アニメ版 ベルサイユのばら 徹底解説>HOME

解説 第21話〜第27話


 

今回は「黒」特集。ジャンヌもベルナールも、貧しさ・不公平さの中で反逆精神を育てたのだと推測しています。ただ、彼らの不満の爆発の仕方が違っていただけ。

この二つの話はご存じ、かなり力を入れて描かれています。

民衆側の視点から描かれた話ですが、二人の結末が違っているのは興味深いところです。

 

黒いばらジャンヌ

 アニメベルばらと言えば、彼女のことを語らずには済まないだろう。

物語中盤に差しかかり、ジャンヌ・黒い騎士事件を通して、物語の視点は貴族社会から平民社会へと移って行く。それまで善であった優雅な貴族社会はこれ以降、悪として描かれるのだ。その中でオスカルよりジャンヌが目立ってしまった事への不満も多いだろう。

ところが「ベルサイユのばら」という物語はご存じ、滅びの物語なのだが、そこへ「民衆」というこれから勝利・興隆する側の人物・ジャンヌが登場すると、負ける側の「貴族オスカル」は当然、勢いに押されてしまうのだ。

そう、オスカルには民衆の貧しさ・苦しさを感じることは出来ても、彼女自身が身分制度に苦しんだ経験がない。自由平等を熱望する彼らのエネルギーをリアルに描けば描くほど、オスカルは居場所を失う。それどころか、民衆の敵となってしまう。

 本来、過渡期を描く物語は、やがて勝利する民衆側の誰かを主人公にした方が描きやすいのだ。わかりやすい例で言えば「逆境から始まり、苦難の末に希望を見つける」という一般的なパターンである。

それでもとことんオスカルを「正義」として目立たせたいならば、ジャンヌは三枚目に、民衆はオスカルと接する機会もない端役として描くしかないだろう。

 

孤独に涙する魔女

 民衆の底力を見せつけた彼女の生きざま。どこか思い詰めていて自滅的で、何かを必死で探している女。そして底辺からのし上がって行くために、大事なものを捨ててしまったジャンヌ。彼女は、信じられるものを追い求めて満たされない子供のようである。それは貧しくて、心から笑えることがなかった少女時代の反動だろうか。「神様だって助けてくれない。誰もあたしなんか愛してくれるもんか!」…彼女も強がっているけど寂しいのだ。もし、貧しさと絶望が彼女を魔女にしてしまったのなら、諸悪の根源は彼女生来の性格ではなく、社会の歪みなのだ。

 又、彼女の描かれ方は、前半のジャンヌや、デュ・バリとは違い、悪人でありながら見る者を引き付ける。ジャンヌを魔女にしてしまった貴族社会そのものに我々は憤り、彼女の無謀とも言える貴族社会への挑戦に拍手喝采するのだ。

 ところで彼女は少女時代から登場しているが、前半のジャンヌには体制や貧困に対する怒りが今ひとつ見えてこない。同じ貧しさに苦しむ妹のロザリーはそれでも母親を守り、けなげに人を信じて生きている。その姿と比較すれば、ジャンヌはただの我がままの放蕩娘にしか見えない。前半のエピソードは別物と割り切った方がいいかも知れない。

 

オスカルの位置

 貧しい家庭に生まれたジャンヌが王妃の顔に泥を塗るという、はらはらするような無邪気な遊び。彼女は決して金の亡者ではない!まして自分よりみじめなオリバーを殺せない。このジャンヌが本当にブーレンビリエ侯爵夫人を殺したのか。

 だが、しばし待て。生き方はさておき、ジャンヌの強くなりたいという態度はどこかオスカルに似ている。心に満たされないものがあると、人は強がってみるもの。ジャンヌの大暴れに顔色一つ変えないオスカルだが、身分制度の鎖に縛られ、心がつぶれそうなのはひとごとではないのだ。実はオスカルはこの時、気が付いている。アントワネットは自分の幸せを求めてはいけない、そして男として振る舞うオスカル自身も、自分らしく生きることすら考えてはならない。貴族社会は彼女に偽りの姿を要求して来た。今、オスカルは自分を孤独に追い込んで来た社会の在り方に疑問を感じているのだ。

 アントワネットの行動を冷静に見つめていたオスカルは、ジャンヌ・黒い騎士事件を通して、貴族社会の矛盾と民衆の不満と底力を感じ始めるのである。

そしてその後、フェルゼンとの決別が引き金になって、オスカルは自分らしい生き方を探すために新しい世界へと飛び出していくのだ。

 オスカルとジャンヌ…。社会の隅で孤独を背負った二人の女。今、二人の距離は遠くない。

 

ジャンヌ脱獄

 彼女は修道院に潜み、王室を侮辱する回想録を書いているが、どうも疲れはじめている。無理もない、自由にいたずらを考えていた時は良い。今の彼女は、何処の誰かもわからない男の言うままに利用されているだけなのだ。一匹狼の彼女には多分、我慢できない事だろう。そして一生に一度の大芝居が済んだ後の脱力感で、飲んだくれるしかない。

 だが、回想録を書き終えたジャンヌは用無しとなり、まもなく捨てられるはずなのだ。もっとも、ジャンヌ自身もそれを知っていて覚悟はしているらしい。逮捕は時間の問題となり、同時にオスカルはロザリーからジャンヌの居所を知らされるがその情報を白紙に戻している。ジャンヌが唯一信用しているロザリー。この情報でジャンヌを捕らえることは、世の中全てから裏切りを受けてきたジャンヌが、最後まで信じていたものを奪うことになる…と、オスカルは感覚的にわかっているのだ。

 

自爆

 どうせ捕まえるのならこの手で…。オスカルは結局つらい役目を引き受ける。修道院に単身踏み込んだオスカルが見たものは疲れ切ったジャンヌ。彼女には既にギラギラする反抗心も敵意もない。そんな彼女に、居場所を密告したのがロザリーではないと言い切るオスカル。それがウソか本当かジャンヌにはわかりっこないけど「私のことを大切に思ってくれる人がいる」と、ジャンヌはついに捜し続けていた「信じるもの」を見つけたのだ。何だか、あの世間を騒がせた女にしたら、そんなささやかな?…と言いたいけど、ジャンヌは元々、そんなささやかなことで満足する女だったのかも知れない。こんなにも自分らしく生きられない世の中でなければ。

 今まで強がって来たジャンヌがふと素直になって見せる涙がそれを物語っているようだ。…そしてオスカルもまた…本来なら、ささやかな幸せで満足する女になっていたのかも知れない。

 すでに燃え尽きた感じのジャンヌは、大事なものを見つけてくれたオスカルを助けて、夫と共に自爆する。彼女は貴族に操られていたことに対し、自滅してプライドを守ったのだ。

「ごめんね…あたしひとりじゃ寂しくって…」最後の最後でジャンヌは夫ニコラスに素直に甘えている。

人の弱みに付け込んで生きて来た女、ジャンヌ。だが彼女自身が本当は弱くて寂しい部分を持っていた人間だったからこそ、人の弱さを知っていたのかも知れない。

 

黒い騎士ベルナール

 せっかくの正義の味方も、ジャンヌ事件の後でくすみがち。子供の頃から登場している彼女に比べ、ベルナールは苦労をしたはずの過去が語られない。よって彼は正義の味方にはなれてもそれ以上にはなれない。

その上、女と違い、男ならこれから栄える民衆側のリーダーとして社会で勝利をつかめるのだ。彼の行動はこの先に確実に成功を収めるであろうと予測ができるし、彼の背後には希望がある。だからジャンヌと同じように不公平な世の中と戦っても、悲壮感がないのだ。アンドレの目を傷つけに出て来たと言えば失礼だが…。

 

黒い騎士アンドレ

 人間の平等を説く勉強会にオスカルを連れて行くアンドレ。オスカルの知らないところで何かが動いている。

アントワネットはフェルゼンの保護を受け、ロザリーも去り、オスカルは守るものを失ってむなしい時間を過ごしている。そこへ現れたのが黒い騎士。彼女はこともあろうか、相棒のアンドレを疑うのだ。そして世を騒がせている黒い騎士を追ううち、偶然にロザリーと再会。

そこでは民衆が、貧しい暮らしながら助け合い、本音で生きている。

ロザリーたちの暖かい気持ちに触れ、彼女は失いかけていた「人を思いやる気持ち」を思い出す。そして反対に、自分こそが彼らを苦しめている貴族であることを思い知るのだ。次第に黒い騎士に興味を持つオスカル。彼女のためにアンドレは自発的に髪を切り、偽黒い騎士となる。

 

理想と現実

 黒い騎士に目をやられ、苦しむアンドレの右手を思わず握り締めるオスカル。彼女にはもはや黒い騎士の事など眼中にない。(心理描写に手がよく使われている。とくにオスカルの指は繊細で女性的で芸術肌)

 アンドレの目以上に傷ついたのはオスカルの心のようだ。その上、おまえの目じゃなくて良かったと、アンドレにまっすぐ見つめられて、まぶしくて目をそらすオスカル、言葉はない。

愛する者のためなら自分を捨てて強くなれる、そんな彼の生き方・考え方に、オスカルは尊敬し、共感を覚えつつ心を動かされただろう。

 さて、早期決着のためにもパレロワイヤルのサロンに乗り込むオスカル。

そこには、新しい時代を作ろうとする元気な男たちであふれている。

男たちが求めているのは自分の理想・権力・欲望・名誉を実現すること。

物事を男の側から見ていた彼女はその実態を知っていたので、彼らの理想というものに対して、冷静になっていたらしい。オスカルは男側にいたにもかかわらず、その優位性を利用せず、男ぶることもない。そもそも彼女が、政治や未来のフランスの事で男たちに混じって声を上げないのは、そんな理想を語る男たちだけでは人の世の中は語れないからだ。

 自由・平等・平和という崇高な理念の元、人々が暮らせる社会を作ることは偉大な理想・大目標である。だがそれに比べるとあまりに小さい行為かも知れないが、現実の日々の暮らしの中で、隣人の苦しみに直接救いの手を差し伸べることも同じくらい大事なことである。…アニメ・オスカルはどうやら、この称賛もない、目立たない行為に目を向けている。

 

オスカルの復讐

 パリの郊外へと逃げて来たオスカルは大胆にも逃げようとするベルナールの背中に向けてためらいもなく思いっきり銃をブッ放す。ものすごい形相になっている。

よほど怒っているのだ…。セリフもすごい。彼女は自分のことでは怒らないが、ことアンドレの危機となると恐ろしいほど冷たい女になる。

 撃ち所が悪くて寝込むベルナールに「王妃の犬」と言われても、びくともしないが、アンドレの左目がだめだとわかるなり、眠っているベルナールに剣を振り上げるオスカル。しかしそれも空しいことで、どうあがいてもアンドレの視力は戻らない。それに、アンドレの失明の責任の一部は自分にある。…だから、責められて当然なのは自分なのだ。オスカルは振り上げた剣を下ろす。

 

黒い騎士の精神

 そんな心乱れるオスカルに対し、ベルナールを逃がすように言うアンドレ。

ベルナールは自分のためではない、貧しい民衆のために動いているのだからと。アンドレの言う事もかなり説得力がある。今、民衆は救いを求めている。民衆のために必要なのはもはや貴族の支配ではない、たとえ盗賊であろうとも、少しでも具体的に民衆の苦しみを取り除こうとする力と精神なのだ。

アンドレは黒い騎士の精神を知っている。彼は運命が違っていれば、オスカルと知り合わなかったら、黒い騎士になっていたのだ、多分。オスカルという生真面目で一途な女性を支えなければという気持ちが、彼を貴族側に留まらせているに過ぎない。

オスカルが彼を黒い騎士と疑ったのはあながち間違いではないのかも知れない。

 それでも「奴は盗っ人だぞ」と食ってかかるオスカルは、本当の怒りの原因は彼が盗賊だからじゃなくて、アンドレの目を傷つけた張本人だからという単純な理由がわかっていない。この期に及んで幼なじみの友情と思い違いしているオスカルが、ああ…もどかしい。

 ベルナールを逃がすオスカルは、彼に「アンドレはお前以上に黒い騎士らしい」と、高く買っている。どこか心の中にアンドレの影を刻んで、オスカルの姿は力強い。アンドレ=黒い騎士を肯定した地点で、オスカルは民衆の力になる気持ちを少なからず持ったはずだ。

しかし、オスカルはいい男に惚れられたと言えよう。    

 

つぶやき…アニメの後半は現実的で、登場人物はみんなどこか陰の部分を持っています。

ジャンヌの一件はアニメではかなり詳しく描かれているし、出来はすんごくいいんだけれど、やはりジャンヌがカワイソ過ぎ。

最後まで「悪役」していた原作の方が安心して読めます。

 

1998.12.31.up