめる。

 こんな時、フェルゼンの救いはオスカルただひとり。彼はどんな事であろうと自分を受け入れてくれるオスカルの静かで誠実な友情を求めているのだ。

いや、アントワネットとの愛に疲れ果て、同情でもいいから自分を拒絶しない愛情を欲しがっていると言ってよいだろう。

もちろんそれは本当の愛情ではないかも知れないが、苦しいだけの愛よりはましなのだ。

 

オスカル、フェルゼンを思いきし振る!

 雑談の後、いきなり貴婦人の正体を確かめたフェルゼン。だが、彼の思惑とは裏腹にオスカルはそのチャンスを自らつぶしてしまう。フェルゼンが女主人の恋人だから遠慮したのではない。オスカルが求めていたのは、あくまで彼女の心の中で作られた虚像のフェルゼンなのだ。だから実物から求愛されたとしても、オスカルは拒絶するだけである。

 そしてこんな身も心もズタズタのフェルゼンの口から、よもや「私の一生はアントワネット様の上に定められている」とは出てこないであろう。彼が貴婦人の正体を暴きに来たのは、オスカルを女として求めていたのである。

 結局、アントワネットだけではない。オスカルからも拒絶されたフェルゼン。まさにフェルゼンにとってこの世は苦しみの愛のみ。彼はそのことをひしひしと身に感じつつ、尚もオスカルに対して友情を示して別れている。

 そしてその後、我が子の病気を機に絆を深めていくルイ16世夫妻の姿を見て、彼は自らを納得させるようにうなずきながら祖国へ去って行くのだ。

その頃、オスカルは何をしていたのかと言えば、すっかりフェルゼンに恋い焦がれていたことを忘れて「私のアンドレ 」なんてことを言っていたのである。

 又、フェルゼンの不幸な恋の最後のとどめの一発はヴァレンヌ逃亡の時、ルイ16世によってアントワネットから引き離された事だろう。とぼけた顔の夫ルイ16世だが、彼とて妻の愛人の世話にはなりたくはなかろう。三角関係はかくして夫のプライドの勝利で終わるのだ。

 

主人への忠誠

 中盤からの大きな変化は、オスカルとアントワネットの関係が現実的な主従関係になっていることだろう。彼女とアントワネットは、自分の行動に責任を持つ対等な立場となったのだ。オスカルは絶対者としての女主人に仕えるようになる。それは前半のようなアントワネットの保護者的親友としてのオスカルではない。

 公務に耐えかねてプチトリアノンに引きこもったからと言ってアントワネットを責めては気の毒である。望まぬ結婚と苦しい恋を胸に秘め、満たされることのなかった彼女が今や母となって充実しはじめた所なのだ。だが女王たる者、個人の幸せを望んではいけないのだ。

 オスカルはアントワネットの苦しみもわかり、王室に期待を寄せる貴族たちや民衆の不満もわかっている。だが、主人の行動は絶対なのだ。批判することは謀反となる。それにどのみちこの女王にオスカルが何を言っても聞く耳はなさそうなのだ。やむなくアントワネットをかばって、悪役すら演じるオスカル。

 ではなぜ、オスカルとアントワネットの関係が前半のようにお友達ではなくなったのか。それはオスカルが個人的な親友として彼女を良き女王となるように導くと、革命が起きなくなるからである。

 歴史上の人物と架空の人物とのかかわりあいを描く難しさ。歴史の流れが変わらないようにするために、二人の関係にはある程度の心の距離が必要なのだ。

オスカルが彼女に進言するのは、国王軍のパリ撤退という肝心な場面である。

 

わきおこる疑問

 ところでついに意を決して離宮から出るように忠告しようとしたオスカル。

そこで目にしたのは母としてのアントワネット。オスカルはピンと来たはずだ。弱者を守りたいと願う彼女の感情と、我が子へ向けるアントワネットの愛情は同じなのだ。その自然な感情が女王という制度のために犠牲になってしまうという疑問。この事実を認めることは、ジャルジェ家のために自分の生き方を勝手に決められたオスカルが、男でも女でもない自分の立場を肯定することなのだ。

 気が付いてしまった矛盾、いや、わざと見ないようにしていた事実。

オスカルはついに貴族の社会に距離をおきはじめる。そして同時に、男として生きる難しさ苦しさも描かれはじめるのだ。 男の上に立ち、孤独な戦いを続けることは、そのりりしい姿とは裏腹にカッコいいだけではない。

…とは言え、確かにそんな人間の「弱い面」はわざわざ描かなくても済むところ。でも人の強さって何だろうと考えると、弱さを乗り越えてこそ得られるもので、元々強い人間をカッコよく描くだけではつまんな〜い、と思う今日この頃なのだ。  

 

つぶやき…それにしても、かわいそうなのはフェルゼンかなぁ、やっぱ。アントワネットも苦しんでいたけれど、後半のフェルゼンは八方ふさがりで笑顔も無し。

ただひとつ、暴漢におそわれたオスカルを助けた時、「君のアンドレ…」と言いながらにっこり微笑むフェルゼン、いいですなぁ。友人のために尽くす誠意のある男です。

1998.12.31.up