アニメ版 ベルサイユのばら 徹底解説>HOME

解説 第37話〜第38話


 

 今回は非常に大きなチェックポイント有り。

オスカルは女。アンドレは男。二人の主導権はどちらに??

女は「男尊女卑にかかわる言葉」に敏感なものです。男主体のベルばらなんて、そりゃあ面白くない。

でも女主体の物語になってもどちらかが主でどちらかが従になるのは変わりはなく、男と女の関係は永遠の課題なのでしょう。

 オスカルはアンドレに自分の進路を任せきって、責任から逃げたのではないか…とお考えの方、いらっしゃいます??

私は彼女が兵士たちの前で「結婚発言」した時、言葉とは裏腹に「夫のアンドレに任せたよ」という風には聞こえないんです。

むしろ、自分が伝えたいことを相手に理解してもらうために、言葉を考えて発言したと考えています。彼女はここで「女は男の添え物であるべき」という目をしていません。むしろ彼女は主体的に自分の進む進路を考えていました。

 アニメ・ベルばらは、オスカルにモノローグがほとんどありません。彼女の思考は言葉・態度によって、視聴者が感性で感じるものだと思います。

「オスカルの真意」とは何か、「オスカルが何を望んでいたのか」は、じっくりと下記の文で語ります。

 

 

尊敬と感謝

 忙しさの余り、自分を振り返る暇も無かったオスカル。突然、彼女は命の期限を知らされる。

男として生きると意地を張り、信じるもののために、残りの命をかけることも、かつての彼女には出来たかも知れない。だが今は、大事な人がいる。二人の大切な時間が欲しい。…戦いの前の静けさの中、今こそ自分に素直に、悔いなく生きようとするオスカル。アンドレと共有して来た時間は、もう残り少ないのだ。

 アンドレを私用で使ったことのないオスカルが珍しく、屋敷への供を言いつける場面。彼の手を握り締めて「供をして欲しい」と言うのは誘惑に近い。

屋敷では、出来上がったオスカルの絵を真剣に見つめるアンドレ。彼の目はほとんど絵を見ることができない。それでも心の目でオスカルを見つめ、尊敬を伝えているのだ。だが、彼の想像する彼女の姿は、絵とは似ても似つかない。

そんな彼の誤解に話を合わせるオスカル、彼の深い愛情に思わず涙が溢れる。

 今、彼女は、アンドレの愛情に守られて生きて来た幸運を心から感じているのだ。

命の期限を切られたオスカルだからこそ余計に、ささやかな幸せを素直な気持ちで受け入れることができたのであろう。

ありがとうを繰り返す彼女の気持ちは、愛する者への尊敬と感謝である。

それはありきたりな「愛している」というセリフより深いものかも知れない。

「ありがとう、アンドレ。ありがとう」は私のイチ押しの名セリフである。

 

和解

 ジャルジェ将軍は悩んだに違いない。

だが彼が一番に大切にしたのは家名ではなく娘の幸せなのだ。アンドレの肩をしっかりつかんで、オスカルとの結婚を許可する父。そしてその会話を外でそっと聞き、立ち去る娘。彼女が最後まで責任を感じていたジャルジェ家の跡取り問題は、父の了承を得て静かに解決したのだ。

 心の優しいオスカルが今後どのような行動に出るか、もうすでにわかっていたであろう父。謙虚な彼女の別れの手紙を読み、悲しみを振り払うように怒鳴るのだ。

 余談だが、消えたジャルジェ夫人。

後半のオスカルは非常に女性的。母親の持っていた心の強さをそのまま受け継いでいるのだ。そうなると、母として彼女の出番はない。死んでいない事を祈る。

 

告白

 暴徒に襲われ、森へ逃げ込む二人。戦いはすぐ明日に迫っている。オスカルは生き急ぐようにアンドレに自分の気持ちを伝えるのだ。彼女がこれまで気持ちを言い出せなかったのは、アンドレを傷つけたであろうフェルゼンへの思慕。そのことがアンドレを思う気持ちが大きくなるにつれ、罪として自分を責める原因となったのだろう。アンドレを傷つけて来た、こんな私は彼に愛されるに値しない、と。

だが、アンドレは変わらぬ愛情で、オスカルの全てを受け入れていた。そっと寄り添っていくオスカルに、もう迷いはない。

 二人は長い間、互いを必要として来た。体より先に心が結び付いていたのだ。それはこの世に生を受ける前から決まっていた事。お互いを思いやり、大事にしたいと願う、尊敬と信頼に満ちた静かな愛情である。

 信じあい愛しあう、生きる喜びを知ってしまったオスカル。「生きていたい!」それは限られた命を精一杯生きる、彼女の心の叫びだったのであろう。

 ところで、こんなぶっそうな森の中で〇〇〇とは何て落ち着かない!と思えるが、実際、親から独立して平民の妻となったオスカルが今さら父の領分である屋敷で彼と結ばれる訳にも行くまい、父に申し訳ないし。しかしパリは火の手が上がるほど緊迫しているし、かと言って生真面目な二人に、隊の宿舎のベッドで、というのは無理。

なるべくしてなった森の中、なのだろう。

 

進路

 これまで私情を語らなかったオスカル。だが、貴族として生きるか、平民たちのために尽くすか、決断を下す時がやってくる。戦いの朝、彼女は兵士たちに自分の気持ちを打ち明けるのだ。

彼女は妻として愛する夫に従う?と言う。 元より地位も高いオスカル。さらに民衆に味方をしてきた彼女のこと、兵士たちに付いて来いと言っても良い場面。だが、彼女は定石とは全く逆の発言をする。放映当時「従う」というセリフを聞いて、余りに「オスカル」らしからぬ発言に疑問を持った。このセリフさえなければアニメを楽しめたのにとも思った。

 今では、なるほどオスカルは男たちの気持ちを汲んでへりくだったのだと思っている。実際、彼女の立場に立てば、いきなり私について来い、とは言えない。たとえ寝返ったとは言え、民衆を苦しめた貴族という身分のオスカル。事実はどうあれ、彼女が先頭に立つ事は、平民たちに「従え」と言っているようなものだ…と、律義な彼女は思っているのだ。

それに行く先は、仮にも命のやり取りをする戦闘なのだ。たとえ部下とは言え、彼らにも行く先を選ぶ自由がある。

又、兵士たちも優しい男たちである。今では隊長として認めているとは言え、自分たちとは違う、貴族のオスカルを、戦闘に巻き込みたくない気持ちもあっただろう。もしオスカルに少しでも迷いがあれば、話は違っていたかも知れない。

 だが、彼女は決意も堅く語り始める。

彼女は彼らに、思想ではなくこれからの行動を語るのだ。

今までの彼女の働きからして、兵士たちはオスカルが平民のために体を張って来たことを、真実として受け止めていたはずだ。今更、どんなにオスカルが自分の意志を隠して「私は夫の言いなりになる人形です」と言った所で、兵士たちは信じまい。

彼女の言う「従う」は「夫と私は同等です」という意味であり、「夫の信ずる道を共に歩む妻」は「夫婦の歩む道は同じ」という意味である。

と、言うのが、もしオスカルが兵士たちの前で自己主張すれば、元々、一歩引いているアンドレが、彼女の従者になってしまう恐れがあるのだ。そこで彼女(上司)は、夫(部下)へ尊敬を証明するために、男たちの目の前で、わざわざアンドレを立てたのだ。

それがアンドレを苦しめ続けた彼女のせめてもの罪滅ぼしであり、誠意である。

 一方、本音で生きて来たはずの兵士たちも、実は「男は、女より強くなくては男ではない」という男社会の「たてまえ」の中で生きている。夫を立てようとするオスカルの真意を充分くみ取ったであろう。

どんな言い方をしても、彼女の欲のない「名もない民衆を守りたい」という気持ちは明らかなのだ。

共に歩もうと誓い、夫に従うと公言した妻以上に、妻に尽くすであろう夫のアンドレ。実際、二人の間には主従関係はない。もし、オスカルに盲目的に従われたら、一番迷惑をするのは彼自身である。

 

オスカルの真意

 女性が自立するために、主体性を持つことは大事である。「従う」ことを拒否する事も、男女平等を女性の側から男性側へ主張する一つの手段である。ところが残念なことに、この主張が男性に認められなければ、単なる喧嘩の売り言葉になってしまうのだ。

女だけが「女らしく従うこと」を拒否し、男には相変わらず「男らしく強いこと」を要求するのは勝手ではないかとなってくると、問題は簡単ではない。

 女は男に柔順に従ってこそ女であったように、男は強くて女を従わせないと男ではないというのが社会である。

従うものを失った男は面目がなくなる。

 その現実を知った上でも尚、オスカルは「男らしさ」の社会の中で生きている兵士たちに対して、彼らのプライドを無視してまで、頑として主導権を主張すべきだろうか。それとも裏では実権を握りつつも、たてまえとして常識に従って、表向きは夫を立てるべきだろうか。…などと、テレビの前で、我々が「男と女の永遠の命題?」につまずいていると、オスカルの気持ちから離れてしまうのだ。話を戻そう。

 今、彼女にとって肝心なのは、男と女の力関係ではない。名も武器もない民衆のために、自分の力を役立てたいという気持ちを、兵士たちに伝える事なのである。

その為にオスカルは兵士たちの気持ちを理解しつつ、彼らと対等な立場で共に戦う決意を、謙虚に伝えようとしたのが「従う」発言なのである。

 一方、兵士たちも「そーそー、女は柔順が一番さ!」とは言わない。彼らはオスカルの、ただ「虐げられた人を守りたい」という、自分には何の得もない行動に感動し、素直な気持ちでオスカルを隊長に再選するのである。彼らは、自由・平等・友愛の為でもなく、思想への気負いでもなく、オスカルが「親や兄弟に対して諸君が発砲するはずがない」と示した通り、大切な人を守るために戦うという、当たり前の事を決意しただけである。

オスカルのセリフそのままだと、突然責任を放棄したしたように聞こえるかも知れないが、言葉そのもの(たてまえ)と意味(本音)は全然違うのである。世の中、本当にややこしい。

 

従うことは恥か?

 そもそもこの「従う」というキケンな言葉は、普通、物語を作る上で避けて通るはずである。男と女の関係を根本から問うような発言は、なくてもそれなりに感動は出来るのだ。

女性が表面上、男性に折れることは現実に女性に求められていることである。

その現実を受け入れるか、受け入れられないかという事は、さらに、自分が女性であることを受け入れるか、受け入れられないかの問題まで発展するのだ。

いくら監督が男だからと言って、このセリフが論争にならないはずがないことは承知の上だと思う。

多かれ少なかれ女性は、オスカルが「従う」と言ったことで、普段は意識の下に隠している「女であることの失望」を突き付けられるのである。この現実を直視したくない者にすれば、「人に従わない、絶対主体性の女・オスカル」を使って、女の失望を語らせたことが許せないという意見もあるだろう。

だが、女なら一度は味わう、「女であることの失望」を乗り越えるのは、傷付くことを恐れずに、現実に立ち向かう前向きな姿勢であり、経験の積み重ねによって身につく自信である。不満だけでは解決しない。

オスカルもそうすべきだと言うのではないが、「愛するものに従う」ことを信じて貫くことも、実はすごいことなのである。

そう言う、ひとつの女の生き方を拒絶せず、同じ女性として認めあうことも大切なのではないかと思う。

 又、「従う」に拒絶することが女の自立だとする考えは、かなり範囲の広い言葉であり、全てが同じ考えとは言えない。

本当に不平等に対する反論もあれば、中には、従うものは弱くて従わせるものは強いという、男性本位な視点の場合もある。例えば、よく聞く「男に生まれていれば…」などは、女より男のほうが良いという、女性自身による女性否定の意味も含まれてくる。

 どちらにせよ、男と女、どちらが偉いかなどと言い始めると、どうも言葉だけの戦いになり、実がついて来ないようなので、このような論議はストーリーの展開上、関係ないし、これ以上の言及は省く。

 「男社会」を知り尽くしたオスカルは、兵士たちの気持ちを理解し、謙虚な態度で隊員たちの気持ちを和らげた。それどころか、言葉には出さないで自分の意志を伝え、頑とした決意を見せつけ、兵士たちに有無を言わせなかったのだ。

 誰しも、相手に先にへりくだられたら、余計に頭を下げてしまうものである。

結局オスカルは、兵士たちの自発的な意志を尊重し、さらに彼らに「従う」ことによって、逆に彼らを従わせてしまったのだ。

…どうやら彼女は「従う」という言葉が建前に過ぎない事を証明したらしい。

 そんな事を思えば、彼女の言う「従う」が本当にない方が良かったのか、再び考えてしまうのだ。

 

戦闘

 衛兵隊と言うだけで、あわや民衆からも攻撃されかねない事態。オスカルは武器を捨て、両手を広げ、非暴力的に民衆を説得する。彼女はここでも隊員たちを立てている。兵士たちに代わって、憎まれ役を買って出るのだ。そして「民衆と共に戦いたい」という英雄的な立場は、全て部下たちの意志であるとして、彼女は主役を譲っている。立場が上(貴族であること)にある分、彼女はへりくだる。彼らはもう部下ではない、仲間なのだと、オスカルは思っているからである。

全体的に見ても、「…して欲しい」「私ごとき」「私にこうせよと命じた」などなど、オスカルは自分の主張に謙虚のようだ。

 チュイルリー宮広場では無血で敵の軍隊を撤退させたオスカル。民衆を説得しようと武器をアランに託す彼女。ここでもしっかり、夫を部下扱いしない気配りがある。何だかんだ言って、アンドレにだけは他の兵士と違って、仲間ではなく妻として接しているオスカルがいじらしい。

 さて、おとりとして行動を開始する衛兵隊。オスカルは主役は譲ったものの、実質は戦闘隊長として市民や兵士たちの先頭に立つ。この戦いが済めば、アンドレとの時間が持てる、そんな希望がよぎったのではないかと思う。

戦闘場面はあまりないが、彼女らは多分、ベルナールたちが広場でバリケードを築く時間稼ぎをしていたらしい。

 彼女の願いも虚しく、王家と民との戦いは始まってしまったのだ。

相手は敵とは言え国王の軍隊、オスカルの元同胞なのだ。焼け石に水、それはわかっていても、むだな殺傷は避けたいところ。この物語が敵味方に分かれてひたすらドンパチという単純なストーリーだったらどんなに気が楽だったろう、と思う。

 だが、その後、状況はどんどん厳しくなる。包囲を狭められた衛兵隊員は次第に命を落として行く。あのラサールまでが、単身敵に突入し息絶える。彼の壮絶な死は、生き残った隊員たちに我が身の行く末を物語り、悲壮感が漂い始める。

そして、さらなる悲劇が幕を開けるのだ。

 

つぶやき…わたしは元々ミーハーです。そんな私がどうしてこうも長々とアニメ・オスカルについて語るのか、それはやはり、彼女に共感したからと言うしか他にありません。

又は「言葉ではないもので語りかけてきた」彼女の気持ちを、文章に書いてみたかったのかも知れません。

1998.12.31.up