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ベルばらな日記の過去ログです。

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2004年3月24日(水)
ベルばらな星座 3  ..No.31

ベルばらな日記 31

前回のフェルゼンと同じく、時間の設定は現代の現地時間。サマータイムは無視しています。生まれた場所は細かく選べないので各国とも首都です。

アントワネット 1755/11/2 生まれ
観測地:オーストリア ウィーン 緯度48度N 経度16度E
日の出 6:40頃 東南東から太陽が上がります。
日没 16:40頃 西南西に太陽が沈みます。

冬のせいなのか日照時間が短そうです。
太陽は天秤座にあって、金星がほぼ太陽と同じ位置にあります。というか、地球より内側にある金星はどのみち太陽のそばに居るのですが。
アントワネットの星座はさそり座ですが、この日の天体のさそり座には惑星の水星がいます。つまり太陽に一番近い水星がいると言うことはさそり座も太陽のすぐ後ろにいて、昼間の空に上がるわけですから夜間は見ることが出来ません。

夜明け前に木星と月が東の空からあがって来ます。
月はほぼ新月に近く、夜空にはいません。なので夜間はさぞ暗かったでしょうが、天体観測には月がないほうが明るすぎずもってこいです。
モーニングムーンは、ちょうどフェルゼンが生まれた時も同じ状態です。

夜9時頃の空は、フェルゼンの場合と同じようにさぞ銀河が美しかったでしょう。
ただし、晴れていれば・・の場合ですが。
天体観測の泣き所は天候に左右されることです。さあ!今日は皆既月食を見るぞとスタンバっていても、曇っていたらどうしようもありません。

ツヴァイクの「マリー・アントワネット」に載っていた話だったのか別のどこかで聞いた話では(なにぶん、記憶が曖昧)、彼女が生まれた日はポルトガルの首都リスボン大地震の日だったとか。
後から思えば誕生日そのものから激動の日だったという話も聞きましたが、地震の日に生まれたからと言って縁起が悪いなどとは思えません。
まだ記憶に新しい「阪神・淡路大震災」ですが、その日に生を受けた赤ちゃんはどこか「希望」を宿しているとさえ思いました。

要はその人が生きた結果から原因がついてくるのです。
それを思うと、人生は努力次第で必ず思い通りになるとは100%言い切れませんが、人は日々悩んで・考えて・決定して・行動して・精進しなくては!などと思うのですが、いかんせん、なかなか実行がついてきません。(^^;)

星や自然が人を導くのではないかというのはロマンチックな想像です。
だけど、忘れがちながら人も自然の一部であるならば、自然の動きの中から何かの暗示を読みとるというのも単なる作り話ではないような気がします。
もし自分の運命を良い方に持っていきたいのだったら、その暗示を良い方に受け取ればいいのかも知れませんね。


使用天体ソフト:Stella Theater Pro (Vectorにてダウンロード)
シェアウェアです。試用期間は3ヶ月。
ダウンロードの際はフリーソフトのStella Theater Liteも同梱されています。

2004年3月26日(金)
オスカルでエラー  ..No.32


ベルばらな日記 32

一太郎をバージョンアップした。
今まではwindowsXPに対応しておらず、改行マークが出てこない、ファイルの呼び出しがモタつくなど、いろいろと不自由していた。そりゃあ一太郎Ver.8だったし、ATOK11だったもんなぁ。

今やワープロソフトといえばwordがメジャーだが、一太郎とはかなり古いバージョンからのおつきあいがある。殊にベルばら解説の完成は一太郎なしにはあり得なかったという愛着もある。

以前の一太郎はシステムディスクとユーティリティディスクという2枚のフロッピーをパソコンに入れるだけの簡単なものだった。はっきり言って、今でも文章を打つだけならそれで間に合うかもしれない。

さて、今回のバージョンアップでは今まで容量の都合でインストールしなかった校正機能を入れてみた。

試しにこの「ベルばらな日記」の過去の文を校正してみる。

おおっ!色々と間違っている。ふむふむ、間違っている単語に赤い波線のアンダーラインが入るのか!!
多いのは打ち間違え、特に「ありりがとう」という風な文字をひとつ余分に打ってしまうそそっかしいミスが目立つ。

だがダントツ多いエラーは「オスカル」。
どうやら辞書登録していない「固有名詞」はエラー(要チェック項目)と受け取るらしい。
全てのオスカルというところにアンダーラインがはいっているではないかっ!
こんだけ毎日オスカル〜!オスカル〜!と打っているのに覚えろよ!マイ一太郎くん!

この文にも校正をかけてみた。やはりオスカルにエラーが出まくっている。
まるで「オスカル」を強調しているみたいだ!ファンとしてはちょっと嬉しい。

んなこと言ってないで早くオスカルを辞書登録しろっ!私!



だけどなぁ・・・「お」と打って「オスカル」と変換するように辞書登録したら、いつか公用でワープロを使うとき、「おめでとうございます」なんて文を「オスカルめでとうございます」なんてうっかり変換させてしまいそうでコワイもんなぁ。ブツブツ・・・。

2004年4月3日(土)
ベルばらな星座 4  ..No.33

ベルばらな日記 33


今までと同じく、時間の設定は現代の現地時間。サマータイムは無視しています。生まれた場所は細かく選べないので各国とも首都です。

アンドレ 1754/8/26 生まれ
観測地:フランス パリ 緯度49度N 経度2度E
日の出 6:00頃 東北東から太陽が上がります。
日没 19:50頃 西北西に太陽が沈みます。

ちなみにこのソフトは観測地にマルセイユも入っていたのですが、勝手な推測でアンドレはどちらかというとパリより北で生まれたような気がしてパリにしました。
だけど彼はラテン系っぽい所もあるし、暖かい地方の生まれというのも捨てがたい!なんて事も思っています。

太陽は獅子座に入っていて、木星と水星がほぼ近いところにいます。
星占いで彼の星座は乙女座になりますが、天体の乙女座には惑星の金星と火星が入っています。これらは地球の隣に位置する惑星です。
獅子座のすぐ東に位置する乙女座は太陽を追いかける位置にいるので、夜間は観測が出来ません。
夜9時の夜空は東の空にペガスス座が上がってきています。とその上に白鳥座。南には半月より少し満ちた月が明るく輝いていた事でしょう。


ちなみにもう一つの誕生日も調べてみました。

アンドレ 1754/5/2 生まれ
観測地:フランス パリ 緯度49度N 経度2度E
日の出 5:30頃 東北東から太陽が上がります。
日没 20:10頃 西北西に太陽が沈みます。

太陽は牡羊座にあり、金星がすぐ近くにあります。関係ないですが双子座には火星がいます。
星うらないでは5/2は牡牛座ですが、天体の牡牛座に一番近い惑星は金星。この日の牡牛座は太陽の後を追いかけるようにしています(これは8/26の乙女座の場合でも同じ)。
この誕生日でもやはり太陽と一緒に沈んでしまい、夜間の観測は出来ません。
太陽を追いかけるという点では、フェルゼンの場合と似ています。

夜9時の夜空は南にかなり満ちてきた月と、その少し西には木星があります。晴れていれば明るい月夜だったことでしょう。月の近くには獅子座と乙女座があります。
この時期は、北斗七星のひしゃくの柄の曲がりに沿って夜空に想像の線を引き、うしかい座のアークトゥルス、それから乙女座のスピカを結ぶ「春の大曲線」が観測できます。

それにしても、諸事情があるわけでもないのに誕生日が二つというのもどこか落ち着きません。8月説が有力という話を聞きますがどちらかに決めてほしいものです。


**********

こうやって、主要4登場人物の生まれた日の天体の動きを書いてきましたが、やっぱりオスカルに関する記述が一番長い。つまり私の思い入れがしっかり反映されています。(^_^;)

このアンドレの誕生日に至ってはもう星の動きにまつわるこじつけネタが尽きて、どうにもドラマチックな星の動きが想像できませんが、こうやって日々移り変わる天体と誕生日とを追いかけていると、激動の人生を生きた人のみならず、たとえ名もない人であろうとも、持って生まれた運命があり、人の一生はとても不思議で神秘的な巡り合わせに思えてくるのです。

アンドレもその後、激動の人生を過ごすことになるのですが、幼い彼を残して無くなった両親はどんな想いを残してこの世を去ったのでしょうか?
そして孫を引き取ったばあやの気持ちは?

ベルばらを子供の頃に読んだ時は、たった一行ほどで片づけられていた「少女漫画にありがちな」過去の話などにはさほど感じ入ることもなく、当時はとてもじゃないけれど悲しみを背負った人の想いにまで考えが至りませんでした。…今なら、余計なことまで考えてしまうのですが。

ホント、人の想いは宇宙と同じく計り知れません。
なので、時には窓を開けてしみじみと夜空の星を眺めてみませんか。

・・・と、言った自分がまず実行!と思って窓を開けたら曇っていた!!
あーん、なんてタイミングが悪いねん?私!

2004年5月10日(月)
なぜかジャンヌは好きになれない  ..No.34

ベルばらな日記 34
なぜかジャンヌは好きになれない


そろそろ時効なのでこういう話題も良いだろう。

原作を読んで、少なからずジャンヌに魅力を感じた人は多いと思う。
アニメ版もそうだろう。どこか孤独を引きずった満たされない女性。その心のうちに秘めた魂が何かを欲する激しさに共感した方も多いと思う。

が、しかし・・・!
けなげに母の世話をする妹ロザリーを尻目に仕事をさぼり家事を妹におしつけ、怠けてばかりいるくせにお金持ちになる事だけを夢に見、果ては貴族の娘として引き取ってもらった時も、善意で訪ねてきた妹をむち打ってしまう。
まあ、こんなに激しいお姉さんはそうそういないと思うが、ジャンヌはどうにも好きになれなかったし共感も出来なかった。

そう!家事をさぼり、幼い妹をパシリに使い、けんかの最後に妹を悪者にしてしまう姑息な姉、・・・うちのねーちゃんとそっくりやんけ!と思ってジャンヌを見ていたのである。
アニメ版のロザリーは上手いことを言っている。
「あんな姉ですから・・・」と。
この歯に衣着せぬ言いっぷり、やはり私はこんなきっぱりロザリーに共感してしまうのだ。

          −終−

・・・という風なコメントを以前フリートークで書いたことがある。
だが、このコメントは私がいきなり書いた物ではない。
姉が某所のフリートークで「なぜかロザリーは好きになれない」というタイトルで「ナマイキでかわいげのない妹を持つと姉は苦労する云々」というコメントを書いていたのを、かなり後になって人づてに聞いて読んだのだ。その返礼でもある。

今となってはさすがに大人だし、そのような子供じみた確執はないので、過去の事としてこうやってお互いに笑いのネタに出来るのだが、なんだかんだと言いながら姉妹揃って、ベルばらの中でジャンヌとロザリーという姉妹に一番感情移入していたのかも知れない。

血は争えぬとはこのことだ(爆笑)。

2004年5月29日(土)
地上の星  ..No.35
ベルばらな日記35

中島みゆきさんの曲である。プロジェクトXのテーマソング…と今更私が紹介するまでもないほど有名である。

以前、この曲についてとある人と話をしていて「銀河やシリウスという名前が出てきたので宇宙の歌かと思ったら違っていた」というコメントを聞いた。
なるほど、私もかつての宇宙戦艦ヤマト世代としてはこの歌の一部に「宇宙」を連想させる言葉が出てきているので、多少なりとも「宇宙つながり」で惹かれる部分は有ると思う。

歌の意味そのものについてはプロジェクトXの内容の通り、「何か一つのことを成し遂げた名も無き人たちの偉大な功績」にスポットを当てるという、思わず共感を呼びそうなコンセプトがこの歌には含まれている。

名声も評価も求めず、ただ黙々と自分の信じた道を切り開き、人々のためになるものを作り上げようとした心意気に、見ている側としてはその潔さと信念の強さに感動を呼ぶ。
これは宇宙の神秘とは違うが、人の心の中にある無限の宇宙のすばらしさとも言うべきか。

中島さんのコメントだったか、かつて番組を立ち上げる際にN○Kの番組担当者から「大人の子守歌」を作って欲しいという依頼を受けたとか。
歌手のやしきたかじんさんがこの曲を「軍歌である」とコメントされていたのも印象に深い。良い意味で、がんばろうというメッセージが含まれていると解釈している。
どこかの会社で朝礼にこの曲を流すという所もあるらしく、つい後ろ向きになりそうな気持ちを鼓舞し、今日も一日戦うぞ!という気分に高揚させてくれる威力は確かにあると思う。

余談だが、元気が出る歌=軍歌というのなら、原作ベルばらも歌で例えたら「人生の応援歌」という点でジャンルとしては近いのかも知れない(ひょっとして演歌になるのかな?)。

いつか新聞のコラムで「オスカルそれは遠い星」というタイトルのものがあったが、原作のオスカルは天の高いところにある星のようで、なかなか手が届かない「遠い人」という印象がある。

「地上の星」というのは原作とは反対に、アニメ版のオスカルのことかなぁなどと思う。
ここで歌詞をつらつらと書けないが、名も無き人のために戦おうとしたアニメ版のオスカルのことなんて結果的に誰も覚えてはいないのだ。どちらかと言えば崇高な理念のために華々しく散った原作オスカルが注目される。

だが、アニメ後半のベルばらは少し離れたところから、しかし食い下がるようにオスカルを追う。
そして地上の星を知ってしまった私たちには、彼女の死がとてつもない損失として感じられるのである。なのに、あまり注目されないのだ。

それにどこが立派なのかと聞かれても、彼女には華々しい業績が残っていない。
こんなに心打たれるほど感動したのに、誰にも評価されないままなのは理不尽だなどとついつい私は思ってしまうのである。

とまぁ突然、流行の歌にベルばらをこじつけてみた。
実は昨日、「地上の星」のCDを買ったのだ。
実はまだじっくりと聞いていない。その部分の歌詞の意味を改めてしみじみとかみしめて今から鑑賞してみるとしよう。

2004年6月4日(金)
真実の愛  ..No.36
ベルばらな日記 36


最近、潜在意識に関する本を少しかじった。かじっただけなのでかなりいい加減で自分勝手に読み取った。ここでかなりミーハーな「ベルばら」解釈をしてみよう。

人は自分が意識もしない心の底で、自分自身の「潜在意識」の思い描いた通りの未来を実現するという。
悲惨な事件が多い中、すんなりとは受け入れがたいが、確かに良いことを願えば気持ちもポジティブになり、たいていの出来事は「自分にプラスになる」と信じてもおかしくはない。逆も又しかり。

オスカルは心の底で何を願ったのだろう。
私は彼女がものすごく「愛」を求めていたように思っている。
そうすると彼女は「命をかけても良い、真実の愛を知りたい」と無意識に願ったのではないだろうか。

結果、オスカルはアンドレから向けられた愛を知り、自分もまた彼への愛を知る。そして普通に暮らしいてる平凡な「人々」の命を守りたいという「愛」を知る。
それだけではない、袂を分かったアントワネットへの愛、先に死んでいった部下たちやアンドレへの愛を、血を流すような思いで知ることになる。

それはオスカル自身が発する愛の深さでもある。

最期の瞬間に、彼女の瞳に映ったのは本当に「真実の愛」だったのかは誰にもわからない。だが命と引き替えにして得たものが確かに彼女が望んだ「愛」であれば良いのにと願う。
しかしたとえそうだったとしても、その「真実の愛」を彼女は語ることもないまま逝ってしまう。

テレビの前で置いてけぼりの視聴者ほど無惨なものはない。満たされない気持ちを抱えて「どうにかしてくれ!」と途方に暮れるのだ。
極端な話、私の「愛」を彼女が持って行ってしまったような気持ちにすらなった(おおげさな…)。

愛は深く、その強さのあまり「痛い」ほどなのだという。確かに命をかけるほどの価値はあるのだろう。
だが、やっぱり命は惜しい。

うかつに潜在意識に「命をかけても良い、真実の愛を知りたい」などとすり込むととんでもないことになりそうだ。
「愛は知りたいが身の程で良い、なにより命を大事に」という程度が私のような凡人にはちょうど良いと思う。

2004年7月11日(日)
もうすぐ三が日  ..No.37

ベルばらな日記 37

しばらく更新をしていないことを知らされて、あわててネタを探してみる。
心配しなくても最大のネタが目の前に転がっていたりする。(^_^;)

7月の12〜14日はファンにとっては言わずと知れたベルばら三が日である。
単刀直入に言うと革命が勃発し、アンドレとオスカルが相次いでこの世を去った日である。
普通は三が日というものはお正月のお目出たい日に使うのだが、ベルばら最大盛り上がり「バスティーユ攻撃の日」、つまりはアンドレとオスカルが最初で最後の結びの一番!じゃなくて…結ばれた日としてまぁ「メデタイ」日でもある。

一種の記念日として盛り上がるお祭りネタとしてはものすごく良いと思うのだが、個人的にはやはり色々と物思いにふけってしまう日々でもある。

ベルばらという物語の革命の中で、それぞれの登場人物はどう考え、どう生きようとしたのか?
もしも?と言う仮定があったとしたら、彼らにはどんな違った人生があったのだろうか?

果ては結果について考えてみれば、オスカルはなぜ死ななければならなかったのだろうか?
アンドレはどうしてバスティーユへ行くオスカルを止めなかったのだろうか(イコール、アンドレは何を考えていたのか)?
残された人々の気持ちは?

等々・・・

もちろん筋の運びでそうなったのに間違いないのだが、それぞれの生き方や心情を想い計っても、かな〜り余りある。

だが、この3日というものは内容がかなり濃い。ファンとして「お祭りデー」と呼べるのは一年を通してこの三が日なのである。
なのでサイトを更新してみたり、絵を描いたり、何となく盛り上がってみたくなる。
(今年はわからないが・・・(^^;))

そんなこんなで何ともフクザツな気持ちにさせてくれる記念日なのである。

2004年7月19日(月)
得体の知れない男  ..No.38
ベルばらな日記 38


アンドレのことである。

「彼は一癖ある男。ただ者ではないのだが、オスカルのために思想や信念に情熱を傾けるという部分を押さえ、徹底的に影の存在にまわった」という風なことを解説に書いたような気がするのだが(実のところ忘れてしまっている:大汗)、ホントのところ私はオスカルファンなので、アンドレファンの方には申し訳ないのだが、彼に対する洞察が今ひとつ物足りないのは自覚している。

とりあえず、オスカルの存在が無ければ革命に対しても何かしでかしそうな奴という感じで解説ではヨイショしておいたが、実はよくわかっていない部分が多い。
彼についてのヨイショは「得体の知れない人はとりあえずほめておけばボチボチ間違いはない!」という私の処世術に他ならない。

ただ、アニメ版のアンドレが日記に向かって書いていた言葉をそのまま彼の本心だとすると、アンドレも又、オスカル(アニメ版)と同様、革命に突入していく民衆たちの盛り上がり、時代のうねりと言ったものから少し離れた位置で世の中を見ていたと想像できる。
それは彼が人生の半分以上を貴族の世界で暮らしたからなのか、時代に対して冷静に見つめる目を持っていたのか、それは何とも言えない。

又、普通なら男性の登場人物として自分中心に振る舞いそうなところを、アンドレの場合はオスカルの補佐(心の支え)で修まるというのは、紋切り型の「女主人と僕」という図式にかなり近い。
ただアニメ版に限って言うと、僕が女主人に絶対服従というものでもなく、二人が上下関係になっていないのもアンドレの不思議なポジションである。
特にアニメ版では、オスカルの方が子供時代からの「俺とお前」という関係から脱皮して、アンドレに微妙な距離を置いている。

そもそも押し倒し事件後、アンドレによる「オスカルのためにそばに居続ける」というセリフが無いのである。彼の気持ちは推測するしかない。

だがもし、彼が普通の男性登場人物のように「男らしさ」を発揮し、オスカルの行動に干渉していっていたのなら、主人公である彼女の行動に多大な影響を及ぼすことになる。
妻がバスティーユへ行くのを「命の危機」として止めたり、男の衝動としてもっと早くに深い仲になっていた可能性もある。

普通に考えて「ワガママは男の罪」だし、「もしそれを許せなかったら女の罪」になる。
最終的に男のワガママが、意見として通ってしまうのだ(余談ながらこの歌、上手い表現だなぁとしみじみ思う)。普通なら主導権は男性にある。
するとオスカルはひょっとしてアンドレのためにバスティーユへ行かない事も起こりうる。つまりアンドレの存在が大きければ大きいほど、オスカルは自由気ままに行動できない。

何もこれは「男女の力関係」やジェンダーの事として言っているのではない。それ以前の問題として「自分にとって信念より大切な人」としてアンドレが存在していたのなら、オスカルは「アンドレ一番、革命二番」という考え方をしていてもおかしくはない。
これでは「ベルばら」の物語として成り立たない。
そしてこの考えでアンドレを描くなら、彼は「オスカルが一番、革命は番外?」と言い切り、世の中の流れや革命に対してさほど関心が無く、ひたすらオスカルの事だけを考える男となってしまう。これも良いのだが程度の問題である。

オスカルが絶対的な主役である以上、アンドレは彼の持つさまざまな想いを視聴者に訴えず、生き方や思想的なこと全てにおいてファジィなまま沈黙せざるを得ない。また、沈黙することによって視聴者にアンドレの心の奥深さを想像させるのだ。
彼が永遠の脇役なのはそのためかも知れない。

2004年9月18日(土)
自然の力  ..No.39
ベルばらな日記 39


ここもすっかり日記と言うよりは月記というか、下手をすると年記になりそうなので焦っている。
その前にここがレンタル解消されて勝手に消えていそうなので、何か書かねばイカンなぁ〜と今日になって思い当たった。

先日から台風、地震、浅間山の噴火・・・と何かと自然災害が多い。
これらの災害で被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。

**********

以前解説で、オスカルがアントワネットの行動にもっと干渉し、忠告していたら革命は起きなかったかも知れないという、かなり強引なことを書いたように思うが、実際の話となるとそんな歴史の激流がアントワネットひとりのせいだけで変わってしまったとは言い切れない。
ただ、偶然やちょっとした行動の切り替え一つで運命は大きく違ってくるということはあり得るかも知れないが…。

先日、浅間山の噴火の時にニュースで聞いたのだが、1783年(天明3年)8月6日(新暦による)にかなり大きな噴火があり、甚大な被害があった事を知った。
知った……というか、この時の噴火で出来た「鬼押出し」は実は高校の修学旅行で行っている。
多分、その時に色々と噴火の説明を受けていたのだろうが、記憶としては雨に煙るゴツゴツの岩と、どこかのおみやげ屋さんで食べたホクホクのおまんじゅうぐらいしか頭に残っていない(食べ物の記憶はさすがに強い)。

古代大陸オタクとしては、噴火による日照時間の減少、氷河期との関連、色々と気になり少し調べてみた。
直接の被害だけではなく、その後の幕府の対応、作物の不作、色々と有るのだがそれはひとまず脇へ置き、実はこの1783年には浅間山だけではなく、6月8日にアイスランドにあるラキ山が噴火を起こしている。
偶然にも重なった二つの噴火の粉塵は北半球の上空を覆い太陽の光を遮り、数年に渡って気温を下げ凶作の原因になったという。

この作物の不作が後のフランス革命の一因(遠因)になったと先日のテレビのニュースで伝えていた。
確かに古い制度が打ち破られる時が来ていたのだろうが、重い税金で生活が行き詰まるだけでなく、自然の力によって食物が不足するというのはやはり想像しただけでも恐ろしい。
又、それが少なからず歴史を動かすというのも、人ではない何か大きなものの力を感じてしまう。

ちなみにこの年、オスカルはナニをやっていたんだろうと、突然ミーハーな気持ちがわき起こってくるのはファンなら当然?

1781年に王太子ジョゼフが生まれ、1785年に首飾り事件が起きてジャンヌが逮捕されている。
浅間山の噴火はちょうどこの間に起きているが、よもや遙か遠い日本の出来事が物語に割り込む隙はなかったであろう。

当時オスカルは20代後半で、想像するにはきっと働き盛り。フェルゼンが帰ってこなくて悶々としていた頃で、人生の中でも一番モヤモヤしていた時期かも知れない。
ま、アンドレも同じようなことで悶々していたのだろうけれど。
30才の前というと体力も余り余っていたので、二人とも色々あってウサ晴らしに大酒飲んでいたかなぁ?なんて事は余計な詮索。

普段は何も思わずに住んでいるこの地面の下は熱を持ち、長い時を生きていて、人に多くの恵みをもたらし、時には災害を引き起こす…なんて考えもしないが、歴史や生活の背景で空気のように当たり前に存在しながら、実はとてつもなく人のドラマに影響を及ぼしているんだなぁなんてことを、畏怖の念を抱きつつ考えてみる。

2004年10月8日(金)
ペガサスの白き  ..No.40
ベルばらな日記40

最近、自サイトはおろかネットにあまり接続していないという状態で、かと言って何かの趣味に没頭しているのかというとそうでもない。
何となく気ぜわしく過ごしてしまっている。

今年は台風が記録的に多く日本上陸したり、長くて暑い日が続いたかと思うと一気に冷え込んだり、しみじみ秋をかみしめる機会がまだない。そうこうしているうちに冬が来そうなほどだ。
かみしめると言えば秋の味覚マツタケもあまり店頭でお見かけしないのだが、今年のマツタケの収穫はどうなのだろうか?
まぁ、たくさん出回っていてもどのみちあまり縁はないのだが…。

うっかり忘れてしまうところだったが、秋の有名な星座に「ペガスス座」があり、今頃の季節、夕方に東の空から上ってきて、夜の10時頃にちょうど天頂に輝いている。

天頂と言っても少し南よりの位置なので、南を向いて高い位置を見上げると比較的見つけやすい。一般的には「秋の大四辺形」という名称で親しまれていて、「夏の大三角」を追いかけている四角い星座を探せば早く見つかるかも知れない。

ベルばらでも超有名な天馬の名前だが、古代の人たちはこの星の形のどこをどう結んで天馬をイメージしたのか前々から謎である。
もちろんフランスでも秋の星座だし、日本(大阪基準)より少し南の低い位置でみることが出来る。
もしアンドレがこの星座を見てオスカルをイメージしていたら、きっとそれは秋の夜長の事だろう。

そもそも星座が当時そんなにメジャーな教養だったのかは知らないし、男性が星を見てウルウルしていたかどうかなんてわからないが、星に想いを送っていた時代などというものを想像するに、今のケータイ時代からすれば、電子メールの代わりに「想い」があちこちで飛び交っていたのかも知れないなぁ…。

どっちにしても今日は台風接近で星空なんて見ることが出来ない。
ああ、いつもながらタイミング良くない。