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第一話を想う:S様より頂いたコメント その1



アニメベルばらを見て、まずそのストーリーとしてのリアルさと説得力に驚きました。

原作はもちろん素晴らしいですし、原作あっての全てだと思いますが、漫画であるという限界などから、若干これはどうだろ、と思うようなところがアニメでは見事に消化されていたなという印象です。例えば、衛兵隊の部下たちが処刑目前の囚われの身である状況で、オスカルはアンドレと愛を確かめ合うだろうか、など。

そして特に後期19話以降では、私は全話で泣けて泣けてなりませんでした。
アニメベルばら後期には、全体の底辺に人間や人生の「哀しさ」が流れているように思われるのです。20話でも34話冒頭でも、雨に打たれるオスカルの姿一つに泣けました。
大人になって見て、オスカルの哀しさは胸に迫ります。

そして昨日、久しぶりにアニメベルばら第1話を見直して再び感動し、なーかる様にメールさせていただく心を決めてしまいました。

最初に第1話を見たとき、エンディングで「かなたに愛と死の怒涛の運命が待っている」というナレーションが入りますが、この日のこの決断で、あれだけの人生の扉を開いてしまったなんて、それがよかったのか悪かったのかは別として、なんて大きな分岐点だったのだろうと思い、泣けました。

しかし改めて見てみて、分岐点に見えるこの日、これはオスカルにとって何の選択権もなかった見せかけの分岐点であったと思えてならず、あまりにオスカルが不憫に思えてしまったのです。
第1話の中で、オスカルは国王からの呼出を受けて雨の中せわしく出入りする父の姿や、父とアンドレの会話を聞いてしまっています。オスカルは自分の軍人としての生き方が逃れられないものであることを、ひしひしと痛感していたはずです。

ましてあのジャルジェ家では、物心つく前から王家への忠誠とその絶対性を教え込まれていたはずなので、オスカルの潜在意識の中でも、逃げられないとわかっていたと思います。
そうすると、オスカルが父に「女のお守りはしたくない」と言ってみたり、ジェローデルとの決闘をすっぽかしてみたりというのが、どうしようもない大人の世界からの圧力強制に対するオスカルなりの精一杯の抵抗であったと思うと、本当にかわいそうになってきます。

もちろん、オスカル自身、男として軍人としての生き方を完全に嫌がっていたとは思われません。彼女の中でもどう生きるべきか迷っている最中であったと思います。
でも、その迷いのもう一つの選択肢を選ぶことが許されなかったことを思うと・・。

オスカルはこの14歳にして、既にとても真面目で高潔な性格であったのが、更にオスカルの素晴らしさを感じるし、そして不憫にも思える。
この日のこの分岐を誰かのせいにできたら、オスカルは少し気持ちが楽だっただろうと思います。
でも彼女はそうはできなかったし、しなかった。アンドレとの殴り合いのけんかの後のやりとりから私はそう感じました。

オスカルは、自分の軍服を着る=男として生きるという決定について、「さあ言ってくれ、アンドレ」と頼みます。しかし、これに対してアンドレは「おまえの生き方を規制したくない」と応えます。
この時、オスカルはわずかに哀しそうに微笑むのです。

私には、この時オスカルの顔に浮かんだこの微かな哀しい笑みは、主人であるジャルジェ将軍からの命令であるにもかかわらず、それをオスカルに強要しないアンドレの優しさを受け止めていると同時に、「やはり言ってくれないか」という少しのあきらめに思えてなりません。
オスカルはこの時、ただ一人アンドレにだけ甘えたのだと思います。もしここでアンドレが背中を押す一言を言ってくれていたら、その後の人生でこの日の分岐を悔やむ日が来たとしても「あの時、おまえがああ言ったから」と、自分の気持ちに逃げ場を持つことができただろうと思います。

でも、アンドレは何も言わなかった。この時オスカルは、哀しく微笑みながら、この日のこの分岐を自分自身の選択として受け止めなければならないこと、誰のせいにもできないことを悟ったのだと思います。事実上、オスカルに選択権などなかったにもかかわらず、それを「自らの決断」として受け入れざるを得なかったオスカルがあまりに不憫に思えます。

この後、白い軍服を身につけて階段を降りながら真っ直ぐ前を見据えたオスカルが、心の中で言った言葉、「父上、これはあなたのためでも、誰のためでもありません。」という言葉が、最初見たときは、「別にそうしろって言われたからするわけじゃなくて、これは自分で選んだ道ですから」という少し強がった意志の表明のように聞こえたけれど、このように考えてくると、この言葉は「この日の選択を誰のせいにもしません。」と聞こえてきて、涙が溢れてしまいました。

もしそうだったなら、その20年程後、ジェローデルとの結婚話が出て、父娘で向かい合って話すときの、ジャルジェ将軍の娘への謝罪が、より重く深く響きます。
あの時、オスカルの意思にかかわりなく、ジャルジェ家の将来を第一優先に、娘を近衛隊の隊長に推薦してしまったことが、取り返しのつかない始まりであったことを父もわかっていたのだろうと思います。もちろん父として娘の性格(それも大部分は父の方針が育てたものですが)を見て、よかれと思ってしたことでもあったとは思いますが。

まあ、、本当に女として生きたければあのまま決闘をすっぽかすか、あえて負けてしまえばよかったのに、ジェローデルを負かしに行ってしまったことは確かにオスカル自身の行動であり、また彼女の因果な性格であり、かつその性格であれば、やはり最終的には、あの人生が正解だったのではないかと思えるのですが。

このように第1話からアニメベルばらは素晴らしいと思いますが、やはり後期の深みはとてもアニメとは思えません。30年も前によくこれだけの内容を持ったものを作れたものだと、そしてアニメとして許されたものだと感銘します。
オスカルがフェルゼンにひかれて10数年もの片思いを続けた理由も、近衛隊を辞めた理由も、私は一般に言われている理由とは別の理由で深く納得しました。



2010年5月23


なーかる より 返礼



解説を書いた時期もずいぶん前の事で、かなり思い込みの激しい内容になっていると思われ、今となってはお恥ずかしい次第です。

アニメ版は忘れた頃にふと見て、つい深みにはまってしまうもののようです。私の場合はもう15年ほど前ですが(笑)
原作があくまで少女漫画として描かれていたとすれば、アニメ版はリアルで等身大の女性を描いたもので、味わいもまた原作とは別物。
原作ほどのカリスマ性は無いにしても、その分、共感して(・・・共鳴と言った方がいいのかも知れませんが)しまい、最後には脱力するほどでした。

Sさんのおっしゃる、第一話のオスカルの「選択肢の無き葛藤」を大変興味深く拝見致しました。
(実はずいぶんベルばらを長い間見ておらず、第一話を見直しました)

第一話にはたくさんの暗示が含まれていたにもかかわらず、長浜監督の降板によってその後の展開が出崎監督に委ねられ、今となっては謎のままだなぁと少し残念に感じています。
と言っても出崎版のオスカルに不満があるのではないですが、あの第一話の「憂い」が第2話からあまり感じることが出来ず、気になっていました。

今は少し距離を置いているアニメ版ですが、時折ここをご覧になって下さる方から、たまたまハマってしまったがこのサイトがあって嬉しかったというご感想(多分それは、このアニメを見て感動したのが自分だけではなかったという安心感のようなもの?)を頂くと、やはり書いて良かったと感じています。
ハマった時に、周囲に誰も気持ちを分かち合えない孤独は、かなりつらいと思います。



2010年8月18日


S様より頂いたコメント その2



実はなーかる様に以前第1話の感想をメールさせて頂いた後、自分自身で第1話を観直してみて、更に少し違う解釈に行き着いてしまいました(解釈に粘着性がなくてすいません。。。)

第1話でずっと謎だったことが1つありました。
それはばあやが酔っ払いながらこぼした「男と女の闘い」の意味です。
今までどうもいまいちここの意味がわからなくて、そしてそれゆえにばあやがなんで
あんなに怒っているのかもいまいち良くわからずにいました。

そこで今までは何となく、その後のアンドレの言動や、話の中で示された「女に戻る」という選択肢から、「男としての生き方を選ぶか、女としての生き方を選ぶかの鬩ぎ合い(葛藤)」
という意味なのではないかと理解していました。

しかし、もう一度観てみて、やっとその意味がわかったように思います。
(って今までわからなかったのは私だけかもしれませんし、この新たな解釈が正しいということもないかと思いますが・・・)
それは、本来持って生まれた極自然の性別を否定されるという大事がまかり通ってしまう程、男の都合と勝手で女の一生が決められ、翻弄されることに対して、ばあやは怒っていたのではないかと。

だから「軍服なんて絶対に着てやるもんか」なのであり、男の勝手で女の人生を決められてたまるか、というレジスタンスだったのではないかと思ったのです。
このアニメが作られた当時の時代背景(女性の社会進出を声高に叫ぶような)を考えても、ばあやの怒りの源をこう解釈するのが自然な気がしました。

もちろん、これはばあやの視点からの解釈であって、それがオスカルに同様に通ずるものであるとは限らないのですが、もし第1話のテーマとして共通に流れていたのがこの「男と女の闘い」というものであったのだとしたら、最後のオスカルの「父上、これはあなたのためでも、誰のためでもありません。」のセリフの意味は、「この選択を誰のせいにもしません」なのではなく、やはり、自分の意志で自分の人生を
選び取ったのだという意志表明として、「私は男に屈したわけではなく、『自分の人生は自分で決めたのだ』」という宣言であったと解するのが順当かもしれないと。。

だからこそ、最後の「行くぞ、アンドレ」のセリフがとても力強く、確かに響き、そして成人した後にフェルゼンから「おまえ、淋しくないのか」と聞かれたときも、「はい、淋しいです。」と答えるわけにはいかなかったのではないかと。。
そして殴り合いの後アンドレに対して「さあ言ってくれアンドレ」と頼んだのも、オスカルは将来の心の逃げ場が欲しかったというよりも、人間だれでも道に迷ったとき、本当にどっちに進んだらいいかわからないとき、外の何か、誰かに動機付けを求めたくなるものですよね。それはその人によって他人の助言であったり、大安吉日という縁起であったり、はたまた占いのようなものであったりするのかもしれません。

ここでのオスカルが求めたもの、それがアンドレの背中を押す一言だったのだろうと。
そういう意味では、やはりここでオスカルはアンドレにだけ甘えています。
しかしオスカルはアンドレからの「背中を押す一言」を得られませんでした。
そしてまた、実際にオスカルに選択権がなかったことも事実であり、やはりオスカルが「自らの決断」としてのみ、この分岐を受け止めなければならなかった、その不憫さは確かであると思います。

またまた長い感想になってしまい申し訳ありません。。。感想を一方的になーかる様に送りつけておきながら自分自身ちょっと揺らいでしまったもので。。。
また、重ねて恐縮極まりないのですが、記名の後に、アニメベルばらの極めて個人的な感想として、オスカルがフェルゼンを愛したことと、近衛隊を辞めたことについて思ったことを書きました。



ほんとうに第1話はかなりいい出だしであったように思うのですが、第2話からあの「憂い」がすっとんでいきなり話が単純化された印象を受けますね。オスカルが憂いを抱えていては前半の凛々しいオスカル像の役回りは演じきれないということなのでしょうか。


S



(S様追記)

オスカルがフェルゼンに惹かれた理由について、行き着くところは、皆さんが言われているところと同じなのかもしれまれんが、私なりの解釈では、フェルゼンに男性として自分が敵わないと言う意味で一目置いていたことと、そしてフェルゼンがアントワネットを愛する人であったから故だと思っています。

オスカルは、おそらく思春期、そして士官学校にいた頃から、頭もいいし剣の腕も立ち、なまじ出来が良かったので、やはり心のどこかで男のくせに不甲斐ない周りの同年代の男性たちを、言い方は悪いですが、少し見下していたところがあったのではないでしょうか。
(「アンドレ、おまえも堕落した宮廷の貴族たちと同じか!?」の発言など。。)

しかしフェルゼンに出会って、彼の男性らしい頼もしさや余裕を感じ、そしてアンドレ逮捕事件の一件でその勇気と潔さを知って、惹かれていったのではないかと思います。
25話の片恋のメヌエットで、帰還したフェルゼンに対し、オスカルが「この世でたった一人、『愛してもいいと思った人』」と語っているのも、他の男性との比較の中での愛であったことを感じさせます。しかし、愛には様々な形があることを思えば、これもまた一つの真実の愛であったのだろうと思います。
そしてまた、彼に対して10数年もの片思いを続けてしまった理由は、彼が普通の男性なら、恐れをなしていかないであろう王妃マリー・アントワネットを愛そうとする人であったからであると思っています。

よく美しい人の苦悩として言われることですが、高根の花ゆえの孤独感、苦悩というものをオスカルもまた抱えていたと思います。本当は本人も人から愛されたいし、周りにもオスカルに好意を持つ男性は多くいたはずですが、しかしオスカルにはおいそれとは手が出せないというのが実際だったのではないでしょうか。
しかし、その同じく高根の花の最たるものであった王妃アントワネットを、フェルゼンは愛することができる人だった。その勇気が自分に向いてくれることをオスカルは切に願ったのではないでしょうか。しかも、アントワネットに比べれば、いくら男装をしているとはいえ、
家柄もつり合い、未婚である自分は、客観的にはずっと障害の少ない相手であったのですから。

原作でも、オスカルはフェルゼンと決別する際、「そんなフェルゼンだからこそ愛した」と言っています。
フェルゼンがアントワネットを見事に愛すれば愛するほど、オスカルのフェルゼンに対する想いも深くなり、そして同時にオスカルの望みも断たれていく、その苦悩とジレンマに
胸が締め付けられるような思いがしました。

オスカルがフェルゼンとの決別をきっかけに近衛隊を辞めたことも、情けないと評価する向きもあるかもしれませんが、私個人としては、10数年もの片思いに終止符を打ったとき、転職くらいしたくなるのは自然なのではないか、それだけオスカルは人間らしい等身大の女性であったのだと感じています。

そして私が思うオスカルが近衛を辞めた理由の一つは、近衛である以上、アントワネットと同じ場に居合わせなければならないことは避けがたく、フェルゼンに恋心を知られた上で、恋敵であるはずのアントワネットに仕え、その場に控えている自分の姿をフェルゼンが見て、そして憐れに思われることが堪らなかったのではないかということです。そんな自分は惨めでならない、その気持ちが痛いほどわかります。

そしてもう一つの理由は、やはり原作と同じく黒い騎士事件がオスカルに与えたインパクトです。
あの事件は、アンドレの新しい時代に投じる視線を知ったこと、そしてパリの下町でのロザリーとの再会を含めて、(原作のように表立っては語られていませんが)前期からオスカルが抱えてきた社会体制に対する疑問に大きな刺激と動揺をもたらしたものであったと思います。

そのオスカルの内なる心の変化、そして10数年抱えてきたフェルゼンとの関係との決別、その2つが、これ以上なく絶妙なタイミングで結びつき、オスカルに閉ざされた貴族社会に包含される近衛を辞めるという行動を取らせたのではないかと感じています。

これは私の個人的な人生観によるものかもしれませんが、私は人生の動きは、意識的なのか無意識的なのか、はたまた自主的なのか、他主的なのかわかりませんが、一つ一つの物事が断片的に動くのではなく、何かもっとトータルなものの下に動くような気がしています。トータルな方向性の下に、物事が起こり、または物事に関わり、それぞれの結論が出ていくという感じでしょうか。
なんの証明方法があるわけでもありませんが。

なので、オスカルの人生においてこの2つのタイミングが合ったというのも、決して偶然ではないように思うのです。それはオスカルが時代の流れと自分の心の声をキャッチし、無意識的に設定したタイミング(ドレスを着るタイミングなど)であったのかもしれないし、もっと外的な、運命や神ともいうべきものの意思によるものであったのかもしれません(この場合は原作者ということになるのでしょうか)。

なんだか勝手な観念的な話になってしまって、とても恐縮ですが、とりあえずオスカルが近衛隊を辞めた理由は、なーかる様が解説で書かれている通り、「失恋」は直接の引き金であるものの、そもそもの貴族社会に対する問題意識が根底にあって、ただ失恋したから、という一言では片付けられないものであると私も思います。

またたとえ、失恋一つによる行動であったとしても、それはそれでいいと。私個人としては、オスカルの痛みと選択に心からの理解を寄せられると思うのです。


2010年8月31日

up 2010.12.30.
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